【あらすじ】鎌倉幕府を打倒する計画が幕府側に察知され、窮地に立たされた後醍醐天皇。御所に押し寄せてきた幕府の軍勢には『闇の者』が紛れている。遣使(けんし)・北野原常磐は、後醍醐天皇と共に『闇の者』と戦い、安全な場所を目指すのだった。
※本小説は、史実、及びゲームアプリ「武神刀剣ワールド」をもとにしたフィクション作品です。
御所の裏手を出た瞬間、北野原常磐(きたのはらときわ)は思わず息をのんだ。
道はすでに六波羅探題(鎌倉幕府が朝廷を監視するために京都に設置した機関)の軍勢によって遮られている。これほど早く後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の脱出を察知するとは思わなかった。襲撃は早くても夜明けと同時だと聞かされていた。敵にも機転が利く者がいるようだ。
しかも、敵のなかに、明らかに人とは違う異形の姿が紛れている。妖怪とも怪異とも違う濃密な邪気は、間違いなく『闇の者』だ。
六波羅探題の武士達は、陣営の中に異形が紛れているのが分からないのだろうか。否、そうではない。『闇の者』はなにかしら妖しい術を用いて、異形を通常の人間に見せかけているのだ。
後醍醐天皇の動きを察知したのは六波羅ではなく『闇の者』らしい。いかにして探り当てたかまでは定かではないが、それだけ帝の命を奪いたいのだろう。脱出を手配した吉田定房(よしださだふさ)も、『闇の者』の襲撃までは予測しえなかった。まんまと六波羅を出し抜いたはずだったが、人ならざるモノには通じなかった。
そっと背後の輿に目を向ける。なかでは帝が苦虫を噛み潰した顔でいるに違いない。
「……常磐よ。なにやら面妖な姿が混じっておるが、あれがそちと定房が申していた『闇の者』とやらか」
輿から帝の声が聞こえてくる。太く強靱な意志を感じる声だ。不快さこそ滲むものの、恐れた様子はない。
「はい、あれこそが『闇の者』にございます」
「なるほど。通りでただならぬ邪気を感じるわけじゃ。朕はあのような輩に命を狙われていたわけじゃな」
敵の軍勢から数人の武士が近付いてきた。死人のように青ざめた顔で、唇に薄ら笑いを浮かべている。
「拙者、長崎高貞(ながさきたかさだ)と申す。六波羅探題より北条仲時(ほうじょうなかとき)の命を受け、まかり越した」
先頭の武士が口を開いた。長崎高貞と言えば、鎌倉幕府の最高の実力者、長崎円喜の息子だ。六波羅では軍奉行の地位に就いている。長崎高貞ほど高い地位の武将を密かに動かすほど、『闇の者』は六波羅の中枢にまで食い込んでいるようだ。
「ご苦労である。して、我らにいかなる用向きか?」
帝の側からは北畠具行(きたばたけともゆき)が対応した。公家にしては肝の据わった男で、大塔宮(おおとうのみや)親王とも親しく、一時期、河内の悪党のもとに身を寄せたこともあるらしい。
「こんな夜更けに、どちらに行くおつもりか?」
「帝の勅命により、急ぎ比叡山まで」
「比叡山? いかなる用向きで」
「貴殿には関係ないことだ。急ぎの用件ゆえ道を空けていただきたい」
「そうはいかん」
長崎高貞は頭を振ると、怖気立(おぞけだ)つような目を北畠具行に向けた。
「帝を我らに引き渡していただきたい」
「何の話だ。帝などおらぬ。この場は公家と女官ばかりよ」
「そうかな」
そう言って長崎高貞は、いきなり手にした槍を突き出した。北野原常磐は短い悲鳴を上げてうずくまる。だが突き出された槍は北野原常磐の髪をかすめただけで、穂先は背後にある輿の御簾に突き刺さっていた。長崎高貞がそのまま御簾をはぎ取ると、中には女官姿の後醍醐天皇が、憮然とした顔で座っていた。
「長崎殿、なにをなさる!」
北畠具行が慌てて声を上げる。
長崎高貞はこの声に答えず、しばし目をまるくしていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「ははははは!主上ともあろう御方が、なんと無様な姿をされているのか」
つられて配下の武士達も笑い出した。
女官姿をしているのは帝自身の発案だった。無論、近習達は引き留めようとしたが、帝に勅命を持って命じられては誰も強く諫められなかった。急ぎ唇に紅を引き、衣服を整えたものの、髭を剃るまでの暇はなく、結果、珍妙としか言えない姿になってしまった。
なぜあのとき、不興を買ってでも帝を強く止めなかったのか…。
北野原常磐はひどく後悔していた。もし帝を強く止めさえすれば、敵に嘲笑されるような愚は避けられていたはずだ。後醍醐天皇は表面上、平然を装っているが、内心では腸が煮えくりかえっているに違いない。
それにしても本来、御所の奥にいるはずの帝が、なぜ夜中に女装までして御所から脱け出さねばならないのか。
御所に届いた急報が帝の立場を一変させた。
「一大事にございます!」
「何ごとか、騒々しい」
「六波羅が兵を挙げ、明日にでも御所を襲う由にございます!」
先に鎌倉より上洛したばかりの工藤高景(くどうたかかげ)と二階堂貞藤(にかいどうさだふじ)が、六波羅探題の命を受け、兵を差し向ける手はずを整えているという。
工藤、二階堂の両名は、幕府の執権、北条高時(ほうじょうたかとき)からの信任も厚い、智勇兼備の武将だった。
「だが、六波羅めはなぜいきなり御所を襲うなどという、大それたことを企むのじゃ?」
内裏にいた公家のひとりが口にした。
六波羅探題を司る北条時益(ほうじょうときます)と北条仲時は、7年前の「正中の変」(後醍醐天皇による1回目の倒幕計画)以降、表立って朝廷と事を構えるのを控えていた。それが急に動き出すとは、六波羅はなにをつかんだのだろうか。
「六波羅に、倒幕の謀議が露見したのじゃ……」
「そうじゃ、きっとそうに違いない」
公家達が堰を切ったようにうろたえた。御所ではちょうど倒幕謀議の最中であり、後醍醐天皇をはじめ、主な公家達がその場に集まっていたのも災いした。
「主上、主上、一大事でございますぞ」
「帝が幕府に捕らえられてしまう」
倒幕計画が露見したとあれば、2度目になる。
これまで及び腰だった幕府も、御家人達の手前もあり今度こそ容赦なく関係者すべてを断罪するだろう。後醍醐天皇も例外ではない。とらえて流刑にするか、討ち取るもやむなしの覚悟で、徹底的に処分するに違いなかった。
「此度こそ無事には済むまい。隠岐か八丈島に島流しじゃ」
「六条河原で首を刎ねられやもしれぬぞ」
「卿ら、落ち着け、殿中であるぞ」
玉座に殺到する公家達を四条隆資(しじょうたかすけ)が押さえようとする。だが多勢に無勢、ひとりでは勢いを止められず、公家達は隆資を踏み倒し、そのまま御簾の前に殺到した。
「帝、どうかお助けを」
「勅命で」
「ここで果てるのは悔しゅうございまするぞ」
「皆の者、しばし黙るが良い」
御簾の向こうで後醍醐天皇が言った。公家達が怯えきった顔で一斉に口をつぐんだ。
まるで醜悪な喜劇だ。北野原常磐は御簾の近くに侍りながら、公家達の情けない顔を、冷ややかに眺めていた。
北野原常磐は、女性ながら小さな神社の神主だった。
神社は御所のすぐ近くにあり、参拝客がひっきりなしに訪れる、近隣では隠れた名所として知られていた。
遣使(けんし)の役目を引き受けたのは、数年前、先代から神職を引き継いだ際、神棚の下に安置されていた鏡を見付けたのがきっかけだった。鏡から現れた「歴史の神」と邂逅したとき、北野原常磐は、もののけか妖の類と疑った。しかし、鏡から伝わってくる気配が本物の神としか考えられず、歴史を守護する使命を受け入れた。
御所に入ったのは「歴史の神」のお告げに従い、後醍醐天皇を警護するためだ。遣使(けんし)の先達である永源将之(えいげんまさゆき)の手伝いで、帝の側近を勤める吉田定房が手配を付けてくれたのだ。
「皆が聞きしこと、すべて朕の耳にも届いておる。かかる事態に陥ったこと、まこと朕の不徳の致すところであろう。されど、このような事態であるからには、この場にいる皆が一蓮托生である。冷静に物事を見定め、最善を尽くそうではないか」
後醍醐天皇が御簾の外まで出てくると、公家達はその場にひれ伏した。周囲に『闇の者』の気配がないのを確かめてから、北野原常磐も深く頭を垂れる。
「我らの置かれた状況について、他に知りうる者はいるか」
質問に答えてすぐに四条隆資と千種忠顕(ちぐさただあき)が顔を上げた。
「我が配下より伝えられたるところ、本日、日野俊基(ひのとしもと)殿が六波羅にとらわれたとのこと」
「なんと、俊基が……それはまことか」
「さらに、円観に文観らの僧も、長年に亘る安産祈願が、幕府調伏(ちょうぶく:祈祷によって怨敵・悪魔を降伏させること)との疑いをかけられ、捕縛された由にございます」
「円観に、文観らまでが……」
後醍醐天皇は嘆息すると顔を天に向けた。
正中の変よりのち、後醍醐天皇のもとで倒幕計画の中核を担った者達が皆、捕らえられてしまった。
日野俊基は過去に捕縛された経緯もあり、普段から監視されていた可能性はあった。だが、文観達の調伏は表向き安産祈願とされており、今日まで六波羅は特にはなにも言ってこなかったはずだ。それが前触れもなく捕らえられたとなると、やはり六波羅探題が確実な証拠を握っているのは間違いなかった。