『武王の門』で自身初の歴史小説に挑んだ北方謙三(きたかたけんぞう)。その初期作では、歴史学者・網野善彦による当時最新の中世研究が踏まえられました。後醍醐天皇を中心とした時代を舞台に、武力を有する公家と土地に縛られない武士(悪党)との拮抗を北方謙三はとらえようとしました。
北方謙三は、大学在学中に純文学の短編で作家デビューします(1970年)。大江健三郎以来の学生作家と称されるもなかなか日の目を見ず、「ハードボイルドの新星」と謳った書き下ろし『弔鐘はるかなり』で再デビュー後(1981年)、ようやく人気作家の仲間入りを果たしました。
以来、映画化もされる人気小説を多数執筆することになります(『逃れの街』『友よ、静かに瞑れ』『黒いドレスの女』など)。そして『眠りなき夜』(1982年)で第4回吉川英治文学新人賞と第1回日本冒険小説協会大賞を受賞しました。
北方謙三はハードボイルド作家として人気となるも縮小再生産への恐れのなかで、歴史かSFに活路を見出します。そして不得手なSFはあきらめ、歴史小説に挑みます。
この時期(35~40歳まで)、それまで愛読していた中里介山、白井喬二、吉川英治、林不忘、山本周五郎、柴田錬三郎、池波正太郎、司馬遼太郎らの歴史・時代小説家の古典を改めて研究し直したと言います。全28巻『日本の歴史』(中央公論社)も2度通読したことも明かしています。
そして41歳の年、南朝初代天皇・後醍醐天皇が南朝勢力波及のために全国に送った皇子の1人、懐良親王(かねなが-かねよししんのう)を主人公とした『武王の門』(1988~1989年『週刊新潮』連載)で、初の歴史小説を書きました。
掲載誌はそれまで、隆慶一郎『吉原御免状』(1984~1985年)、渡部淳一『別れぬ理由』(1986~1987年)が連載されていました。当時は歴史学者・網野善彦の中世研究がブームで隆慶一郎もその影響下にあり、北方謙三は網野善彦に直接教えを乞うています。
『武王の門』では南朝の面々、懐良親王の兄・大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう:天台座主・征夷大将軍)、楠木正成、名和長年、北畠顕家、新田義貞、後醍醐天皇が順にこの世を去ったあとの時代が書かれます。
主人公の懐良親王は、京の北朝(光明天皇・崇光天皇・足利尊氏)打倒を奈良の吉野(南朝)から目指した父・後醍醐天皇によって九州攻略のため征西将軍に任命されていました。懐良親王は九州上陸前、瀬戸内海の忽那(くつな)諸島に滞在し、諸島を拠点とした武将・忽那義範を味方に北朝方と戦っています。懐良親王は四国を経たのち九州に渡り、肥後国の武将・菊池武光と共に九州の北朝勢力を一掃します。同作を書くうえで北方謙三は、自身が佐賀県(かつての肥後国)出身だった影響も明かしています。
北方謙三は、皇子でありながら戦場に立った懐良親王の武人としての始まりを、忽那諸島にて北朝方の兵を斬ることで表現しました。懐良親王は牧宮(まきのみや)とも呼ばれました。
「儂が斬ったのだな、その兵を」
「儂などと申されますな、征西将軍宮ともあろうお方が」
「おまえまで、そう言うか、義範」
「余人なき時はいざ知らず、いまは、兵どもの眼もあります故に」
かすかに、牧宮は頷いたようだった。
義範は、まだ牧宮の手に握られたままの太刀を受けとり、自らの指で丁寧に血を拭った。牧宮は、眼を閉じている。
「人を斬った、この手でな」
「ここは、戦場でございます。ここにおられるかぎり、たとえ御所様といえど、襲いかかる敵は倒さねばなりますまい」
「後悔しておるのではない。戦をしたかった。いや、しなければならぬと思った」『武王の門』より
北方謙三はその後も南北朝時代に記された軍記物語『太平記』に基づく小説を書きます。
『破軍の星』(1990年『小説すばる』連載に書き下ろし)では『武王の門』から50年ほど前の時代を舞台に、公家出身の武将・北畠顕家(きたばたけあきいえ)を主人公に書きました。
北畠顕家は後醍醐天皇の命によって懐良親王の兄・義良親王(のりよししんのう:のちの南朝第2代天皇・後村上天皇)に従い、東北の豪族を治めるべく陸奥守となります。けれども、後醍醐天皇に対して挙兵した足利尊氏と京で戦うことになります。足利尊氏は後醍醐天皇配下として鎌倉幕府を打ち倒したものの(元弘の乱)、その後の後醍醐天皇の政策(建武の新政)による恩賞への不満から挙兵しました。北畠顕家は、北朝方となった足利尊氏軍を九州へ追いやるも、その後すぐに力を付けた足利尊氏軍と和泉国で再び戦い、命を落とすことになります(石津の戦い)。
『破軍の星』ではこうした北畠顕家の生涯が記されます。同作は第4回柴田錬三郎賞を受賞しました。
『破軍の星』では北畠顕家が陸奥守として活躍するなかで、父・北畠親房(『神皇正統記』著者)とのやりとりが書かれます。北方謙三は北畠顕家を、公家と武士との間で悩む存在として描きました。
二、三歩、顕家は庭の大木に歩み寄った。
「政事をなす者と、戦場で軍勢を動かす者が、同じではない方がいいだろう、と私は考えはじめています。しばらく、陸奥守でいただけの経験ですが」
「まさにそうじゃ」
(中略)
「口にせずとも、考えぬわけにはいきません。あそこから、なにかが狂ったのではないでしょうか。足利尊氏が逆賊と化したとして、その討伐を、私は新田義貞となさねばならないでしょう。大塔宮と私が、京と陸奥で呼応して討伐に立つということは、もうできません。武士である新田義貞と組むしかないでしょう。それは、第二の足利尊氏を作るだけのことになりませんか?」
「武士ではないおまえが、新田義貞より大きくなれば、第二の足利尊氏は現われまい」『破軍の星』
北方謙三は『太平記』の世界を書くうえで、網野善彦の研究成果のひとつ、悪党の視点で公家も武士もとらえます。網野善彦は土地を報償と強く重んじる東国の武士に対し、荘園領主に対抗した土地に縛られない自由な存在を悪党として特に注目しました。悪党とは、土地に縛られなかった御家人(*武士の敬称)だけでなく、海賊、芸能民、商業民、ばさら者など主に非農業民を指します。
室町幕府・第3代将軍で南北朝を統一した足利義満の時代を舞台にした『陽炎の旗 続・武王の門』(1991年『小説新潮』連載)以後、北朝・足利方に付いた播磨の守護大名・赤松則村(法名:円心)を朝廷方でも武家方でもなく商才に長け、己のために生きると人物として書いた『悪党の裔』(1991~1992年『中央公論』連載)。京の妙法院の焼き討ちで知られる北朝・足利方に付いた近江の守護大名・佐々木道誉をただ毀(こわ)したいとするばさら者として書いた『道誉なり』(1995年『小説中公』連載)です。
そして、南朝方2作(『武王の門』『破軍の星』)、北朝方2作(『悪党の裔』『道誉なり』)を書いたのち、荘園を持たず物流に長ける人物として河内の悪党・楠木正成を書いた『楠木正成』(1999~2000年『中央公論』連載)の南朝方を書きました。
『太平記』に基づく歴史・時代小説は遡れば、満州事変の時期に多く書かれました。
直木三十五『楠木正成』(1932年)、第2回直木三十五賞受賞作・鷲尾雨工『吉野朝太平記』(1935~1940年)、大佛次郎『大楠公』(1936年)、武者小路実篤『楠木正成』(1937年)などが建武中興六百年祭(1934年)・大楠公600年大祭(1935年)と同時期に執筆されました。
戦後には、山岡荘八『新太平記』(1957~1962年)、吉川英治『私本太平記』(1959年)などがあります。北方謙三が『太平記』に取り組んでいる時期には、第29作目のNHK大河ドラマでは吉川英治『私本太平記』原作『太平記』(1991年)が放送されました。
『太平記』に基づく歴史小説を書く一方で北方謙三は、時代小説『日向景一郎』シリーズ(1993~2010年『週刊新潮』連載)も書きます。同作の掲載誌は、かつて五味康祐『柳生武芸帳』と柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』による剣豪ブームを起こしました。北方謙三は自身初の歴史小説『武王の門』も書いた同掲載誌を拠点に、剣豪小説の伝統を復活させました。
『日向景一郎』シリーズは、風樹の剣、降魔の剣、絶影の剣、鬼哭の剣、寂滅の剣と題されました。主人公・日向景一郎(ひなたけいいちろう)は、祖父の遺言によって父を斬る旅に出ます。一刀流の祖父の興した日向流を継承し、二尺六寸の古刀・来国行を手にします。シリーズは、父と同名の弟・森之助との戦いへと至ります。弟の愛刀は一文字則房です。
『太平記』に基づく歴史小説が一旦落ち着くと、北方謙三は全13巻『三国志』(1996~1998年)を書き下ろします。『三国志』の執筆は吉川英治や柴田錬三郎から続く系譜です。けれども先輩2人がもとにした時代小説『三国志演義』ではなく、歴史書『三国志』をもとにしました。北方謙三版『三国志』は連載の翌年ラジオドラマ化、その2年後テレビゲーム化されました。
以後、古代・中世の中国史に力が入れられます。
全19巻『水滸伝』(1999~2005年『小説すばる』連載)とその続編で全15巻『楊令伝』(2006~2010年『小説すばる』連載)、さらにその続編『岳飛伝』(2011~2016年『小説すばる』連載)を書きました。『水滸伝』は第9回司馬遼太郎賞受賞(2006年)、『楊令伝』は第65回毎日出版文化賞受賞(2011年)を受賞。『大水滸伝』シリーズ(『水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』)で菊池寛賞(2016年)と第6回歴史時代作家クラブ・特別功労賞を受賞しました(2017年)。
この間、並行して『楊家将』(2000~2001年『日本農業新聞』連載)を書き、第38回吉川英治文学賞を受賞しています(2004年)。続編『血涙 新楊家将』(2005~2006年『文蔵』連載)、全7巻『史記 武帝紀』(2007~2012年『月刊ランティエ』連載)も続けて書かれました。現在は『チンギス紀』(2017年~『小説すばる』連載中)を手がけています。
ハードボイルド小説家として人気となって以降、歴史・時代小説を書くに至った北方謙三。その初期作では、当時の最新の歴史学の研究成果を踏まえ、武力を有する公家と土地に縛られない武士(悪党)との拮抗をとらえようとしました。