【あらすじ】六波羅探題の武士達に包囲された北野原常磐と後醍醐天皇達が、包囲から脱出する術を探していたとき、遣使(けんし)の先達である永源将之と平井寿治が援軍にやって来る。後醍醐天皇自らも敵将に向かい、六波羅探題の武士達を撤収させた。そうして大塔宮親王が率いる武士の一団と合流すると、今度は東大寺を目指して進むのだった。
「皆、急いで隠れろ」
最初に気付いたのは大塔宮親王だった。北野原常磐が示された方向を見ると、山間に北条の旗がたなびいている。誰が情報を漏らしたのかと、大塔宮親王はしきりに気にかけるが、敵側にまたも『闇の者』の異形が見えるところからすると、後醍醐天皇の居場所は『闇の者』が自ら探り出したと考えるのが妥当だと思えた。
「まさかとは思うが、六波羅探題の北条仲時か北条時益が『闇の者』に憑かれているんじゃないだろうな」
「彼らではなくても、相当に地位の高い武将が『闇の者』が憑かれているのは間違いないでしょうね」
背後で永源将之と平井寿治が話している。御所の裏門に現れたのは、北条家お抱えの武士だった。落ち武者狩りと偽れば、畿内の御家人を向かわせれば済むところを、わざわざ直参の武士を出したところに、深い闇を感じる。
敵軍のあたりから、恐る恐る斥候(せっこう)らしき兵が近づいてきた。
「この辺に、どえらい賞金首がいるって本当かね」
「分からねえ。俺としては金も欲しいが、命も惜しいな」
『闇の者』に精神を支配されているとは言え、手柄と命を天秤にかけかねているようだ。
「ここにおるぞ、そのどえらい賞金首が」
気付けば後方にいたはずの後醍醐天皇が、斥候の前に立っていた。
「主上、なぜそんなところに」
大塔宮親王が止める間もなく、斥候が叫んだ。
「でたぞ、賞金首だ」
「急げ、俺達で賞金は山分けだ」
道の向こうから、武士達が大挙して押し寄せてきた。
「朕はこのところ機嫌が悪い。そちらには運のないことだが、鬱憤を晴らさせてもらう」
後醍醐天皇は突き出される槍を叩き折り、刀を振り降ろす武士には顔に鉄拳を叩き込む。惚けた武士の首をつかみ、そのまま集団の中に投げ捨てる。
後醍醐天皇の思わぬ出現で、六波羅の軍勢は大混乱に陥った。及び腰になった武士団は、帝ひとりで充分にも見えたが、それでも多勢に無勢、帝をすり抜けた武士達が公家達を取り囲んでしまう。
「早う、なんとかせんか」
「こんなところで死ぬのは嫌じゃ」
泣きわめく公家達をよそに永源将之が言った。
「俺と寿治が血路を開く、君は帝を守って切り抜けろ」
「大丈夫、主上と常磐だけは、ここを抜け出せるようにするから」
永源将之と平井寿治が口々に言うと、太刀を抜いて斬り込んでいった。
「死んでも帝をお守りせよ」
大塔宮親王と武士団もあとに続く。瞬間、六波羅探題の武士が左右に分かれ、大きな道ができた。北野原常磐はすかさず出口に向かって駆け出した。公家達もおぼつかない足取りながら、なんとか後をついてくる。術符を並べて壁をつくり、公家達を先に走らせる。幻惑できる時間はごくわずかだった。
このままで最後まで逃げ切れるだろうか。北野原常磐は心許なくなった。公家達は良い、だが永源将之も、平井寿治も、大塔宮親王もまだ敵軍を押さえようと戦っている。後醍醐天皇もまだ暴れているのだ。このまま乱戦が続いては、最悪の事態を迎えてしまう。
「楠木正成、帝と法親王に加勢つかまつる」
現れた武士の1人が名乗りを上げた。一斉に掲げられた旗には「楠木」の文字が書かれていた。
公家の1人が安堵のあまり声を上げた。
「使者に出た万里小路(までのこうじ)が間に合ったのじゃ」
「助かった、まさに九死に一生じゃな」
「されど、なんと無様な戦じゃ、これが武士の戦か?」
公家達は自分達が生き長らえたと悟ると、次々に楠木軍に文句を言い始めた。
敵に名乗りを上げることなく、石を投げる、丸太を落とす、巨岩を転がす、およそ武士らしい戦いとはかけ離れている。それでも自然を巧みに利用した戦いは、北野原常磐から見ても効率が良かった。味方に犠牲を出さずに、敵を蹴散らし、大きな戦果を上げている。
「公家どもは皆、逃げ延びたか」
楠木軍に守られて大塔宮親王が出口まで出てきた。次いで、永源将之と平井寿治も後醍醐天皇を守りながら敵軍から抜け出てくる。
後醍醐天皇一行がすべて六波羅軍を突破したところで、鎧兜を身に着けた飄々とした男が現れた。大塔宮とは旧知の間柄のようで、親しく話しかけてくる。
「やあやあ親王殿下、ご無事でなにより」
「正成か、礼を言う。助かったぞ」
「いえいえ、とんでもございません。ところで、こちらのご婦人はどなたですかな」
「北野原常磐と言う。理由あって、我らに加勢する与力のようなものだ」
「へぇ、お若くて美人なのに、因果な商売をなさっておりますな」
楠木正成は興味深そうな顔で、常磐を見ると人懐っこい笑みを見せた。
「一段落ついたら河内に来なさい。俺がもっとましな商売に就けてやるよ」
「しかし、なんとも変わった戦い方だな。まるで武士とは思えぬ」
「勘違いをされちゃ困ります。俺達は武士とは名ばかりの悪党に過ぎませんからな。当然、戦い方だって違いますよ」
「とは言え、こんな戦い方は常識外れと言わざるを得ん。刀や槍で討ち取られるならまだしも、礫(つぶて)だの丸太で殺られたら、たまったものではないな」
大塔宮親王は同情した顔で、六波羅軍に手を合わせた。
「もし下赤坂城で戦う羽目になったら、同じように戦うと思いますな。以前から考えていたやり方ではありましたが、良い実戦演習になりましたぞ」
楠木正成は愉快そうに笑った。
だが、楠木軍の優位は長くは続かなかった。武士に入れ替わるように『闇の者』が前に出ると、楠木正成はたちまち血相を変えた。
「なんなんだこいつら、いくら礫を撃っても効きやしない。丸太や巨石でも立ち上がってくる。こんな面妖な奴らが相手とは聞いておらんわ」
「そこを何とかするのが楠木の役目だろうが」
そう言う大塔宮親王も、『闇の者』の異様をあらためて見せ付けられ、表情が硬くこわばっていた。
「そうかもしれないですが、俺達は悪党ですぞ。化け物の相手なんてできるはずねぇわ」
楠木軍は悪党の寄り合い所帯だけに、不規則な戦いは得意としても、正面からのぶつかり合いは弱かった。武芸も皆無に等しいから、刀を持っての斬り合いなどできそうにない。自軍の性質を熟知するだけに、楠木正成も無理を押して兵に攻めさせようとはしなかった。
「やはり最後は『闇の者』か」
永源将之が愛刀「来国光」を手に立ち上がった。平井寿治も「景光」を抜いて不敵な笑みを浮かべている。
「ということは、どうやら僕達の出番だね」
「まてまて、無茶じゃないか。前に吉田定房から聞いたことがあるぞ。『闇の者』は神刀とその使い手しか斬れないとな」
永源将之達を心配してか、大塔宮親王が声を上げた。
「ご安心下さい殿下。確かに通常の太刀では『闇の者』を斬るなどかないません」
「でも名刀、妖刀の類であれば、斬ることは適わぬまでも追い払うことはできます」
永源将之と平井寿治が放たれた矢のように駆け、『闇の者』へと討ちかかった。北野原常磐も2人のあとについていく。『闇の者』はすでに倒された武士達の魂を吸収し、己の力を増していた。もとは名も知れない武士であっただろうが、御所で戦った長崎高貞より、禍々しく、濃厚な邪気を放っている。
「俺が奴の攻撃を受ける。常磐は体勢を崩すのに専念しろ。寿治は隙を見て斬りかかれ」
永源将之が素早く指示を出し、『闇の者』の斬撃を愛刀、来国光で受け止めた。北野原常磐は永源将之の背後から討ちかかり『闇の者』の注意を向けさせる。平井寿治がその隙を狙って、がら空きになった首を斬り付ける。
「むう、小癪な……」
三位一体の攻撃は『闇の者』を怯ませた。力任せに平井寿治に刃を向けるも、北野原常磐が巧みに受け流し、下から永源将之が首を狙う。
絶え間なく翻弄し、斬り付けることで『闇の者』は確実に内部の邪気を削られていた。漂う妖気が少しずつ薄れ、斬撃の力も弱まっていく。
「おのれ遣使(けんし)ども……」
埒があかないと悟ったのか、やがて『闇の者』は大きく後ろに飛び退くと、姿を闇に溶け込ませながら、呻くように口にした。
「この場は退いてやる。だが覚えておくがいい。お前達はのちに必ず後悔する。今日この場で帝が死んでいれば、日の本に戦乱は起きなかったとな」
山中で『闇の者』を退けたあと、後醍醐天皇一行は楠木勢に警護され、ようやく笠置山に入った。山頂の笠置寺ではすでに楠木正成の手の者や地元の豪族が、在位所の建築を始めていた。
「ようやく落ち着きましたね」
北野原常磐は、境内の片隅で休んでいた大塔宮親王に声をかけた。
「ああ、なんとかたどり着いた。とは言え、大変なのはこれからだが」
「うんざりした顔をなさらないでください。幕府相手の戦はまだこれからなんですから」
「やめてくれ、いまそれを考えると頭が痛くなりそうだ」
大塔宮親王はそう言って眉間に手をやった。きっと後醍醐天皇が再び自ら前線に出た様子が頭をよぎったのだろう。後醍醐天皇もさすがに、そこまで無茶はしないと思うが、山中での立ち回りぶりを見たあとでは、陣中で大人しくしているとは言いきれなかった。
「ところで、楠木様はどこに行かれたのです?」
北野原常磐は話題を変えるように口にした。
「奴なら主上のところだ」
「主上の?」
「そうだ。そもそも奴が赤坂から笠置山まで出てきたのは、形式上、主上の呼び出しに応じたからだ。だが奴は実際のところ、数年前に俺が河内を訪ねて以来、ずっと蜂起の準備を手伝ってくれたのだが、なかなか自分では起とうとはせぬ」
ほんの短い付き合いではあるが、北野原常磐にも楠木正成には得体の知れないなにかを感じていた。勇気や知略は問題ない。兵も声をかければ集まるのだろう。だが楠木正成の本質は武士というよりは商人だった。むしろ、このところ市中で聞く悪党、婆娑羅(ばさら)のほうが近いだろう。
「まあ、奴からすれば迷惑でしかない。武士とは名ばかりの、一介の豪族に過ぎないんだからな。商売だけしていれば安穏と暮らせるはずが、急に帝なんぞに呼び出されて戦をしろって命じられるんだから、俺が奴だったら尻尾巻いて逃げてしまうところさ」
楠木正成は、帝直々の呼び出しだけに断れず来たものの、いまだ後醍醐天皇について戦う決心はつきかねていた。もちろん武器の調達は手伝うし、在位所も資材から人足まで手配した。兵糧の準備もしていたが、そこまでで勘弁してもらうつもりらしい。
「まあ気持ちは分からんでもないさ。いま形だけでも六波羅に頭を下げれば、戦をせずに済むかもしれない。だが、惜しいと思わないか。臨機応変に戦う戦略の才能、もし俺達と戦ってくれたら、これほど心強いものはないんだが」
大塔宮親王が悔しがっていると、当の楠木正成が本堂から出てきた。目は虚ろで、足どりも酒に酔ったようにふらついている。
「おい、正成」
大塔宮親王が親しく声をかけても、楠木正成はすぐに気付かなかった。
「おい、聞こえんのか正成」
「これは、親王殿下に常磐殿。お2人はどうしてここに」
「寝ぼけておるのか。帝のおわす場所に親王がいても不思議ではあるまい」
「そりゃそうです。どうも主上のお言葉を直に聞いて、舞い上がってしまったようです」
「おいおい、そんなので大丈夫かよ」
「大丈夫に決まってます。むしろ俺はいま、かつてないほどたぎっております。このたぎりを攻め寄せる幕府軍に叩き付ける所存」
「ああ、それは良かった……」
「では、俺はこれから下赤坂に帰ります。主上から錦の御旗を頂いた上は、ただの負けは許されませんからな」
楠木正成はそう言うと、意気揚々と引き上げていった。
「あの様子ですと、どうやら楠木様は、帝の軍として戦うようですが」
「まあ、良かった……と言うべきだろうな」
大塔宮親王は複雑な顔をしていた。自分が決心にまで至らせられなかった男を、後醍醐天皇はわずかな時間で掌中に収めてしまった。後醍醐天皇には強烈に人を惹き付ける魅力が確かにあった。大塔宮親王が自分と後醍醐天皇との差を認めるまでには、まだかなりの時間が必要だった。
本堂に入ると北野原常磐の耳に、後醍醐天皇と側近達の声が入ってきた。
「主上が仰る『闇の者』なる存在、臣は信じられませぬ。六波羅軍への対応はともかくとして、そちらの対抗策など、果たして本当に必要でしょうか」
「なんだと、忠顕も実際に目の当たりにしたではないか」
「あれはきっとまやかしです。そうでなければ妖怪変化の類かと」
千種忠顕は『闇の者』の存在そのものを認められないようだ。後醍醐天皇を相手にしながら執拗に、かの存在を打ち消そうとしている。それは阿野廉子も同じだった。
「わらわも忠顕卿と同じ意見でございます。『闇の者』の存在など、にわかに信用できるものではありませぬ」
「廉子、お前は朕と共にいながら、一体なにを見ていたのだ」
後醍醐天皇は頭を振って立ち上がった。北野原常磐は、後醍醐天皇や側近達に見付からぬよう、そっと本堂をあとにした。
後醍醐天皇は外に出ると、憮然とした顔で近くの木を見上げていた。
「主上、おひとりで外に出られては皆が心配いたします」
「常磐か」
「千種殿と阿野様、どちらも実際に『闇の者』を目の当たりにしたにもかかわらず、存在をお認めにならないとは」
「聞いておったか」
後醍醐天皇はちらと常磐を見ると、空を見上げて口を開いた。
「確かに『闇の者』は存在する。しかも、強い。朕は実際に戦って骨身にしみた」
「はい」
「しかも、奴らは名刀や妖刀の類では滅することができない。朕はいかにして『闇の者』の脅威から身を守れば良いのか」
「主上、実は……」
北野原常磐が口を開いたそのとき、脳裏に声が響いてきた。思わずその場に膝をつく。
声は「歴史の神」からの啓示だった。
「常磐、いかがした」
「主上、そのお悩み、間もなく解決できるかもしれませぬ」
この世で唯一『闇の者』を討つ力を持った神刀、そしてその使い手が間もなくこの世に現れる。しかも、出現する場所は笠置寺の境内と伝えられた。
北野原常磐が素直に打ち明けると、後醍醐天皇はすぐに興味を持った。
「面白い、朕もその者に会ってみたくなった」
「よろしいのですか」
「無論、朕の命を預けるやも知れない者に、目通りせぬ訳にもいくまい」
後醍醐天皇は、なにがあっても同道するようだ。
北野原常磐はふと笑みを浮かべると、神刀とその使い手を迎えるために、出現場所へと歩き出した。