武士の風習と日本文化のルーツ

三三九度のルーツ
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三三九度のルーツ 三三九度のルーツ
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結婚式で行なわれる三三九度。新郎新婦がそれぞれ、盃に注がれたお神酒を計9回、口にする儀式です。新郎新婦は儀式を通じて、先祖に感謝したり、夫婦の絆を固めたり、子孫繁栄を願ったりします。そんな三三九度のルーツや、今と昔の違いをご覧下さい。

平安時代の大饗(だいきょう)から始まる三献(さんこん)

酒器

酒器

三三九度の語源を、式三献(三献の儀とも言う)と言います。三献とは、宴会の際に酒杯を出席者で3回巡らせて飲むことです。

身分が高い人から低い人まで巡らせますが、一度に三巡させるのではなく、一献ごとに肴を替えながら飲みます。

日本での三三九度のルーツは、平安時代に行なわれていた年中行事の大饗と言う正月の節会からではないかと言われているのです。この節会では、中国から影響を受けたと言われる酒礼が式三献に似た形で行なわれています。ただし、式三献という言葉は使われていませんでした。

将軍御成りの儀式から始まった式三献

式三献という酒杯を回し飲みする形式は、室町時代頃に武家の儀式として定まります。

鎌倉・室町時代には椀飯振舞(おうばんぶるまい)と言う、大名が将軍を献上品でもてなす正月行事がありました。饗応(きょうおう)が主流となった室町時代から、式三献の酒杯の儀式が正式に加わります。主従の固めの杯として、主君と家臣の結び付きの確認、強化の意味があったのです。

ひとつの杯を巡らせて飲むことに儀式の意味があります。日本人には、箸や食器を他人と共有することは古来習慣としてありませんでした。巡杯をするということは、いやでも同じ杯に口を付けなければなりません。これは、赤の他人ではなく身内のような濃い関係になるという表れになるのです。主従の固めの杯をすることによって、血族以上の結び付きが生じたということになります。

式三献の流れ

主君が家臣の館を訪れて饗宴を受けることを、武家の最も重要な儀式として「御成り」(おなり)と言います。室町時代に御成りが公的行事として慣例化されていくと、酒杯の儀式が完成します。儀式の形としては、本膳料理の前に肴を替えながら酒杯を三巡させます。これが式三献と言う酒礼です。

日本の饗宴が、酒礼・響膳・酒宴の3部より構成されるのは、室町時代の御成りから始まっており、式三献の儀がこのとき完成されました。一献目の肴は雑煮と他3点、酒杯を主君から家臣まで一巡。二献目の肴は吸い物と他2点、二巡目の酒杯を飲みます。三献目の肴も吸い物と他2点、三巡目の酒杯を回します。吸い物ではなく雑煮が付くのは一献目だけです。

この一通りの流れが式三献。式三献が終わると本膳料理が続きます。一献目の肴に雑煮が入るのは、現代の元旦に食べる雑煮の由来です。雑煮と屠蘇(とそ)は、式三献の一献目で食べる酒と肴の儀式から始まりました。

奇数を縁起の良い数とする陰陽道の影響

なぜ3の数字なのでしょうか。この式三献は中国の影響を受けており、奇数は陽の数字としてめでたいため、陽数を重ねることを祝いごとに用います。

5月5日(端午の節句)

5月5日(端午の節句)

3月3日、5月5日、7月7日、9月9日の数字は陽が重なるめでたい日です。重陽の節句とも言い、奇数が重なると祝いごとに使う思想は、現代までつながっています。

式三献の3と言うおめでたい数字を重ねたのが三三九度ですが、九の字に意味はありません。三と三を重ねることがおめでたいので、陽数である九も加えた三三九度という言葉として残ったと考えられています。

出陣の儀式としての式三献

室町時代より、武士が戦に赴くとき、出陣の儀式で縁起担ぎとして式三献が行なわれるようになったのです。総大将が出陣の前に、打鮑・勝栗・昆布の3品を口にし、酒杯を3度口にします。肴の由来は「打って・勝って・よろこぶ」という縁起担ぎですが、室町時代からの出陣の儀式。酒と肴を口にした総大将が、飲んだあとの土器(かわらけ)を打ち砕き、それを合図に「えいえいおー」と総勢で鬨(とき)の声を上げ、出陣の合図としました。

現代で出陣と言えば選挙戦です。選挙戦が始まると式三献を行ない、鬨の声を上げる縁起担ぎが出陣の際に行なわれていました。

駆けつけ3杯は式三献がルーツ?

現代でも遅れて駆け付けて来た人に「駆けつけ3杯」と言って、宴会に来て早々3杯の酒杯を空けさせる習慣があります。宴会の本膳の前には式三献がなければ始まりません。どのような事態になっても、式三献を行なうよう重きが置かれています。

現在の日本人が式三献の儀式に通じているとは思えませんが、駆けつけ3杯と言う言葉が残っていることを考えると、日常に根付いた言葉として歴史の面白さを感じます。

式三献は現在の乾杯

式三献は、現在の私達が宴会の前に行なう乾杯にあたります。宴会の前の主賓挨拶後に出席者全員で乾杯をする行為は、明治維新後の西洋文化とともに日本に定着していったのです。

それ以前の日本人は平安時代に中国から影響を受けた式三献を、宴会の前の酒礼としていました。室町時代を経て江戸時代までは、式三献が武家の正式な饗宴の習慣となっていたのです。

明治維新の文明開化と共に、武家の習慣も消え、簡易な西洋式の乾杯が酒礼として正式な場でも習慣になりました。現在でも宴会の酒礼は、乾杯が習慣になっています。人と人との結び付きや、血縁の固めの酒などと言う深い意味はなく、出席者同士の挨拶に近いもの。酒礼としての儀式的な要素だけが残っているのが、結婚式での三三九度です。

過去・現在・未来を表す三三九度

結婚式の儀式

結婚式の儀式

現代では、式三献が結婚式の儀式で三三九度として形が残りました。陽の数字としての意味だけではなく、3回飲む意味が込められています。

一献目は過去を表し、先祖へ感謝します。二献目は現在を表し、夫婦の固めの杯となります。三献目は一家の安泰と子孫繁栄を願い、未来を表すと言われています。

現代では酒杯を回す順番を、一献目では新郎→新婦→新郎、二献目を新婦→新郎→新婦、三献目を新郎→新婦→新郎。この順番は説が様々あり、その地域の風習によって異なる回し方をします。式三献とは異なり、杯ごとに肴を口にすることはありません。酒杯を巡らすだけの儀式になっています。簡略化された形として現在に伝わっているのです。

杯を共有して口を付ける三三九度が意味するのは血縁関係の成立です。日本人は食器の共有はせずに、個々の食器を準備します。ですが、三三九度では同じ杯を共有することによって、魂の共有・祖先から受け継がれてきた血族の結び付きを表します。

武家の儀式としての式三献が、主従の誓いや出陣の誓いから、結婚式の三三九度における血縁関係の誓いに形を変えて現代の風習となって残っているのです。

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