『壬生義士伝』で自身初の時代小説を書いた浅田次郎(あさだじろう)。以来、江戸時代後期から幕末を舞台にした多くの時代小説を書きます。武士道の理不尽さを注視するその時代小説群では、あくまでエンターテインメントとして物語が紡ぎ出されます。
浅田次郎は、学生時代から投稿を続け、陸上自衛官など多彩な職業に就くなかで雑誌ライターを始めます。そして、自身の裏社会での生活体験をもとにした極道エッセイ『とられてたまるか!』(1990年『週刊テーミス』連載)で浅田次郎名義を用い、初の単行本となりました(のち『極道放浪記 殺られてたまるか!』改題)。
以後、主に悪漢小説を書くなかで(『きんぴか』シリーズ、『プリズンホテル』など)、現代(平成)と過去(昭和)とを地下鉄を通じて行き来する男の人生の物語『地下鉄(メトロ)に乗って』(1994年)で第16回吉川英治文学新人賞を受賞しました(1995年)。
近・現代の中国を舞台にした歴史小説『蒼穹の昴』シリーズ(1996年~)発表後、北海道の廃線間近のローカル鉄道の駅長を主人公にした表題作を含む短編集『鉄道員(ぽっぽや)』(1997年)で日本冒険小説協会大賞・特別賞と第117回直木三十五賞を受賞しました。
直木三十五賞受賞後、47歳の年、浅田次郎は新選組物を発表します。
『壬生義士伝』(1998~2000年『週刊文春』連載)です。浅田次郎初の時代小説となった同作は上下巻として単行本化された年、第13回柴田錬三郎賞を受賞しました(2000年)。受賞の2年後にテレビドラマ化、その翌年に映画化され、浅田次郎は時代小説家としても広く認知されます。
『壬生義士伝』では、盛岡藩を脱藩し新選組隊士となった実在の人物・吉村貫一郎(よしむらかんいちろう)が主人公に選ばれています。題材の選定は、浅田次郎の娘が岩手医科大学に進学したことがきっかけでした。
同作は、新選組の屯所となった西本願寺の寺侍・西村兼文による手記『新撰組始末記』と多くの新選組小説の端緒となる子母澤寛の『新選組物語』の先行資料に基づき、吉村貫一郎を何よりも貧乏を嫌い、妻子のために銭を重んじる人物として大いに創作されます。また物語は、大正初期を生きる北海道出身の記者による取材形式という、捕物帳物の創始者・岡本綺堂が『半七捕物帳』で試みた同種の手法が用いられます。
『壬生義士伝』は吉村貫一郎の切腹から始まります。
鳥羽・伏見の戦いで賊軍となった新選組の吉村貫一郎は、戦いのなか傷だらけの姿で脱藩した盛岡藩の大坂蔵屋敷に逃げ込みます。蔵屋敷には幼馴染・大野次郎右衛門が御蔵役をしていました。吉村貫一郎が国元に戻りたいと伝えるも、大野次郎右衛門は主家に逆らったとして武士らしくと切腹をと家宝の大和守安定(やまとのかみやすさだ)を手渡します。
大和守安定――か。
見回組の佐々木先生が持っていた刀と同じもんでござんす。さだめし切れ味はよかろうな。はて、そう言やァ次郎衛殿は、この刀を、わしに呉でやると言うた。銭こ出して買えば、二百両も三百両もする名刀であんす。腹を切るときになって、はあ、何とももったいね。
(中略)
だあれもわしに、切腹の作法を教えてくれながった。つまりは、わしは侍とも百姓ともつかね卑すい小身者だから、よもや腹を切って死ぬはずァねから、だあれも教えてくれながった。『壬生義士伝』より
他にも作中で日本刀は、近藤勇の長曽祢虎徹、土方歳三の和泉守兼定、沖田総司の加州清光と大和守安定、斎藤一の池田鬼神丸国重と津田助広などがふれられます。
浅田次郎は新選組三部作を書く間、時代小説の短編を多数執筆します。
短編集『五郎治殿御始末』(2003年)には、武士の明治維新後の姿を書いた6編の短編が収められました(2000~2002年『読売旅行』『中央公論』不定期掲載)。収録作、藩主・井伊直弼を守れなかった彦根藩の下級武士の敵討の行く末を書いた短編「柘榴坂の仇討」(2002年『中央公論』掲載)は、発表から12年後に映画化されました。
短編集『お腹召しませ』(2006年)では、武士の悲哀を描いた6編の短編が収められました(2003~2005年『中央公論』連載)。浅田次郎は同作で、第1回中央公論文芸賞と第10回司馬遼太郎賞を受賞しました。
表題作の短編「お腹召しませ」(2003年『中央公論』掲載)では、娘婿の不始末で腹を切ることになった舅の武士の苦悩がユーモラスに書かれます。同短編は、発表の前年に直木三十五賞を受賞した乙川優三郎の中・短編集『生きる』の表題作のパロディとしても読めます。
新選組三部作終了後、浅田次郎は新たに時代小説の長編を執筆します。
『一路』(2010~2012年『中央公論』連載)です。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の時代を舞台に、江戸時代後期には形骸化していた参勤交代を軽妙に描きました。
主人公は無役の旗本・蒔坂左京大夫の家臣、小野寺一路(おのでらいちろ)です。交代寄合でもある蒔坂家は、一万石以上の大名よりも禄高は少ないものの領地を持ち、参勤交代も義務づけられています。
あるとき道中御供頭の小野寺一路の父が火事で急逝。江戸で暮らす小野寺一路は家督を継ぐことになります。出火の責任回避と引き換えに参勤交代を無事に執り行う交換条件を出されるも、それまで江戸暮らしの小野寺一路は参勤交代について何も知りません。しかし、国元の西美濃(現在の岐阜県西部)から12泊13日かけて真冬の江戸を目指す参勤交代に挑みます。その裏には、蒔坂左京大夫を追い落とそうとする重臣で左京大夫の甥・蒔坂将監の陰謀がありました。
『一路』は単行本化の年、第3回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞(2013年)。単行本化の2年後には、BS時代劇にてテレビドラマ化されました(2015年)。
小野寺一路は参勤交代の術を、先祖が残した行軍録・御供頭心得に頼ります。江戸時代初期に記されたとするその書物には、「参勤交代は行軍、戦そのものである」とありました。
参勤交代の一行は、徳川家康の2本の槍、武田信玄からの大具足(鎧・兜)を持参し、古式に則り、数々の難所にも立ち向かいながら一所懸命に江戸を目指します。
いかにも神さびた御神体の箱は、異様なほど長い。蓋には「慶長庚子歳拝鑓二筋銘城州埋忠作」とあった。
(中略)
箱を封じた紙縒を小柄で切り、蓋を開ける。真綿を敷き詰めた褥の上に、目の醒めるほど鮮かな朱色の槍が二筋、眠るがごとく横たわっていた。
長い。一丈の上、人の身丈の倍はある。朱色の長柄には赤胴の蛭巻が施されており、それもよほど手入れが行き届いているものか一点の錆もなかった。朱塗と赤胴の取り合わせが美しい。『一路』
古式に則って御本陣の床の間に飾られるその具足には、東照神君御拝領の二筋槍よりもさらに旧い由来がある。戦国の覇権がいまだ定まらなかったころ、蒔坂家の祖が武田信玄公より賜った大具足の一領であった。そもそも割菱の御家紋も、その具足箱に印された武田菱にちなむのである。
家康公は戦国の英雄たる信玄公を敬し、その遺臣や縁故の武将を武門の名流として多く召し抱えた。本来は外様たる蒔坂家が、交代寄合表御礼衆という格別の旗本たりうるのも、信玄公縁故と認められたからであり、なかんずくにその証拠の品こそ、かの鎧櫃に納められた「黒漆総覆輪筋兜」および「黒地黒絲縅胴丸」であった。
参勤道中にこれを背負うのは名誉である。中間小者は手を触れることも許されず、屈強の侍が背負い通す定めであった。しかるにいかなつわものとはいえ、誰の力も借りずに与川崩れを越ゆるのは至難であったのだ。『一路』
『一路』が受賞した本屋が選ぶ時代小説大賞は、『オール讀物』編集部が主催し、4~5名の本屋店員が選考委員を務めています(2011年~)。
浅田次郎受賞以前には、伊東潤『黒南風の海 加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』、澤田ふじ子(『陸奥甲冑記』『黒染の剣』など)の娘・澤田瞳子『満つる月の如し 仏師・定朝』、浅田次郎と同時受賞の朝井まかて『恋歌』が受賞しています。
浅田次郎受賞以後は、岩井三四二『異国合戦 蒙古襲来異聞』、中路啓太『もののふ莫迦』、垣根涼介『室町無頼』、佐藤巖太郎『会津執権の栄誉』、奥山景布子『葵の残葉』が続きます。
『一路』をテレビドラマ化したBS時代劇は、本屋が選ぶ時代小説大賞と同じ年に始まりました。デジタル放送完全移行の年です(2011年~)。
浅田次郎原作以前では、司馬遼太郎『新選組血風録』、池上永一『テンペスト』、津本陽『塚原卜伝十二番勝負』『柳生十兵衛七番勝負』、佐伯泰英『居眠り磐音 江戸双紙』『酔いどれ小籐次』、手塚治虫『陽だまりの樹』、五味康祐『薄桜記』、高橋克彦『火怨 北の耀星アテルイ』、風野真知雄『妻は、くノ一』、池波正太郎『雲霧仁左衛門』、藤沢周平『神谷玄次郎捕物控』『秘太刀 馬の骨』『風の果て』、澤田ふじ子『公事宿事件書留帳』シリーズ、などがテレビドラマ化されました。
こうした時期、映画界でも時代劇に力が入れられています。
<サムライ・シネマキャンペーン>と題した取り組みが行なわれ、池宮彰一郎原作『十三人の刺客』(東宝)、吉村昭原作『桜田門外ノ変』(東映)、池宮彰一郎原作『最後の忠臣蔵』(ワーナー・ブラザース)、宇江佐真理原作『雷桜』(東宝)、磯田道史原作『武士の家計簿』(松竹/アスミック・エース)が順に公開されました(2010年)。
その後、浅田次郎は新聞連載でも時代小説を発表します。
『椿山課長の七日間』(2001~2002年『朝日新聞』連載)と『おもかげ』(2016~2017年『毎日新聞』連載)の現代劇の執筆の間に、『黒書院の六兵衛』(2012~2013年『日本経済新聞』連載)と『流人道中記』(2018年~『読売新聞』連載中)の時代小説を執筆しています。
『黒書院の六兵衛』では、江戸城無血開城のなかで江戸城に居座る謎の御書院番士とその排除の任を負った徳川御三家のひとつ尾張藩の下級藩士とのやりとりを。『流人道中記』では、江戸時代末期を舞台に江戸から蝦夷へ護送される切腹を拒んだ旗本と貧乏な与力見習いの道中劇を書きます。
江戸時代後期から幕末を舞台に多くの時代小説を書く浅田次郎。その物語では、武士道の理不尽さをエンターテインメントとして描くことがこだわられています。