弓を使う2つの競技、弓道とアーチェリー。どちらも矢を放って的を射るという共通点はあるものの、方向性がそれぞれ異なるのはご存知でしたか?実は、弓道は矢を平常心で射ることで精神力を養う武道として、アーチェリーは的を正確に射抜く技術を競うスポーツとして、発展しているのです。こちらでは弓道の起源についてご紹介します。
弓という武器は原始の頃から存在しています。狩猟の道具として使用され、恵みをもたらす道具という意味で、祭礼の場での神聖な道具ともされてきたのです。人類が狩猟を確立していく過程の中で、弓矢を使った狩猟方法は世界中で編み出されていきました。
日本でも例外ではなく、原始的な弓は1万年前から使用。日本の弓の特徴は、握り部分が中央部より下部にあることです。世界の弓のほとんどは、弓の中央部が握りの位置になります。
日本では、石器時代の物とされている銅鐸(どうたく)に描かれている狩猟の様子でも、握りが下部の弓が確認されています。
どうして下部を握るようになったのか、実は分かっていません。しかし、日本の弓は世界の弓と比較しても、弓本体の長さが突出しています。そしてこの短下長上の日本の弓は、類を見ない美しさとの定評があるのです。
中世の戦乱期においては、弓術に優れることが武人としての誇りでした。平家物語に登場する那須与一が海上にいる敵方の指示した船上の扇を浜辺から射ち落とした話は、那須与一が弓術に卓越した存在であったとして伝説になりました。
そのため、中世では武勇を誇る武士のことを「弓矢取る身」と表現しています。
戦国時代に入ると鉄砲の伝来により、弓の時代が終わります。実戦における武器としては、鉄砲の方が優れているのは疑いようのない事実でした。皮肉なことに、このときから弓術が実戦的なものではなくなり、武士の嗜み、礼節を目的とした弓道へと生まれ変わります。
弓道において一番大事なのは「正射必中」。正しい射は必ず当たるという意味ですが、正しい射には正しい射法を実践し、自分と向き合い、自己の鍛練によって平常心を保つことができなければなりません。攻撃のためではなく、平常心で弓に集中することが、武道のひとつになっていきました。
平穏な江戸時代において、必要になったのが武士道を精進させる方法。肉体を鍛える役を剣道が担っていきます。そして、精神鍛練の役を担っていったのが弓道だったのです。
弓道において「的に当たるか当たらないか」は使用した用具が同じであるならば、すべて自己の修練の足りなさに原因があります。技も心もコントロールをし、平常心で弓を引く境地に達しないと「正射必中」となりません。そのため、弓道は所作や射法が精妙に決められ、きれいな姿勢、きれいな射形であることが求められます。
射形が整っていなければ的にも当たらないため、無駄のない所作こそが弓道の基本。弓道は剣道や柔道よりも所作に対して厳しく、礼儀作法や着付けに対しても厳しいと言われています。すべてが心の乱れにつながり、射形が崩れ、結果として的に当たらなくなるのです。
また、弓と矢の手入れも弓道の心得のひとつです。湿度の高い日本において、弦や皮を使用した弓道具は調子が狂いやすく、それがもとで的に当たらなくなります。道具の手入れをもって、弓道の精神も磨かれていくのでしょう。
標的の大きさもいろいろですが、五輪競技では、70mの距離で直径が122cmの標的を狙います。それに比べて弓道では的までの距離が28mと60mの2種類で、的は直径36cm。飛距離と的の大きさにこれだけの差があります。
道具においても、アーチェリーは弓をセットすれば弓を引けるようにできており、照準器も付いています。また、アーチェリーにおいて作法は問題になりません。弓道のように、厳格な作法としての決められた射法もありません。
日本にアーチェリーが紹介されたのは、昭和12年頃とされています。アーチェリーが伝わった当時は、弓道との区別があまりありませんでした。弓道を嗜んでいた者が、アメリカ留学などで体験したアーチェリーに転向した例が多くあったのです。アーチェリーは当初洋弓と呼ばれ、洋弓部門として全日本弓道連盟の傘下にありました。
昭和33年には、全日本弓道連盟が、FITA(国際アーチェリー連盟)に加入します。全日本弓道連盟は、昭和42年の世界弓術選手権大会に洋弓と和弓両方の選手を派遣しますが、和弓での結果は最下位となってしまいます。和弓での世界弓術選手権世界大会参加はこのときの一度きりでした。
1968年(昭和43年)に全日本弓道連盟は、洋弓部門を全日本アーチェリー連盟(1966年設立)に委譲します。和弓と洋弓の的中精度の違いから、和弓と洋弓との完全な決別がなされました。全日本弓道連盟はFITAからも脱退をします。全日本弓道連盟の賢明な判断によって弓道は、日本の武道としての立ち位置を明確にしたのです。
その後、昭和44年に全日本アーチェリー連盟がFITAに加盟します。日本においての弓道とアーチェリーが進むべき方向性は、このときに分かれたのでした。
このような経緯もあって、全日本アーチェリー連盟は、国際的な競技として幅を広げていき、五輪にも出場しました。
その一方で、日本の弓道も独自の国際路線を切り開き、連盟の選手は世界中に活躍の場を広げています。あくまでも、日本の弓道としての精神を伝えるためです。
では、弓道も柔道のように五輪競技になることはあるのでしょうか。
かつて弓道を五輪競技にしようという働きかけはありましたが、アーチェリーのスポーツ性には劣ります。弓道は、精神性、作法、型というポイントにならない部分も評価される武道であってスポーツではありません。
では、アーチェリーの方が世界的にも競技人口が多く、スポーツとしてのイベント要素も高いのに、なぜ弓道が廃れないのでしょう。実は今でも日本ではアーチェリー人口よりも弓道人口の方が多いと言われています。弓道を求める日本人の心は変わっていないことがよく分かります。
弓道がオリンピック種目にならなくても、日本人は弓道の必要性を感じています。それは日本人の心、武士道の精神を表す武道だからです。