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岩手で伝承される鬼剣舞
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岩手で伝承される鬼剣舞 岩手で伝承される鬼剣舞
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岩手県には、鬼の面を付け、日本刀を持って舞い踊る「鬼剣舞」(おにけんばい)という民俗芸能があります。鬼剣舞の迫力のある演舞は、アクロバットさながら。衣装の特徴や鬼剣舞の起源、伝承について、また鬼剣舞の他にも、岩手県に伝わる独特な剣舞をご紹介します。

北上市周辺の夏の風物詩

」と聞くと凶悪者や無法者のイメージがありますが、岩手県では鬼を「仏」に見立てて踊りを披露する民俗芸能があります。

岩手県北上市奥州市などに古くから伝わる「鬼剣舞」(おにけんばい)は、仏の化身として鬼の仮面を付け、太刀や扇子を使って時には勇壮に、ときには華麗に踊る伝統的な舞踊です。

この伝統芸能は、岩手県全域に伝わる「念仏剣舞」(ねんぶつけんばい)のひとつで、現在、北上市を中心に12の保存会が活動しており、古来の風習を今に伝えています。そのなかの岩崎鬼剣舞と滑田(なめしだ)鬼剣舞の2団体は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

鬼剣舞は、北上市で毎年8月第1土曜日に開催される「北上・みちのく芸能まつり」をはじめ、北上市周辺の地域行事やイベントなどで披露。昔はお盆になると地区の家々を回ったり、遠くの地区から供養のために招かれたりすることがありました。

大きな家の庭などで踊りを披露したあとは、その地区の人々が踊り手達をもてなしたと言われています。こうした習慣も次第に薄れ、最近ではほとんど見られなくなってきました。

披露する場所は限られてきましたが、各地域で次世代に伝統芸能を伝えようと、地元の小学校などで子供達に指導して、新しい踊り手達を育てています。

独特の装束と鬼の面の意味

鬼剣舞の装束

鬼剣舞の装束

鬼剣舞と言う名の通り、踊りのなかでは太刀が重要な道具となります。

装束では踊り手全員が腰に太刀を差していますが、「宙返り」という演目では、ひとりの踊り手が、使用する太刀を1振ずつ増やしていき、最終的には8振持って宙返り。アクロバットさながらの踊りを披露します。

剣舞としての醍醐味はもちろんですが、扇子を持って踊る演目もあり、舞踊としての魅力を最大限に引き出します。

鬼剣舞「宙返り」の一幕

鬼剣舞

鬼剣舞

踊り手の装束は毛采(けざい)を頭に被り、鬼の仮面を付けて、上半身には胸当や赤のたすき、腰には太刀を差し、腰の後ろ側には大口と呼ばれる四角いござのような物を付けます。

腕は鎖かたびらに手甲を付け、袴をはき、胸には陸奥国和賀郡(現在の岩手県北上市周辺)に本拠地があり、鬼剣舞を推奨していた和賀氏の家紋である「丸に笹竜胆」(まるにささりんどう)の紋が描かれているのが特徴です。

左手には金剛杵(こんごうしょ)、右手には扇子を持ち、凛とした出で立ちは独特の雰囲気があります。こうした装束に定着したのは、昭和初期と言われています。

鬼剣舞の踊り手は8人が基本です。全員が鬼の面を付けていますが、用いるのは白、赤、青、黒の4色で、白の面は踊り手のなかで一番上手な者が付け、残りの7人は赤、青、黒の面を付けることになっています。

面の色は季節と陰陽五行説による方位、五大明王をそれぞれ表しており、白は西・秋・大威徳(だいいとく)明王、赤は南・夏・軍荼利(ぐんだり)明王、青は東・春・降三世(ごうざんせ)明王、黒は北・冬・金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の意味。

また、この4色の他に黄色の面があり、方位は中央、季節は土用、カッカタという不動明王の化身となります。

面の形相は確かに鬼ですが、仏の化身であるため頭に角はありません。踊りの演目は一般的に12演目ありますが、多いものは18演目にも及びます。これらの踊りの多くは、念仏を唱えての輪踊りですが、祈祷を象徴する踊りや日本刀を使った踊り、宙返りなどの曲芸的な踊りもあり、バラエティに富んでいることも鬼剣舞の魅力です。

鬼剣舞は各地区の保存会で少しずつ踊りや演目が異なり、その伝承は師匠から弟子に秘伝書を伝授するかたちで行なわれてきました。

なかでも岩崎鬼剣舞の秘伝書「念仏剣舞伝」は最も古く、1732年(享保17年)に書かれたとされており、鬼剣舞の由来や演目内容、念仏回向などが記されています。

鬼剣舞の起源と伝承の謎

鬼剣舞は長い歴史を持っていますが、いつ頃、誰によって始められたのかは定かではありません。「念仏根元秘書」では、大宝年間(701~704年)に、山伏で修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が念仏普及のために、念仏を唱えながら踊ったと記され、これが起源という説も。

一方、岩崎鬼剣舞に伝わる最古の秘伝書「念仏剣舞伝」では、大同年間(806~810年)に羽黒山の法印だった善行院が荒沢鬼渡大明神(こうたくおにわたしだいみょうじん)の御堂にこもって悪霊退散のために念仏踊りをしたのが始まりと記してあります。

北上地方に鬼剣舞が広められた時期は不明。しかし、平安時代に安倍頼時(あべのよりとき)の子・黒沢尻五郎正任(くろさわじりごろうまさとう)がこの踊りを好み、将兵に出陣・凱旋の際に踊らせたのが広く世に伝わったと言われています。

また、「念仏剣舞伝」では、1360年(延文5年)に岩崎城主の岩崎弥十郎が和賀政義を城に招いて剣舞を踊らせたところ、大いに喜んで、丸に笹竜胆の紋の使用を許可したと記しています。

明治時代初期には、明治政府が発令した神仏分離令により、鬼剣舞を支えてきた修験者が排除され一時期衰退の危機に陥りましたが、地元住民の熱意によって受け継がれ、次第に息を吹き返したと言う経緯もありました。

岩手県各地に伝わる念仏剣舞

念仏剣舞

念仏剣舞

岩手県各地には「念仏剣舞」と呼ばれる民俗芸能が古くから盛んで、現在も多く残っており、鬼剣舞も念仏剣舞から派生した踊りのひとつです。

念仏剣舞は、死者や先祖を供養したり、悪霊を祓ったりするための踊りで、時代とともに芸能色を強めながら広まっていきました。

起源や発展が地域によって異なるため、それぞれにいろいろな特色があります。盛岡市では「大念仏剣舞」と「高舘剣舞」(たかだてけんばい)があり、どちらも鬼剣舞のような面は用いません。

大念仏剣舞は、仏を供養し浄土を求める気持ちの強い念仏剣舞で、また高舘剣舞は反閇(へんばい)という地面を力強く踏みしめる動作と刀によって悪霊を鎮める色合いが濃いことから、修験道を反映していると考えられています。

他にも念仏剣舞から女児の踊りの部分を切り離し独立させた「雛子剣舞」(ひなごけんばい)は、女児の華やかな舞踊と太鼓の曲打ちを中心とした剣舞で、「煤孫ひな子剣舞」(すすまごひなごけんばい)と「道地ひな子剣舞」(どうぢひなごけんばい)は、岩手県の無形民俗文化財に指定されています。

さらに奥州市の朴ノ木沢念仏剣舞は、平泉の高館で無念の最期を遂げた源義経の亡霊を鎮めるために作られたとされる「高館物怪」(たかだてもっけ)を継承していると伝えられます。

他にも奥州藤原氏や前九年の役で朝廷に亡ぼされた安倍氏などの怨霊を鎮めるためとするものも見られ、地域の歴史や伝説などと結び付いたものも少なくありません。

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