新潟県佐渡市には、日本刀を操り2人1組で組太刀を行なう「白刃」(しらは)と呼ばれる武芸があります。一時は廃れた時代もあったようですが、現在では白刃保存会が発足しており、地域の青少年へと継承されているようです。
その白刃について、また白刃に影響を与えたとされる佐渡市の伝統芸能・鬼太鼓(おんでんこ)、同じく佐渡市に伝わる流鏑馬(やぶさめ)についてご紹介します。
日本刀を操り闘った時代の名残を今に留める、佐渡市の伝統的な武芸があります。明治以降、武道という呼び方が確立されてから、柔道や剣道など心身の鍛錬を目的としたスポーツとしての現代武道に対し、戦闘のための鍛錬を目的とした武道は「古武道」と区別して呼ばれるようになりました。
佐渡市戸地(とじ)に伝わる白刃も古武道のひとつです。その昔、戸地集落にある千仏堂に大光坊という住職がおり、書画や彫刻等に加えて武術にも長けていたことから、その武術を土地の者に伝えたのが白刃のもとになっています。
その後、世の中が落ち着きこの土地の武術を試みる者が減少していきました。たまたま千仏堂に長期滞在していた正覚坊という住職が地域の武術が廃れるのを惜しみ、もとの技に佐渡の伝統芸能である鬼太鼓の動きを取り入れ、神社の祭り行事としたのが現代に伝承される白刃です。
戸地にある熊野神社では毎年10月19日に祭礼・戸地祭りが行なわれており、その日に伝統芸能として「神道土俗白刃」(しんとうどぞくしらは)の奉納があります。熊野神社での奉納後に千仏堂へ、さらにそののち集落の各戸を廻りながら白刃が奉納されます。終了後は各戸で料理のおもてなしを受けることになっており、束の間の休息となっているようです。
白刃は掛け声を上げながら薙刀(なぎなた)や棒術などを操る組太刀です。
演目の数も多く、半棒は9本、小薙刀は8本、大薙刀は11本、陣鎌は13本、大棒も13本あり、日本刀の握り方、構えの種類など様々な決まりが定められています。2人1組となって行なうもので、丸の中に「い」と書かれた紋付きを着て、額には赤または白の鉢巻をして組太刀に挑みます。若者が新たに白刃を習得していく場合はまず半棒から習い、順番に難しい技を覚えていくそうです。
現在では白刃は佐渡の古武道として貴重な伝統芸能であり、佐渡市指定民俗文化財にも指定されています。
白刃に限らず、武道は礼儀を重んじるものであり、古くから三節の礼という言葉があります。道場には神棚が祀られている、あるいは国旗が掲げられているところが多く、神前または正面に礼をします。続いて指導して下さる先生や先輩へ、尊敬と感謝の気持ちを込めて礼をします。最後に、相手に向かって相互の礼をすることで、尊敬と感謝の気持ちを表します。
白刃も同様で、棒術や薙刀術などそれぞれの演目に入る前に初礼があり、神礼と相互礼をしてから互いに歩み寄ります。一通りの組太刀が済んだのちに納刀、終礼して次の演目に移ります。決まり事が多く技も難しいため、戸地白刃保存会が結成され、技の伝承には戸地公民館が利用されているようです。
古くから佐渡に伝わる鬼太鼓とは、悪魔を払い豊年を祈る神事です。
鬼太鼓は獅子舞が変化した説、鉱山大工が打つ鳴物から発生した説などがあるようです。白刃にも取り入れられたとされる鬼太鼓は佐渡島内の各地区に伝わっており、「前浜流」、「豆まき流」、「潟上流」、「一足流」などの流派に分かれます。
前浜流の鬼太鼓は、2匹の鬼とローソ(鬼太鼓の案内人)という者が登場します。ローソがお花(ご祝儀)を頂いた家で口上を述べて、2匹の鬼が笛と太鼓にあわせて踊るものです。
豆まき流の鬼太鼓は、鬼は登場しません。単(ひとえ)仕立ての直垂(ひたたれ)である素襖(すおう)と烏帽子(えぼし)を身に付けた者が舞い踊ります。
潟上流の鬼太鼓は、2匹の鬼が交互に舞うのが特徴です。また、潟上流の中でも獅子と2匹の鬼が舞うものは、国仲系鬼太鼓と呼ばれています。
一足流の鬼太鼓は、江戸時代に相川(現在の佐渡市)で鬼太鼓と呼ばれていた原型とされています。太鼓にあわせて、片足でケンケンするように跳びながら踊ります。鬼太鼓が生み出す静と動、絶妙な間のとり方などが、現在の白刃にも影響を与えているのでしょう。
4月になると佐渡島内各地で春祭りが行なわれ、地元の鬼太鼓が地域の家を1軒ずつ回って玄関先で鬼太鼓を披露していきます。このとき、白刃と同様に各戸が鬼太鼓の一団へお料理やお酒を振る舞うのが通例となっているようです。
古武道とは、戦闘のための鍛錬を目的とした武道であり、知育・徳育・体育をかね備えた礼を重んじる武士教育でした。やがて武器の発達に伴い、扱う武器が刀とは限らないようになり、鎌倉時代には武士の間で弓馬の道が尊重されたことで、馬で走りながら鏑矢(かぶらや)を放って的を射る流鏑馬、馬で走りながら犬を追って弓で射る訓練を行なう犬追物(いぬおうもの)、笠を的にして遠距離から馬に乗って弓で射る笠懸(かさかけ)などが盛んになります。
その後、兵法や兵器が進化して集団戦闘が主流になると、弓馬に加えて刀槍術や砲術、そして棒術や杖術など様々な武術が発展していきました。明治以降は武道の武術的意義が薄れて体育としての統合があり、柔道や剣道、弓道や薙刀が現代武道として区別され、今日も発達し続けています。
佐渡市両津地区羽吉にある羽黒神社では、今でも6月に行なわれる神事で流鏑馬が奉納されており、県内でも有数の伝統行事として新潟県指定の無形民俗文化財に指定されています。
この神事は関係者が修行をする家・行屋(ぎょうや)に入るところから始まります。馬上から弓を放つ射手(いて)、馬を引く馬方、場を清める塩振り、食事を用意する賄人(まかないじん)らがお祓いを受けて行屋に入り、飲食や行動を慎んで水で体を清めて籠る斎戒沐浴(さいかいもくよく)が行なわれます。
6月15日の祭礼では鬼太鼓を舞いながら各戸をまわり、午後になると神社から御旅所(おたびしょ:祭神が巡幸するとき、仮に神輿を鎮座しておく場所)へと神輿(みこし)が出て、神輿の前で流鏑馬の奉納をし、天下泰平や五穀豊穣、家内安全を祈願します。
流鏑馬が終わると神輿が担がれて神社へ奉納され、例祭が幕を閉じます。
馬に乗って一直線に駆け抜けながら鏑矢を放つ流鏑馬は、このように神事として奉納されることもあれば、乗馬クラブなどが主体となり競技流鏑馬(スポーツ流鏑馬)が行なわれることもあります。
日本の伝統的な武道は、佐渡の白刃や流鏑馬に限らず、今も各地で継承されています。