刀剣における「鍔」(つば)の本来の役割は、「柄」(つか)を握る際に、手を守ることにあります。刀身と柄の間を挟むように、刀剣に施されている鍔は、戦場で「突き」の攻撃を行なうときに、刀身のほうへ手がすべるのを防いでいたのです。刀剣が登場した当初は、この鍔がなかったり、付けられていたとしても、小さな形状であったりしましたが、時代が進んで刀剣の様式が確立されると、次第に大振りな形状へと変わっていきます。
そんな鍔の中でも「甲冑師鍔」(かっちゅうしつば)は、鉄板を打ち出し、透かし紋様を施した芸術性の高い鍔です。刀装具として独立した価値を有する鍔。力強さと繊細な技術を伝える甲冑師鍔の世界をご紹介します。
「甲冑師鍔」はその名の通り、甲冑師によって制作されたと伝えられていますが、甲冑師鍔とされているすべての鍔が、甲冑師が手掛けたかどうかについては明確になっていません。そのため甲冑師鍔の定義は、作り手によって規定されているという訳ではないと言えるのです。
甲冑師鍔は一般的に、よく鍛えられた鉄に透かし彫りの技巧が加えられ、草花の紋様や文字などが施されています。甲冑師鍔は、実用性に富む強固な作りでありながら、高い技術力が認められる鍔なのです。
甲冑師鍔は、甲冑制作の際に指揮官の役割を果たしていた甲冑師だけではなく、漆塗りや彫金(ちょうきん)などに通じた職人達が手掛けた作品もあると考えられています。
甲冑師鍔という名称の由来のひとつとして考えられているのは、その制作方法に甲冑の「小札」(こざね)や兜の板金を鍛える技術を用いられていること。
さらには、同じく甲冑の部位である「面頬」(めんぽう)を鍛える技術を応用した点も見受けられることから、甲冑師鍔と呼ばれるようになったとする説が、現在有力視されています。
鍔の構造は、その中央に穴が開いており、「切羽」(せっぱ:2枚の薄い金属の板)と呼ばれる金具によって、刀身と柄が繋がれています。鍔には、金や銀などの高級材を用いていたり、微細な彫金を施していたりと、それぞれに多岐に亘る魅力があるのです。
また鍔の形状は、丸形や角形の他、泥除けの目的で馬の胴に被せる馬具を模した「障泥形」(あおりがた)や「拳形」、切羽から少しはみ出す小形の「喰出形」(はみだしがた)、「木瓜」(ぼけ)の実を輪切りにした断面図のような「木瓜形」(もっこうがた)など、多彩な種類があります。
また鍔は、その形状だけでなく、制作者の職種や用いられた技法、制作された時代などによって種類が分けられることも。例えば、刀匠が刀剣を鍛える際に残った鉄を利用した「刀匠鍔」(とうしょうつば)や、もともとは仏具などの金属彫刻を手掛けていた金物細工師作の「太刀金具師鍔」(たちかなぐしつば)、美濃国(現在の岐阜県南部)在住の金工「光仲」(みつなか)などが用いていた「美濃彫」(みのぼり)の技法による「美濃鍔」(みのつば)などがあります。
さらには、室町時代にあたる応仁年間(1467~1469年)に制作されたと伝わる鍔は、「応仁鍔」と呼ばれていました。鍔の材料となったのは、鉄や銅、真鍮(しんちゅう)、金、銀だけでなく、複数の素材を組み合わせた合金などです。金や銀といった上質の素材は、主に「鍍金」(ときん:金属、あるいは非金属の表面を、別の金属の薄い膜で覆うこと。いわゆる「めっき」)として、装飾に用いられました。
このような鍔の中には、桃山時代に強大な力を持つ権力者の命を受け、純度の高い金をそのまま使って作られた金無垢の鍔もあります。
消耗品として扱われた時代もあった鍔ですが、次第にその重要性が増していきました。本来の刀剣を操る手を刃から守ったり、刀剣の重心を調整したりする部位として、さらには刀剣そのものの品位や希少性、価値を高める刀装具となっていったのです。
「花は桜木、人は武士」という言葉がありますが、甲冑師鍔の鍛え上げられた鉄板に打ち込まれた桜のモチーフは、まさにそうした華やかさと共に、潔さも感じさせます。桜は、鍔だけでなく家紋などにも用いられ、紋様として、武士に広く好まれていることが窺える意匠です。
桜のモチーフを施した甲冑師鍔の中には、鍔自体が花びらのように切られ、全体に透かしで花びらを散らした華やかな作品もあります。繊細な花弁の表情をとらえる高い技術に目を見張らずにいられません。
鉄肌を鍛える際に付けられた鎚痕(ついこん)を活かし、細い線を自在に残して桜を浮き上がらせた甲冑師鍔は芸術品と言える名品です。強さを求める一方で、繊細な刀装にまでこだわりを持っていた戦国武将達。甲冑師鍔における桜のモチーフには、制作者とそれを所有する人が込めた美意識が漂っています。
四季のある国に暮らしているのは今も昔も変わりませんが、昔の人は、それぞれの季節をより豊かな感情で受け入れて暮らしていました。
現代に残る古美術の意匠には、そうした四季の自然を映したモチーフが数多く見られ、その中のひとつである雪の結晶は、「雪華」(せっか)とも呼ばれており、刀剣にも多く用いられている意匠です。
雪の結晶をモチーフにした甲冑師鍔は、雪の結晶の形状をそのまま模した写実的な作品と、「六つ花」と呼ばれるなだらかな曲線で表された作品の2系統に分類することが可能。結晶の鋭さを透かしに取り入れた前者の甲冑師鍔からはモダンさが感じられ、その細かな造形には職人技が光っています。
これに対して後者の六つ花は、丸みをおびたモチーフの印影が、甲冑師独特の武骨さを和らげる効果をもたらしている甲冑師鍔です。
職種名により分類される鍔の中でも、代表的な存在である甲冑師鍔。しかし、同じように制作者の職業が、その名称に反映されている鍔は、この他にもいくつか種類があります。
ここからは、その中でも代表的な2種類の鍔を解説していきます。
刀匠鍔は、一般的には刀匠が制作した刀剣に装着するために、自身で作ったと言われる鍔です。また、作刀の依頼者から、刀剣のみならず鍔も一緒に頼まれた場合に作っていたという説もあります。ただ甲冑師鍔と同様、刀匠鍔の起源に関してもいくつかの説が伝えられているため、定かにはなっていません。
刀匠鍔の中でも室町時代に作られた「古刀匠鍔」は、やや厚手で、形状が丸形や木瓜形である鍔が多く見られます。時代を経ると薄手に打ち出されるようになりますが、シンプルな図柄を透かし模様として採用し、刀剣を握ったときに、滑り落ちるのを防ぐ紐である「手抜緒」(てぬきお:「腕抜緒」とも呼ばれる)を通す穴が開けられている刀匠鍔もあるのです。
刀匠鍔は、その鉄地がよく鍛えられているところは甲冑師鍔と類似していますが、簡素ながらも個性を感じられます。
甲冑師鍔は、「耳」と呼ばれる周縁部を外側から鎚で打ち叩き、折り返したように見せる「打返耳」(うちかえしみみ)や、耳の際(きわ)を円周状に厚く仕立て、土手のように見立てた「土手耳」(どてみみ)が施されている鍔が多いのに対し、刀匠鍔は、直角に仕立てた「角耳」(かくみみ)や、「丸耳」が多い点で、見分けられるのです。
このような耳は、鉄板を薄くしたことで強度が失われるのを防ぐための先人の知恵であり、甲冑師鍔における大きな特徴のひとつ。耳を鍔の縁に設ける技術は、実用から生まれましたが、この耳の打ち返しが、鍔の意匠にやわらかさだけなく、締まりのある表情をも与えています。刀匠鍔には、一部著名刀工の作例も見られますが、時代が古い鍔については、ほぼ無銘の作です。
室町時代までの鍔は、刀匠や甲冑師などの職人が、言わば副業として制作していることが多く、その素材には、作刀や甲冑制作の際に、余った鉄を使うのが一般的でした。刀剣や甲冑と同じ技法によって打ち出された鍔は、頑丈ですが武骨です。
室町時代から安土桃山時代にかけては、赤銅(しゃくどう)や真鍮の加工技術が発達。「金工師鍔」(きんこうしつば)と呼ばれる、さらに技巧を凝らした鍔が登場します。
金工師鍔とは、大名の命によって「装剣金工」が作った鍔のこと。当時活躍した金工師には、京都金工の流れを汲む「加納夏雄」(かのうなつお)、岡山藩の「正阿弥勝義」(しょうあみかつよし)、江戸の「石黒政美」(いしぐろまさよし)といった顔ぶれが並びます。
金工師達は、象嵌や彫金の技術を駆使し、花鳥紋様など華やかな金工師鍔を制作しました。「より豪華な美しい刀剣を」と競い合う諸大名の希望で、絵画や工芸品にも劣らない出来栄えの美術品が生み出され、後世にまで残されていったのです。
華やかな技巧を凝らした他の鍔に対し、甲冑師鍔は、前時代的とも言える、非常に簡素な作りに見えます。
甲冑師鍔は、甲冑の制作のために、よく鍛えられた鉄板を素材として用いているために厚みがあり、素朴な感じは否めません。時代が進むにつれて、透かし彫りなどの技術も向上していきますが、それでも象嵌や彫金によって彩られた他の工芸品などと比較すると、どこか物足りない雰囲気が感じられる鍔が見受けられることも事実です。
しかし甲冑師鍔において、叩き上げられた鎚痕が武骨さの中に現れるのは、絶妙な景色や背景。花々や雪結晶、瓢箪や蝶など、身近にある自然をモチーフに取り入れることで、鉄素材の甲冑師鍔に温かくやわらかみのある趣のみならず、力強さや躍動感も加えています。
甲冑師鍔として現代にまで残されている鍔には、ほぼ銘がありません。無銘とされる甲冑師が、武具であった刀剣に美術性を与え、長いときを経て、現代人の心を魅了する技術を今に伝えています。
刀剣の典型的な姿を想像するとき、鍔は欠かせない部位のひとつです。
しかし、刀剣の原型が生まれた頃には鍔そのものがなかったり、あったとしても、粗削りな仕上がりであったりしたと伝えられています。刀剣の歴史と同様に、鍔もまた時間を掛けて、次第に完成度を高めていきました。
甲冑師鍔の登場はその初期の時代にあり、素朴な中にも力強さと日本人特有の美意識が感じ取れます。甲冑師鍔のその小さな鉄板の中に、当時の職人や武士の刀剣にかける思いが垣間見えるようです。