『実朝の首』が初の書き下ろしとなった葉室麟(はむろりん)。『銀漢の賦』で松本清張賞を、『蜩ノ記』で直木三十五賞を受賞しました。54歳で作家デビューし、この世を去るまでの12年の作家活動の間に60冊以上の単行本を出しました。故郷にこだわった題材や静謐な文体から藤沢周平の継承者と語られることも多いものの、葉室麟は白土三平の影響を公言します。その多くの作品では伝奇的な要素が重んじられています。
葉室麟は、北九州市小倉に生まれます。在住地だった福岡県久留米市を拠点に、地方記者などを経て54歳の年、短編「乾山晩愁」(2005年『歴史読本』掲載)で第29回歴史文学賞を受賞しました(2005年)。
江戸時代中期の陶工・尾形乾山(おがたけんざん)を主人公に書きました。絵師・尾形光琳の実弟・尾形乾山を主人公にした理由については、華やかな光である兄に対し、影としてかすんだ弟に惹かれたためと言います。
歴史文学賞受賞後、『実朝の首』(2007年)を書き下ろします。
鎌倉幕府第3代征夷大将軍で武士として初の右大臣となった源実朝(みなもとのさねとも:鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝と正室・北条政子との間の二男)が、鶴岡八幡宮で開催された右大臣拝賀式で殺され、首の行方が分からないままとされる史実をもとに書きました。
実行犯は鶴岡八幡宮の別当・公暁(くぎょう:鎌倉幕府第2代征夷大将軍・源頼家の子。源実朝は叔父)です。源実朝が殺されたことで、鎌倉幕府における源氏将軍は3代で終焉します。今もその背景が諸説語られるこの事件を題材に、葉室麟は首を争奪する人々の思惑を独自の視点で描きました。
葉室麟は若き頃に大きな影響を受けた作家・作品として、白土三平の劇画『忍者武芸帳 影丸伝』、司馬遼太郎の時代小説『竜馬がゆく』、隆慶一郎の恩師・小林秀雄の評論『モオツァルト』の3作を挙げています。葉室麟初期作からは特にその影響がうかがえます。
『実朝の首』では、鎌倉時代に記された北条氏側の歴史書『吾妻鏡』と朝廷側の歴史書『愚管抄』の記述以上に、鎌倉幕府と朝廷との対立の物語が大いに創作されました。
源実朝サイドでは源実朝の寵臣・和田朝盛が、源実朝を殺した公暁サイドでは首を持って逃げ回る公暁の従者で稚児の弥源太が重要な役どころを果たします。
公暁の源実朝への行動は父への恨みからとされています。公暁の父・源頼家は、鎌倉幕府を混乱に陥れたことを理由に北条氏から追放されたのち暗殺されました。その裏には公暁を討ち取ることになる三浦義村(妻が公暁の乳母)と北条義時(鎌倉幕府第2代執権。北条政子の弟)とのつながり、鎌倉幕府を警戒する後鳥羽上皇の暗躍があったとも言われます。
ここに葉室麟は、河内源氏・源頼朝とは別の摂津源氏の末裔・源頼茂(大内守護:御所を守護する番役)の暗躍と、親王を朝廷から迎えて征夷大将軍として擁立しようとした北条政子の史実の裏に源実朝の悲願を創作しました。
『実朝の首』で葉室麟は、後鳥羽上皇のすべての行動原理を宝剣の喪失に見出します。三種の神器のうち壇ノ浦の戦いで宝剣が失われた時期に即位した後鳥羽上皇は、御番鍛冶を置き、自ら作刀したことでも知られます。
神器を欠いた天子であったことは長らく後鳥羽上皇の胸に澱のように沈んでいた。
神器無き天子は正統性を欠くのではないか、と悩まれたのである。
「愚管抄」を書いた慈円は宝剣が失われたことについて、武家が台頭して宝剣に代わって朝廷を守る世になったため、宝剣は無くなったのだという意味のことを言っている。
さらに、今は鎌倉の将軍が世の中を治めているから天皇と将軍が仲違いをすれば世が乱れる、京と鎌倉は融和すべきだとしている。
失われた宝剣にこだわれば京と鎌倉が対立しての乱が起きると警鐘を鳴らしたのだ。
しかし、後鳥羽上皇は、そうは思われなかった。
神器の宝剣はどうしても取り戻さなければならないものだった。このため太刀に執着されたのである。『実朝の首』より
また『実朝の首』では、葉室麟作品の重要な要素、和歌も効果的に登場します。
源実朝は和歌にも秀で、『新古今和歌集』の編者の1人である藤原定家の弟子でした。『新古今和歌集』は後鳥羽上皇の命によって編纂されました。
葉室麟は投稿作『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞します(2007年)。
江戸時代後期、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の時代、北九州を想起させる西国の小藩で生きる老年を迎えた武士の物語です。表題の「銀漢」は天の川を意味し、北宋の詩人・蘇軾(そしょく)の漢詩の一節から採られました。
『銀漢の賦』の主人公は、月ヶ瀬藩の家老・松浦将監と郡方・日下部源五の2人です。2人は共に磯貝道場で剣の腕を磨いた下級武士でした。やがて岡本小弥太(松浦将監の幼名)は松浦家に婿養子となり、出世したことで2人の身分は違っていきます。
そして2人の友人で同じ道場仲間だった百姓の十蔵の死をきっかけに絶交に至ります。そんな2人が藩内のある動きをきっかけに20年ぶりに向き合うことになります。
同作は受賞の8年後、『風の峠~銀漢の賦~』の表題でテレビドラマ化されました。
『銀漢の賦』以後、葉室麟は生活拠点の九州を主な舞台にした時代小説を多数発表していきます。
黒田官兵衛(福岡藩初代藩主・黒田長政の父)の若き頃をキリシタンの視点で書いた書き下ろし『風渡る』(2008年)と連作短編集『風の王国 官兵衛異聞』(2008~2009年『KENZAN!』『小説現代』掲載。文庫化の際『風の軍師 黒田官兵衛』改題)。
妻が一首の和歌を望みそれを探し求める夫という夫婦を主人公にした書き下ろし『いのちなりけり』(2008年)では、佐賀藩2代藩主・鍋島光茂が治める同藩の支藩・小城藩を舞台に、関ヶ原の戦い以後に龍造寺家から鍋島家が簒奪するかたちとなった過去の因縁が大きくからみます。小城藩のお家芸・柳生新陰流の剣客も暗躍し、葉室麟は五味康祐『柳生武芸帳』の参照を明かしています。
江戸時代前・中期、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱と5代将軍・徳川綱吉の時代でもある同シリーズでは、書き下ろしの続編『花や散るらん』(2009年)では赤穂事件がからみます。
その後、筑前国(現在の福岡県)の福岡藩の支藩・秋月藩で起こった史実をもとに、第10代藩主・黒田長元が流罪にした藩士・間小四郎を主人公に書き下ろした『秋月記』(2009年)を経て、豊後国(現在の大分県)の架空の藩・羽根藩シリーズ『秋蜩(ひぐらし)』(2010~2011年『小説NON』掲載)を発表します。
単行本化の際『蜩ノ記(ひぐらしのき)』と改題された同作は、3年後に切腹が決まっている武士が主人公です。主人公が蟄居先で家譜編纂を行なうなかで、お家騒動の裏にあった謎が徐々に明らかになっていきます。
同作で葉室麟は第146回直木三十五賞を受賞しました(2011年)。受賞の翌年にラジオドラマ化。その2年後に映画化され、葉室麟の最初の代表作となりました。
以後、九州を舞台にしたシリーズを多数発表します。
秋月藩シリーズ(『蒼天見ゆ』)、羽根藩シリーズ(『潮鳴り』『春雷』『秋霜』『草笛物語』)の他に、羽根藩と同様に豊後国の架空の藩・黒島藩シリーズ(『陽炎の門』『紫匂う』『山月庵茶会記』)です。九州以外と想像される架空の小藩・扇野藩シリーズ(『さわらびの譜』『散り椿』『はだれ雪』『青嵐の坂』)も執筆します。
直木三十五賞を受賞した葉室麟は次々と依頼に応え、生き急ぐかのように時代小説の執筆を行ないます。
文藝春秋(『恋しぐれ』『無双の花』『山桜記』『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』『嵯峨野花譜』『大獄 西郷青嵐賦』)。朝日新聞出版(『柚子の花咲く』『この君なくば』『風花帖』『風のかたみ』『星と龍』)。新潮社(『橘花抄』『春風伝』『鬼神の如く 黒田叛臣伝』『玄鳥さりて』)。双葉社(『川あかり』『螢草』『峠しぐれ』『あおなり道場始末』)。早川書房(『オランダ宿の娘』)。集英社(『冬姫』『緋の天空』『蝶のゆくへ』)。講談社(『星火瞬く』)。実業之日本社(『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』『草雲雀』)。PHP研究所(『霖雨』『墨龍賦』『暁天の星』)。徳間書店(『千鳥舞う』『天の光』『辛夷の花』『雨と詩人と落花と』)。日刊現代(『おもかげ橋』)。角川春樹事務所(『月神』『神剣 人斬り彦斎』)。幻冬舎(『風かおる』『潮騒はるか』)。公明新聞(『はだれ雪』)。KADOKAWA(『孤篷のひと』『天翔ける』)。毎日新聞(『津軽双花』)。中日新聞(『影ぞ恋しき』)。以上、多くの出版社・新聞社から時代小説を発表しました。
なかでも戦国武将は、豊後国(現在の大分県)出身の立花宗茂の半生を『無双の花』(2011年『オール讀物』連載)で記しました。立花宗茂は豊臣秀吉に仕え、九州平定で活躍し柳川城の城主になります。けれども関ヶ原の戦いで敗れ改易。浪人となったその後、徳川家康に信頼され、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の時代に大名として柳川城城主に異例の復帰をしました。
立花宗茂が婿入りした立花城の城主だった立花誾千代も異例の女性城主としてよく知られます。葉室麟は立花宗茂の存在を海音寺潮五郎の短編「立花宗茂」から知ったと言います。
葉室麟は初期作の『風渡る』と『風の王国 官兵衛異聞』以来、黒田家を書き続けました。両作で葉室麟は、高校時代に読んだと言う吉川英治『黒田如水』の忠臣的とも、司馬遼太郎が商人としての黒田官兵衛を書いた『播磨灘物語』とも違う、キリシタンとしての黒田官兵衛を描きました。
以後、12代続いた黒田家福岡藩の様々な時代を記します。
福岡藩の支藩・秋月藩第10代藩主で江戸時代後期を生きた黒田長元の時代を舞台にした書き下ろし『秋月記』(2009年)。福岡藩3代目藩主・黒田光之の重臣・立花重根とのお家騒動の史実に基づいた『橘花抄』(2009~2010年『週刊新潮』連載)。福岡藩第11代目藩主・黒田長溥が治める幕末の福岡藩の藩士・月形洗蔵とその従兄弟・月形潔を主人公にした書き下ろし『月神』(2003年)。福岡藩第2代目藩主・黒田忠之と対立した家臣・栗山大膳利章を主人公とした『鬼神の如く 黒田叛臣伝』(2014年『小説新潮』連載)と続きます。第53作目NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の放送時期とも重なりました(2014年)。
さらにフィクション性のより強い、『風かおる』(2014~2015年『PONTOON』連載)とその1年後を書いた『潮騒はるか』(2016年『PONTOON』連載)も執筆しました。黒田長溥時代の幕末の黒田藩に仕える養父を持つ鍼灸医の娘を主人公としています。
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』は、第20回司馬遼太郎賞を受賞しました(2016年)。
同作は黒田騒動が題材です。福岡藩第2代目藩主・黒田忠之の謀反を、家老の栗山大膳が江戸幕府へ訴えた騒動です。伊達騒動(仙台藩第3代藩主・伊達綱宗への家臣の反乱)と加賀騒動(加賀藩第8代藩主・前田重煕の暗殺未遂事件)とならんで江戸時代に起こった三大お家騒動としてよく知られます。いずれも歌舞伎や講談によって広まりました。
葉室麟は古くは森鴎外の短編「栗山大膳」や、海音寺潮五郎が『列藩騒動録』などで書いた黒田騒動を、家老の栗山大膳が藩を守るための身を挺した知略としました。山本周五郎が伊達騒動を題材にした『樅の木は残った』で描いた原田甲斐を彷彿とさせます。
そんな『鬼神の如く 黒田叛臣伝』で葉室麟は、宮本武蔵と夢想権之助を登場させます。
黒田長政(福岡藩初代藩主)と細川忠興(小倉藩初代藩主)とは、共に豊臣秀吉の家臣だったものの犬猿の仲となります。そんな福岡藩には神道夢想流杖術の創始者・夢想権之助が仕えていました。一方、小倉藩には二天一流兵法の開祖・宮本武蔵が客分として招かれていました。
葉室麟は同作のなかで、宮本武蔵の伝記『二天記』などに記された夢想権之助と宮本武蔵との対決を藩抗争のなかに独自に取り入れました。
「もはや、勝負はこれまでだ」
武蔵が怒号すると、権之助は杖を斜めにして踏み出した足に添えた。先夜、武蔵に対してとった、水月を撃つ構えだ。
「さような技はもはや見切った」
武蔵が跳躍した時、杖は吸い寄せられるように武蔵の水月を狙って突き出された。宙に飛んだ武蔵は杖を両断する。
地に立っていれば、権之助の突きを避けられなかったかもしれないが、跳躍した武蔵を狙ったことで、杖の勢いがわずかに削がれた。
だが、地面に降り立った武蔵は、うめいて膝を突くなり、腹に突き立った枝を払いのけた。
「夢想、これが貴様の新たな秘技か」
武蔵は凄まじい目で権之助を睨む。権之助は腰の刀を抜いた。
「いかにもそうだ。お主を倒すには杖を捨てるしかないと悟ったぞ」
権之助は突いた枝が武蔵によって両断されることを想定していた。
その際、枝の先端が斜めに斬られるようにして、手元に残った枝を武蔵に向って投じたのだ。先端がとがった杖は、武蔵の腹に突き立った。『鬼神の如く 黒田叛臣伝』
また『鬼神の如く 黒田叛臣伝』では、江戸時代初期、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠と3代将軍・徳川家光の時代、豊臣家臣で外様大名が取りつぶしになった背景を踏まえます。広島藩初代藩主・福島正則が改易。熊本藩初代藩主・加藤清正の三男で第2代藩主・加藤忠広が改易となっていました。
葉室麟は黒田家も、3代将軍・徳川家光-幕府老中・土井利勝-長崎奉行・竹中采女正の流れで取りつぶしが図られていたのではとします。そして、徳川家光に仕えた柳生十兵衛と夢想権之助とが剣を交える場面を書きました。
十兵衛は鉄杖を刀で払いつつ、頭上の杖で片手なぐりに権之助の首筋に打とうとした。権之助の鉄杖が大きくまわってこれを撥ね返す。
権之助は杖を槍のように構えて十兵衛の胸を突いた。
十兵衛はしのいで退きながらも、胸に権之助の杖を受けて、倒れそうになったが踏みとどまった。
権之助はいったん杖を引いたと見せて、もう一度突く。そのとき、十兵衛は刀で払いつつ、後ろへ下がった。『鬼神の如く 黒田叛臣伝』
葉室麟は晩年、新聞連載も多く執筆しました。
藩内抗争の末に武士の身分を捨てて商人となった主人公と、その過去の恋愛を書いた『おもかげ橋』(2012年『日刊ゲンダイ』連載)。扇野藩シリーズで赤穂事件のその後を書いた『はだれ雪』(2014年『公明新聞』連載)。石田三成の娘(陸奥国弘前藩第2代藩主・津軽信牧の側室)と徳川家康の姪(津軽信牧の正妻)との津軽家での争いを書いた『津軽双花』(2015年『毎日新聞』連載)。
それらを経て『影ぞ恋しき』(2017年『中日新聞』他複数連載)が、最後の長編時代小説となります。同作は『いのちなりけり』『花や散るらん』の続編でした。
未完のままとなった『星と龍』(2017年『週刊朝日』断筆)では、楠木正成と後醍醐天皇が主人公です。楠木正成の夢のなかには南宋の宰相・文天祥や武将・岳飛が登場します。後醍醐天皇が傾倒した朱子学(武力ではなく天子を中心とする思想)を生んだ南宋を滅ぼした、元王朝初代皇帝フビライの脅威もほのめかされ、独自の『太平記』が目指されていました。楠木正成の師匠として僧侶・無風も創作されます。白土三平『忍者武芸帳 影丸伝』の主要人物・無風道人と同様の名前が使用されています。
松本清張賞受賞作『銀漢の賦』や直木三十五賞受賞作『蜩ノ記』など老成を主題とした作風と同時に、葉室麟は伝奇的な作風を最期まで書き続けました。