日本神話とは、古代より日本各地に伝えられてきた、アマテラスやイザナミなどの神様・女神様にまつわる物語のことです。古事記や日本書紀、風土記によって、日本神話は伝承されてきました。
日本列島の誕生から成り立ち、日本の建国といった様々なエピソードが展開する日本神話には、現在まで日本の天皇家に代々受け継がれる「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)、「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)の「三種の神器」が登場します。
ここでは、そんな由緒ある「三種の神器」とそれにまつわる日本神話について紹介していきましょう。日本神話にいつ鏡・勾玉・剣の「三種の神器」が登場したのか、歴史を紐解きます。
古くから伝わる刀剣と言えば、皇位のしるしとして継承される三種の神器のひとつ「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)が有名でしょう。
三種の神器は皇位継承の際に受け継がれる物であり、その由来については日本神話を伝承する「古事記」、「日本書紀」の記紀にも書かれています。
ただし記紀で神器の表記は異なっており、古事記では「八尺勾璁」(やさかのまがたま)、「八尺鏡」(やさかのかがみ)、「草薙劒」(くさなぎのつるぎ)、日本書紀では「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)、「八咫鏡」(やたのかがみ)、「草薙劒」とされています。
ちなみに記紀ともに「総称として三種の神器と呼ぶ」というような記述はないようで、日本書紀の一部に「三種の宝物」という表記があるのみ。実際、日本神話の中で勾玉・鏡・剣の三種はどのように登場しているのでしょうか。
記紀による日本神話の伝承では、この世がはじまる前の世界は混沌としていたそうです。そのうち「天」と「地」に分かれると、天には高天原(たかあまはら)が浮かび、神々が現れたとされています。その中には男神イザナギと女神イザナミもいました。そしてイザナギとイザナミによって地に様々な島や島を治める神様が生まれていき、世界が作られていったとされています。
そのイザナギから誕生した神々の中にはアマテラス、ツクヨミ、スサノオもおり、イザナギは3人の誕生を喜んでアマテラスに高天原を、ツクヨミには夜を、そしてスサノオには海を治めるよう告げたそうです。その後、日本神話の「天の安の河原の誓約」の段には勾玉と剣が登場しており、これはアマテラスが高天原を治めるようになってからの内容です。
ある日、スサノオは旅の途中で、姉であるアマテラスに会うため高天原へ立ち寄ります。ところが、もともと自由なふるまいをしていたスサノオが来たことで、アマテラスは高天原を奪いに来たのではと疑いました。
そこでスサノオは疑いを晴らすため、お互いの持ち物を使って「物事がこうなれば疑いは晴れる」と宣言をして真偽を占う宇気比(うけひ)・誓約をしました。このとき二人の持ち物として出てきたのが「八坂瓊の五百箇の御統」(やさかにのいほつのみすまる)と「十握釼」(とつかのつるぎ)、つまり勾玉と剣です。ただし、この段に鏡は登場していません。
スサノオは誓約によって、高天原を奪おうとしたという疑いは晴らすことができました。ところが調子に乗って高天原で暴れたため、姉のアマテラスは弟のスサノオに愛想を尽かし、天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまいます。日の神であるアマテラスが隠れたとたん高天原は真っ暗になり、神々は困ってしまいました。
そこで、神々はどうにかしてアマテラスを外に出そうと作戦を考えます。作戦の詳細は記紀により異なりますが、共通しているのは次のような内容です。
神々はまず珠と鏡をつくらせて賢木(さかき)にかけておきました。そして天岩戸の前で、隠れているアマテラスへ聞こえるよう賑やかにします。「外は暗いはずなのに、何故そんなに賑やかなのだろう…」と不思議に思ったアマテラスが少し顔を出したところへ鏡を向け、鏡に映った何かが気になって外へ身を乗り出したところで引き出すことに成功しました。
この内容について、記紀には賢木の枝に珠・鏡・木綿をかけて祈祷の道具としており、剣は出てきません。ただ、日本書紀の一部である「景行紀」、「仲哀紀」には、賢木に珠・鏡と、木綿ではなく釼をかける作法が登場しています。それは進軍してきた相手への服従を表すものであり、珠・鏡・釼の三種は軍事権と祭祀権を表すものとされ、「勾玉の曲妙、銅鏡の分明、鉄剣の平定」という意味があったようです。
アマテラスが天岩戸から出てくると、スサノオは高天原を追い払われることとなり、地に降り立ちました。理想の場所を探し求めて進んでいたところ、ひとりの娘を囲んで泣いている老父・アシナヅチと老婆・テナヅチに出会います。
泣いている理由を尋ねると、「8人の娘がいたが、毎年、決まった時期に八岐大蛇(やまたのおろち)がやってきては娘達をひとりずつ食べていく。今年、最後の娘であるクシナダヒメも食い殺されるのかと思うと悲しい」ということでした。八岐大蛇は8つの頭と8つの尾を持つ、聞くだけでも恐ろしい大蛇だと言うのです。
スサノオは思案したのち、「もしクシナダヒメをくれるなら、私が八岐大蛇を退治しよう」と提案し、アシナヅチとテナヅチに強い酒を用意するよう伝えました。
いよいよ八岐大蛇がやってくると、家のまわりには垣根がめぐらされおり、すぐには入れないようになっていました。8つの門を見つけて入ろうとすると、そこには大量の酒が用意されており、八岐大蛇はそれをガブガブと飲んで眠ってしまいました。
その隙にスサノオは刀を振りかざし、酔っ払って眠る八岐大蛇の体を切り刻んでいきます。尾にさしかかったとき剣先に何か硬い物があたり、なんと裂いた尾の中から剣が出てきたのです。この剣のその名称やその後は諸説あり、一説にはスサノオがこの不思議な剣をアマテラスに預け、のちに「草薙劒」と呼ばれるようになったということです。
その後は葦原の中つ国(あしはらのかなつくに)を治めたとされています。
スサノオの子孫は葦原の中つ国(あしはらのかなつくに)を長く治めていましたが、オオクニヌシの時代にアマテラスへ国を差し出すことになります。
代わりにアマテラスは孫のニニギノミコトを葦原の中つ国へ降ろし、国を治めさせることに決めました。
これは日本神話の「天孫降臨」(てんそんこうりん)の内容で、このときにアマテラスは三種の神器をニニギノミコトに授けて、「鏡を私だと思って祀りなさい」と命じました。
ニニギノミコトは葦原の中つ国に降り立つと、天にも届くような立派な宮殿を建てて国を治めるようになったということです。三種の神器はのちに皇位を継承した者が神宝として譲り受け、天皇の血族である皇統(こうとう)の証と考えられています。
この段に紹介されているアマテラスが「鏡を私だと思って祀りなさい」と命じたという伝承をもとに、神と人が同じ屋根の下に住んで起居を共にするもの「同床共殿」(どうしょうきょうでん)と考えられるようになり、鏡はとある時代まで皇居内に祀られていました。
これらの神話伝承からみても天皇と三種の神器の関係は深く、かつては厳重な保管体制のもとで地方への行幸の際に携行された時代もあったようです。ただ、三種の神器の実物は今もその姿かたちなど明らかにされていないことが多く、神秘に包まれています。