刀剣三十六遣使(鎌倉時代)

~第3章~襲撃された御所からの脱出
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~第3章~襲撃された御所からの脱出 ~第3章~襲撃された御所からの脱出
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【あらすじ】後醍醐天皇らが六波羅探題に密告した者を相談していたところ、公家のひとりである千種忠顕が、この場にいない後醍醐天皇の側近吉田定房を疑う。そんなとき、吉田定房が現れ、あえて密告したのだと真意を説明し、御所からの脱出を進言する。北野原常磐は後醍醐天皇と吉田定房とともに、御所から比叡山へ向けて出発したのだった。

六波羅軍の包囲

「おい、女」

長崎高貞に声を明けられ、北野原常磐は我に返った。

「何でございましょう」

「帝はなぜあのようなお姿をされておるのだ」

「長崎様のような不逞な輩から脱し、御所から逃れるためです」

「確かに、あの誇り高い帝が女装するとは誰もが思いつかぬことだ。だが……こんなばかでかい女官がどこにいるというのだ。しかも、髭を生やしたままで」

勝利は決したと思ったのか、長崎高貞はまたしても大きな声で笑いだした。

「笑いたければ笑え。そちのような輩さえいなければ、朕とてこのような恥をさらすことはなかった」

後醍醐天皇が憮然とした顔で口にした。内心悔しいだろう。自ら望んだ行為とは言え、これほど嘲笑されるとは思わなかったはずだ。

「女どもはあとで可愛がるとしよう。だが、いまは邪魔だ」

長崎高貞が北野原常磐の肩に手をかける。生きた人間とは思えないほどの冷たい感触が、衣服を通して沁みてくる。北野原常磐は思わずその手を払いのけた。

「なんと無礼な。構わぬ、公家も女官も関係ない。主上ごとこの場にいるすべての者を捕縛するのだ」

六波羅探題の武士達が次々に刀を抜いた。後醍醐天皇側は、近習達が太刀や槍こそ手にするものの、武士はひとりもいなかった。しかも皆が皆、戦いにおいては素人であり、武士の相手はつとまらない。

やむなく北野原常磐は、懐から人型の術符を取り出した。それを広い範囲にまき散らす。
次いで短い呪文を唱えれば、術符は烏帽子に直垂姿の兵となって、六波羅探題の軍に襲いかかった。

「その術は朕も知っておるぞ。確か式神とか言ったな」

後醍醐はそう言って笑いながら、顔に塗ったおしろいを袖で拭った。

「以前、さる陰陽師より手ほどきを受けたものです。このような形で役に立つとは思いませんでしたが」

武士達は見慣れぬ式神に惑わされ、武器を振ったり逃げたりと混乱するばかりだ。幸運にもそれら武士の動きに遮られ、『闇の者』も輿に近付けずにいる。

「それで武士どもを排除はできぬのか」

公家のひとりが横から口を挟んだ。どうやら式神を知らぬようで、言うことを聞く妖怪くらいにしか思っていないらしい。

「式神はあくまでもまやかし。実体を伴う物ではございません。隙を見てこの場から逃れる術を見出しませんと」

勘の良い武士達が、式神が自分達の体を傷付けないことに気付いたようだ。全体としては混乱しながらも、次第に包囲網を狭めていく。このまま手をこまねいてはいられない。

北野原常磐が焦りながらも脱出する術を探したそのとき、六波羅軍の後詰めから怒号と悲鳴が響いてきた。

「何が起きた?」

「六波羅軍の背後を何者かが攻めかかったようです」

刀剣三十六遣使(鎌倉時代)~第3章~近習のひとりが嬉しそうに声を上げた。
式神を送って探りを入れると、遣使(けんし)の先達である永源将之と平井寿治(ひらいとしはる)が、敵陣を縦横に駆け回り、後詰めを壊滅寸前まで切り裂いていた。

「何者が我らを救いに来たのだ」

後醍醐天皇が思わず声を上げた。

「遣使(けんし)の永源将之と平井寿治でございます。」

永源将之と平井寿治は年齢こそ分からないながら、いずれも綺麗な顔つきだ。街に出ればさぞ女性達の注目を集めるだろう。
だが、2人の遣使(けんし)はいずれも過去の戦いで『闇の者』から歴史を守った歴戦の勇士だ。

「むう、なんと無様な……討ち入ったのはたった2人ぞ。どうして陣が崩れていく」

永源将之と平井寿治に陣形を崩され、長崎高貞の顔に動揺が走った。

「おのれ、かくなる上は帝の命だけでも頂戴する」

御簾を貫いた槍を握り直し、そのまま後醍醐天皇を突き殺そうとする。

「させませぬ」

北野原常磐は、護身に持ち歩いた短刀 光包を鞘から抜き、槍の柄を2つに斬った。驚いた長崎高貞は、槍を手放し距離を取った。

敵将・長崎高貞を討つ

「女、邪魔をするな」

長崎高貞は太刀を抜き、北野原常磐を目がけて振り下ろした。光包を構えたまま、素早く太刀を受け流す。

「くっ」

とてつもない膂力(りょりょく)だ。まともに受ければ身が持たない。この凄まじい力は、長崎高貞自身が『闇の者』に憑かれている証拠だろう。それでも退く訳にはいかなかった。遣使(けんし)の役目は帝を守ることだ。せめて永源将之か平井寿治がこの場に到着するまでは、北野原常磐が『闇の者』を引き付けるしかない。

「帝より先に血祭りに上げてくれる」

幸いにも長崎高貞は頭に血が上りやすい性格のようだ。太刀を振るって斬撃を浴びせ、意地でもこの場で斬り殺そうとする。女の身では斬撃に耐えるのも苦しかった。それでも自分に固執してくれるならば、後醍醐天皇から注意を逸らすことができる。

長崎高貞は相手が女だからと、心のどこかで甘く見ているのだろう。力任せの大振りで、幸運にも太刀筋が北野原常磐の目にもよく見えた。これは、永源将之が普段から稽古を付けてくれたおかげでもあった。

強烈な斬撃を捌ききり、突きをかわしては、切り上げを避けるなど、斬撃をすべてしのいでいく。それでも『闇の者』の斬撃を受けるには限界があった。わずか数回、斬撃を受けただけなのに、自分でも分かるくらい動きが鈍り、吐く息が獣のように荒くなった。

反撃しようと光包で斬り付けるのと、長崎高貞が横に薙ぐのが同時だった。鋼が打ち合う甲高い音が響いたかと思えば、北野原常磐の体が転がるようにあとずさった。腕が痛いくらいに痺れてくる。

「常磐、ご苦労であった」

いつの間に輿を降りたのだろう。後ろから帝の声が聞こえてきた。

「危のうございます。お下がり下さい」

「問題ない。少々、体を動かすまでよ」

そう言って、帝が腕を回す。むき出しになった腕が丸太のようにごつごつしていた。

「主上、せめて太刀を」

近習が横から太刀を差し出した。太刀は名工で知られる雲生(うんしょう)・雲次(うんじ)兄弟が打った物だ。さすが名刀の名に恥じない業物で『闇の者』でも斬れそうなのに、後醍醐天皇は太刀の受け取りを拒んだ。

「下郎相手に太刀など不要だ。左右の拳で充分である」

「そんな、無茶でございます」

後醍醐天皇は北野原常磐に近習達を下がらせた。指の関節を鳴らして長崎高貞の前に仁王立ちする。

「ほう、主上自らお出ましになるとは、無謀なのか蛮勇なのか」

長崎高貞は太刀を鞘に収めると、手を柄にかけたまま腰を低くした。後醍醐天皇は長崎高貞を見たまま拳を上げ、威圧する視線を受け止める。長崎高貞の気は『闇の者』の力によって、何倍にもふくれている。空気が次第に張り詰めていく。

「主上、お覚悟」

張り詰めた空気を打ち破るように、長崎高貞が先に動いた。剣先を突き出し、後醍醐天皇の眉間を貫こうとする。

だが、次の瞬間、崩れ落ちたのは長崎高貞だった。手から剣が落ち、腹を抱えてうずくまる。目だけは後醍醐天皇の顔を見上げていた。自分になにが起きたのか理解できなかったに違いない。後醍醐天皇は剣先が眉間に届く寸前、拳で長崎高貞の腹を殴り付けたのだ。

「き、貴様、何者だ」

長崎高貞が信じられない顔で口を開く。

「第96代天皇である」

返答する帝の背後に、一瞬、まばゆい後光が見えた気がした。

「ひっ、退けっ、高貞様をお助けするのだ」

武士達が放心した長崎高貞を引きずり、自軍の密集する場所へと連れていく。後醍醐天皇は長崎高貞を追って武士達に殴りかかり、さんざんなまでに打ち破った。

「なんだ、あれは…」

「女官に化けた公家らしいが」

いきなり女装姿の大男に踏み込まれては、武士達が慌てふためくのも当然だった。
呆然と見る北野原常磐の側に、ようやく永源将之と平井寿治が合流した。

「北野原、よくやってくれた」

「初陣とは思えぬ働きぶり。じつに見事でした」

「ところで、あれは誰だ。女官の姿をした大男が宮中にいるなど聞いたことがないぞ」

「あれは、帝ご本人です」

「なんだって、あれが帝……」

百戦錬磨の遣使(けんし)達も、帝と聞いては唖然とした。後醍醐天皇に敵将の長崎高貞が倒されたのは『闇の者』にとっても誤算だった。いつの間にか異形は姿を消し、六波羅軍は狼狽しながらも撤収する。路地には入れ替わるように、禿頭の年若い男が率いる武士の一団が現れた。

「主上、ご無事でしたか」

禿頭の男は帝の前に跪(ひざまづ)き、深く頭を垂れた。

「大塔宮か、ちと遅かったのう。賊は朕自ら蹴散らしてくれたぞ」

「そのようでございますね。主上の考えなしの強さ……否、無双の拳は誠に恐ろしいものでございます」

大塔宮親王は打ち倒された武士達を見ると、哀れんだ顔で合掌した。

「ともかく、この場よりは私どもが先導いたします。主上には少々、大変な思いをしていただくかと存じますが、何卒ご容赦を」

「構わぬ、すべては鎌倉に勝つためだ。奴らをこの世から一掃するためであれば、朕は雨露をも厭わぬ」

後醍醐天皇はそう言うと、輿に戻ることなく自ら比叡山に向かって歩き出した。

「比叡山はすぐに囲まれましょう。また参道が整地されておりますれば、武士も攻撃しやすうございます。防御はすぐに破られまする」

一行は、大塔宮親王の案内で比叡山の入り口に来ると足を止めた。

「では、どうするつもりか」

後醍醐天皇としては現在のような危急の際に頼りとなるよう、皇子を2人も送り込んだはずだ。それが肝心のときに役に立たないのでは、誤算に過ぎるだろう。

「延暦寺には影武者を送ります。我々は東大寺へと向かいましょう。延暦寺にはすでに六波羅の手の者が入ったと聞きますので」

「東大寺か。話はついておるのか」

「何度か遣いを出しておりますが、いろよい返事を寄こしませぬ。恐らくは六波羅ではなく、焼き討ちを恐れているのでありましょう。東大寺には源平合戦の折りに、大仏殿を焼かれた苦い記憶がございますれば」

まずは行ってみるしかなかった。そこで、後醍醐天皇の輿に影武者となる花山院師賢(かざんいんもろかた)を乗せ、数人の従者を付けて延暦寺に向かわせると、大塔宮は帝一行を先導して山道に入り、ひたすら東大寺を目指して歩き続けた。

東大寺を目指して

大塔宮親王山道の中でも忍びを使い、何度も東大寺に綸旨を出した。いまだ東大寺はいろよい返事を寄こさなかったが、後醍醐天皇が御所を脱出した以上、落ち着き場所は早急に必要となった。

無論、公家達の離脱を防ぐ意味もある。下手に造反でもされようものなら、六波羅探題の追撃を受けるからだ。いずれ在位所を設けて落ち着き、挙兵するまでは、居場所を察知される愚は避けたかった。

だが、いくら屈強な帝とは言え、歩き慣れない山道では、次第に疲労の色が濃くなっていった。疲れ果てた公家達も、何人かが脱落しそうになっている。北野原常磐はやむなく大塔宮親王に進言した。

「法親王殿下」

「なにかな、遣使(けんし)殿」

「帝が、どうにもお疲れのように見えるのですが」

「無理もない。帝は生まれながらの殿上人だからな。我らとは違い、山野の移動に慣れておられぬ」

「お分かりでしたら、少しお休みになられてはいかがでしょう」

「そうじゃのう……」

大塔宮親王はしばしの間考える素振りを見せたが、やがて仕方ないとばかりに息を吐いた。

「実は、俺は父なる帝を好かんのだよ」

「それは、なんとなく分かりますが」

「幼き頃より俺達皇子は、父なる帝の道具でしか存在価値を認められなかったからな。仏門の兵力が欲しさに、俺や宗良を天台座主に据えようとしたのだ。自分がいずれ幕府を打倒する手駒とするためにな」

正中の変をきっかけに、後醍醐天皇に倒幕の意志があるのは世に広く知られるところだ。
だが、倒幕は容易な道ではない。天皇は権威こそあるものの、武力をまったく保持していない。逆に、武力があれば倒幕が可能と考えた後醍醐天皇は、僧兵を自分の軍として使うために、皇子達を仏門に入れていたのだ。しかし、法体になれば、天皇への道は閉ざされてしまう。

「出家すると、帝にはなれませんからね」

「誤解するなよ。俺は別に仏門が嫌いではないし、天台座主も気に入ってはいる。この道で天下を取る手もあるからな。むしろ、これを足がかりにしたいとも思っている」

「では何故、此度は帝の窮地を救われるのですか」

「俺は乗り越えるべき相手を、他の誰にもくれてやるつもりはない。今回は特別だ」

大塔宮親王は恥ずかしそうに横を向いた。帝と皇子とは言え、親子だけに、口ではいくら嫌いと言っても本心から嫌いにはなれないのだろう。帝は帝の理想があり、大塔宮親王にも理想があるのかも知れない。
北野原常磐は、複雑な親子のすれ違いが、新たな大乱の火種にならないよう祈るしかなかった。

「ところで、お疲れの帝をいかがなさいますか。このままお歩きいただく訳にはいかぬと存じますが」

荷馬に乗せるべきだろうか、だとしたら馬に乗せている荷物を人の手で運ばねばならない。公家達は役に立たない上、近習達も疲れ切っている。ここで敵に襲われなどしたら、大きな被害が出るだろう。

「分かった。しばし待つが良い」

大塔宮親王は帝の側まで寄って、耳元でなにかささやきかけた。後醍醐天皇はなにかを言い返すと、次の瞬間、再びしっかりした足取りで山道を歩き始めた。

「これで問題ない。主上は意地でも歩き通すだろう。父たる帝には恐れ多いと思うがな」

大塔宮親王が意地悪そうな笑みで口にした。

「何を話されたのです」

「気になるか?」

「はい」

「挑発してやったのよ。主上を」

「なんですって!?」

大塔宮親王は後醍醐天皇の矜持を刺激したらしい。誇り高い後醍醐天皇にとって、息子である大塔宮親王に揶揄されること自体が屈辱だった。

「こうなれば主上は這ってでも東大寺まで休もうとしないだろうな」

「なんてひどい……」

「はっはっは、北野原常磐が怒ることはないだろう」

大塔宮は、さも愉快そうな笑みを見せた。

「こんな機会は2度とは巡ってこないだろうな。そう考えると貴重な機会ではあった。いずれにせよ帝の気力が尽きぬうちに先を急がねばならんな」

大塔宮親王率いる後醍醐天皇の一行は、やがて東大寺にたどり着いた。 
東大寺では東南院を提供されたものの、内部にいる北条氏ゆかりの僧達が、情報を六波羅に流す恐れがあった。後醍醐天皇と大塔宮親王は東大寺を諦め、京に近い天険の地にある金胎寺へと向かうことになった。

だが、そこはあまりに秘境すぎると、当の後醍醐天皇が納得せず、一行はやむなく、大塔宮親王と楠木正成が兵糧と武器を集積した笠置山(かさぎやま)に向かうことにした。

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