面頬(めんぽお/めんぼお)に取り外し可能な鼻が付属するようになると、様々な表情が作出されるようになりました。表情のある面頬(面具)は、着用した武者達にとって、仮面の役割も果たし、ときに怒り、ときには笑みを浮かべます。美女や老婆、翁さらには動物、鬼霊、神仏まで。様々な表情の面頬(面具)が制作されるようになりました。こうした表情は、敵を当惑させ、不気味さを感じさせるなど、精神的な揺さぶりをかける役割も果たしていたのです。面頬(面具)に表現された表情についてご説明します。
面頬(めんぽお/めんぼお)の中で、最も多いのは人間の表情をモチーフとした作品です。面頬(面具)は戦場で用いられる武具(防具)であるため、敵を威圧するような怒りの表情をした「烈勢面」(れっせいめん)と威厳のある武士の表情をした「隆武面」(りゅうぶめん)の2つに大別することができます。
数ある面頬(面具)のなかで、最も多く制作されたと言われている烈勢面は、頬に膨らみがなく、皺(しわ)が入った細面(ほそおもて)であることが勢いを生み出しているのです。これに対し、隆武面は頬に膨らみがある肉付きのいい面。烈勢面のような激しさはありません。
烈勢面や隆武面がスタンダードな面相であるのに対し、不気味に笑う「笑面」(えみめん)や全体に深い皺が刻まれたている「翁面」(おきなめん)も存在しています。
この2つの面頬(面具)は、皺が入っていることから、烈勢面に分類されていますが、こと笑面については、その表情の穏やかさから隆武面に分類する見解も。命のやり取りをする戦場において、笑みをたたえているこうした面頬(面具)は場違いであるとも思われます。
しかし、対峙する敵にとってはそれが不気味に映るのもまた事実。敵の勢いを削いだり、はぐらかしたりするなどして、当惑させる効果があるとも言われているのです。
その他、若い女性をモチーフにした「美女面」(びじょめん)や、老婆を模した「姥面」(うばめん)なども、人間の表情を象った面頬(面具)です。
美女面は肉付きのいい頬に皺がなく、口と鼻が小さい穏やかな表情をしているのが特徴。女性であるため、当然、ひげもありません。美女面は、頬に皺がないことから、分類上は隆武面に属していると言われています。
他方、姥面は細い顎が前に突き出し、皺が多く、歯がない老婆のような表情が特徴。翁面と同様に敵に不気味さを感じさせる面頬(面具)です。
面頬(面具)のモチーフとなったのは人間にとどまりません。動物を象った物も存在しています。飛行機などがない時代、武士達が自由に空を飛び回ることができていた鳶に憧れを抱いたとしても不思議ではありません。
加えて、武士達がそのくちばしの鋭さに攻撃性を感じ取ったことで、面頬(面具)の意匠として取り入れたとも言われています。
鳶面はくちばしを鼻に見立てて面形としていることから、鼻が長い「天狗面」と類似していますが、口ひげの有無によって区別可能。口ひげがないのが鳶面です。
また、顎から頬の真ん中あたりまでを覆う「燕頬」(つばくろぼお)でも、動物を象ったと考えられる面頬(面具)が存在しています。それが「狐頬」(きつねぼお)や「狸頬」(たぬきぼお)です。
両者の違いは鼻先の太さと顎のシルエット。狐頬は細い顎が長く突き出ている造形ですが、狸頬は鼻先がやや太くなっています。その他に、猿をモチーフとした「猿頬」などの動物を象った面頬(面具)も制作されていたという記録もありますが、数自体はそれほど多くはなく、希少な存在です。
前述したように、面頬(面具)は、戦場の武士にとって仮面としての役割もあったと言われています。そのため、人知を超えた能力を持つと信じられていた鬼霊をモチーフとした面頬(面具)を制作させ、それを着用して戦場に立ったのです。面頬(面具)を通して、自分もこうした力を持った鬼霊のような存在になりたいという武士達の切実な願いを感じ取ることができます。
鬼霊をモチーフとした面頬(面具)のなかで、代表物だと言えるのが「天狗面」です。神通力を持った超人的な能力を有するとされる天狗は、変幻自在に動くことができ、空を飛ぶことも可能。
さらには、京・鞍馬山中で「源義経」に剣術を教えたという伝説が残っているほどの剣術の達人でもあります。すなわち、戦いにおいて必要とされる能力をすべて備えている存在。天狗面には鼻先が鋭く尖った鳥天狗と、鼻が長く突き出した形態の物の2種類があり、鳥天狗をモチーフとした面頬(面具)が一般的です。
また面頬(面具)ではありませんが、当世具足のなかには、兜鉢を言い伝えられてきた鳥天狗の形状にした作品も。武士にとって、天狗の超人的能力は羨望の的だったと言えます。
その他、上下に鋭い牙を2本ずつ配した獅子をモチーフとした「獅子口面」(ししぐちめん)や、天狗などと共に行列などの先導役を務める治道を象った「治道面」(ちどうめん)、鬼や般若を題材とした面頬(面具)が制作されていたのです。
常に死と隣り合わせであることを余儀なくされていた戦国時代の武士達にとって、信仰は自らの心を落ち着かせるための大きなよりどころでもありました。
彼らは戦場に赴くにあたって、仏名などを記したお守りや本尊を持参したと言われています。目的は神仏の加護を受けるためですが、万一、戦場で命を落とすようなことになった場合には、成仏することができるようにという思いもありました。
例えば、「武田信玄」は、合戦のたびに「諏訪神社」で必勝祈願を行なったと言われ、また自らを「毘沙門天」(びしゃもんてん)の生まれ変わりと称していた「上杉謙信」は、出陣前には必ず毘沙門堂に籠っていたと伝えられています。
武士達のこうした志向は、面頬(面具)制作にも反映されていました。密教の本尊として尊ばれた「愛染明王」(あいぜんみょうおう)をモチーフとした「愛染明王面」や、前述した上杉謙信が傾倒した毘沙門天を象った「毘沙門面」、さらには「関ヶ原の戦い」を前にした「徳川家康」の夢のなかに出てきたと伝えられる「大黒天」を表現した「大黒面」、五穀豊穣の象徴である「力士」の「力士面」など、幅広い種類の面頬(面具)が制作されたのです。