『光秀の定理』で自身初の時代小説を発表した垣根涼介(かきねりょうすけ)。歴史・時代小説への目覚めは司馬遼太郎でした。大手求人広告会社、旅行代理店での勤務経験を持ち、時代小説のなかでも人が働く、人が動く心理に注目します。
そこでは定理や原理を掘り下げるなかで、無頼(アウトサイダー)や落ちこぼれの存在の重要性が見出されます。
垣根涼介は大学卒業後、大手求人広告会社、商社、旅行代理店に勤務するなかで、生活費の必要性から小説に挑みます。
その時期読んだ、フレデリック・フォーサイス『戦争の犬たち』から人間が戦争をする理由に関心を持ったと言います。
そして初めて書いた小説『午前三時のルースター』を賞金の高かったサントリーミステリー大賞に応募。結果、第27回大賞と読者賞をダブル受賞しました(2000年)。
旅行代理店の経営者が主人公のこの物語は、テレビ局も主催にかかわる同賞の特徴から、受賞の年、『午前三時のルースター タイ裏社会の欲望、 父失踪の真実は…?』の表題でテレビドラマ化もされました。
渋谷のストリートギャングが主人公で、映画化もされた『ヒートアイランド』シリーズを手がけるなかで、高度経済成長期にブラジルへ渡った日本人を主人公にした『ワイルド・ソウル』が第6回大藪春彦賞、第25回吉川英治文学新人賞、第57回日本推理作家協会賞・長編及び連作短編集部門の3冠を受賞し、一躍その名が知られることになります(2004年)。のちに同作のための現地取材記録も『南米取材放浪記 ラティーノ・ラティーノ!』(2006年)としてまとまられました。
旅行会社勤務の青年を主人公とする『クレイジーヘヴン』に続いて、リストラを主題にした『君たちに明日はない』シリーズを発表します。同作の第1弾は第18回山本周五郎賞を受賞しました(2005年)。同年、故郷から長崎県県民表彰・特別賞も贈られています(2005年)。単行本化の5年後、NHKでドラマ化もされました(2010年)。
その後、自身の職業体験に基づく作品から変化を続けるなかで(『ゆりかごで眠れ』『真夏の島に咲く花は』『月は怒らない』『人生教習所』『狛犬ジョンの軌跡』)、時代小説に挑みます。
時代小説は作家デビュー10年を目標にしていたと言い、司馬遼太郎『国盗り物語』(主人公は斎藤道三と織田信長と明智光秀)や『峠』(主人公は長岡藩の家臣・河井継之助)、司馬遼太郎全集を繰り返し読んでは執筆までに何度も挫折を繰り返したと明かしています。
垣根涼介初の時代小説はデビューから12年、44歳の年に連載が始まった『光秀の定理(レンマ)』(2012~2013年『小説 野性時代』連載)です。明智光秀を題材にしました。
清和源氏にルーツを辿れるエリートの明智光秀を軸に、彼に仕えることになる博打打ちの僧侶・愚息(ぐそく)とその弟子で剣の腕前だけで生きる新九郎(しんくろう)を配したエリートとアウトサイダーの物語です。
『光秀の定理』では博打打ちの僧侶・愚息を通じて、すべての行動原理にある定理、確率論が描かれます。
そこにはモンティ・ホール問題の応用が導入されています。モンティ・ホール問題とはアメリカのクイズ・ショー番組で実際に議論になった問題で、番組の司会者の名からそのように呼ばれています(1990年)。
3つの選択肢ABC(当たりひとつ)から回答者がAを最初に選択したあと、どれが当たりかを知っている司会者がCが外れと明らかにした場合、回答者が選択を変更した方(残されたB)が当たりである確率が2倍になるという法則です。
『光秀の定理』では4つの椀の理とされます。明智光秀に連れられた愚息は織田信長の前で、4つの椀に入れた石を当てさせます。
ついに、五十回目まで来た。
結果、信長の勝率は、十三勝三十七敗。二割六分。逆は七割四分。
たしかに愚息があのときに文で書いた通り、ほぼ四つに三つ、あるいは四つにひとつ……二十回目以降、両者の勝率は“二割五分と七割五分”前後に見事に漂っている。
それでも信長は、愚息に続けるよう視線で促す。また懲りることもなく、同じ目に張り続ける。
光秀は、見ていて妙に感心する。
この厭くことのない執拗さ、精神の貪婪さ……ある種の愚直さ、と言ってもいい。この男にはそれがある。だからこそ、十年の長きにわたって美濃を攻め続けることができたのであろう。
つまり、と実質的な主に対して不遜ながら密かに思う。
何かを得るに足る能力とは、頭の出来不出来ではない。その資質、あるいは気質なのだ。
六十回目。十五勝四十五敗。二割五分。対して、七割五分……。
やはり、四つにひとつしか、信長は勝てていない。『光秀の定理』より
選択を変更しなければ「四つにひとつ」しか勝てないこの定理は、織田五大将とも称される、柴田勝家、滝川一益、明智光秀、丹羽長秀、羽柴(豊臣)秀吉の5人に応用されます。
織田信長以後の時代に生き残るには、選択の変更を行なう必要があるとされます。
新九郎の特徴は、日本刀の場面で描かれます。賊から里人を救った新九郎は里の長者から刀をいただきます。和泉守兼定です。
ほう、とこれには愚息も感嘆の声を上げた。「兼定ではないか。しかも、二代目の之定であろう」
之定と聞いて、さらに新九郎は腰を抜かさんばかりに驚いた。
正式には、和泉守兼定。この時代より百年ほど前に、美濃国は関で活動していた刀工の作で、歴代兼定の作はいずれも名刀中の名刀とされるが、そのなかでも特に二代目兼定の作になる物は、切れ味、風格ともに別格とされる。通称はノサダ。
この当時でも大名級の武将が持つ差し料とされており、事実、この二人と交わりのある明智光秀や細川藤考も、あれだけ貧窮のなかにありながら、この兼定の一振りだけは売却もせず後生大事に所持している。
古くは武田信虎、逆にやや時代が下ると、信長の甥である織田信澄や柴田勝家、池田勝入斎も愛用していたと言えば、その価値は分かるであろう。『光秀の定理』
続いて時代小説第2弾『室町無頼』(2014~2015年『週刊新潮』連載)を発表します。
バブル経済崩壊から20年経つなかで、グローバル化が進む日本の状況に応仁の乱の前夜を見出し、室町時代が選ばれました。
同時期には歴史学者・呉座勇一『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(2016年)が発売から3ヵ月後に実施した大手新聞への独自広告の効果もあって大ベストセラーとなるという偶然もありました。
主人公は元武家の牢人(*江戸時代中期以前に主家を去り扶持を失った武士の表記)・才蔵です。
やがて近江・唐崎の古老のもとで修業し、銭を動かすことで世の中が動いていることを学び、4割以上は神の領域と指導された棒術の腕前を高め、応仁の乱以前の中世の時代のなかで成長していきます。
同作では悪党として語られている2人の実在の人物が重んじられました。
足軽集団を率いてのちに応仁の乱で細川勝元のもとで暗躍する骨皮道賢(ほねかわどうけん)と、地侍で徳政一揆を指導した蓮田兵衛(はずだひょうえ)です。
何よりも自分の信念を信じる無頼(アウトサイダー)の2人は、やがて複雑な感情のなかで幕府側と民衆側となって対立します。2人に世話になった才蔵はそんな2人の間で揺れ動きます。
同作の掲載誌は、かつて五味康祐『柳生武芸帳』と柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』によって剣豪ブームを起こしました。その後も、隆慶一郎『吉原御免状』、北方謙三『武王の門』と『日向景一郎』シリーズなどが続いています。
その系譜に連なった『室町無頼』は単行本化された年、第6回 本屋が選ぶ時代小説大賞で大賞、『2016年 歴史・時代小説ベスト10』(週刊朝日)第1位、『2016年度・ベスト時代小説10』(本の雑誌)第1位を、それぞれ受賞しました(2016年)。
さらに時代小説第3弾『信長の原理』(2016~2018年『小説 野性時代』連載)が続きます。
織田信長を主人公に、桶狭間の戦い(田楽狭間の戦い)以外は織田信長を中心に家臣の心理が描かれます。地縁・血縁を重んじた武田信玄や上杉謙信に対して、織田信長は実力主義・成果主義を重んじたことを強調し、組織論を描きます。
『信長の原理』では、『光秀の定理』で取り上げた柴田勝家、滝川一益、明智光秀、丹羽長秀、羽柴(豊臣)秀吉の5人の心理がより濃く書かれます。
『光秀の定理』で本能寺の変をモンティ・ホール問題で解けなかったことへの挑戦であることを明かしています。
同作では、パレートの法則(*2割が残りの8割を支えている法則)をふまえた長谷川英祐『働かないアリに意義がある』に基づいて戦さが語られます。
織田信長は蟻の行動観察からパレートの法則を知ります。丙は懸命に働く蟻、甲は何となく働く蟻、乙は仕事をしない蟻として、その独自に見出した原理を語ります。
しばらくして結果が出た。
『丙』の蟻三百九十二匹を選別した内訳は、『甲』の蟻が七十七匹。『乙』の蟻が二百三十五匹。『丙』の蟻が八十匹だった。やはり二・六・二――いや、一・三・一の割合だ。
「これで最後だ。もう一度、今の『丙』の蟻を選別せよ」
ややあって結果が出た。総数八十匹のうち、『甲』の蟻が十五匹。『乙』の蟻が四十九匹。『丙』の蟻が十六匹だった。これも一・三・一。
……………。
信長はしばらく無言で立ち尽くしていた。
結果が出た、と思う。しかも、疑いようのない厳然たる事実が。
どの種類の蟻を、どの段階まで分別しても、結局のところ優秀な蟻は二割しか残らない。
優秀な人材を集めても、二割しか懸命に働かない。逆に言えば、駄目な蟻でも普通の働きの蟻でも、それだけを集めれば、必ずまた優秀な者が二割は出現する。どんな場合でも、何度やっても、最後は必ず一・三・一の割合になる。『信長の原理』
そして、織田信長の正室・帰蝶との会話を通じて、物語の根幹となるメッセージが書かれます。
「たとえれば殿は、鉄砲がいたくお好きでござりまするな」
「それがどうした。わしが鉄砲を好きなのは、それが戦、特に城攻めに威力を発揮するからじゃ」
すると帰蝶はいったんうなずいた。
「鉄砲が出始めた頃、世の人々はその硝石と発火の理を分かっておらぬからこそ、天魔の道具じゃと言い騒いでおったわけでござりましょう」
「ふむ」
「ですが理が分かってからは、人はもう鉄砲を単なる飛び道具として、ごく自然にその仕組みを受け入れております」
「だから、なんじゃ」
「おそらくは、その人と蟻の一・三・一の事象もそうでありましょう」帰蝶は語った。「私が考えまするに、これもまた神仏の為すゆえのことではありますまい。『なにゆえにそうなるのか』という仕組みが分かるときが来れば、それは魔訶不思議な物でなくなるでしょう」
「鉄砲の原理と同じだと申すか」
「そうとも言えますし、そうでないとも申せます」
「どちらなのだ」『信長の原理』
『信長の原理』では織田信長は合理的な組織作りの法則を見出していたとします。それでも本能寺の変は起こりました。そこには定理や原理を追求する余り、無頼(アウトサイダー)や落ちこぼれが見えなくなってしまうことが描かれています。
大手求人広告会社や旅行代理店での勤務経験を持つ垣根涼介。人が働く、人が動く心理に注目し続ける作品を書くなかで、その刀剣世界では無頼(アウトサイダー)や落ちこぼれの存在の重要性が一貫して主張されています。