歴女について

歴女におすすめの古戦場
/ホームメイト

歴女におすすめの古戦場 歴女におすすめの古戦場
文字サイズ

歴史を感じることができる場所のなかでも、近年、注目度が高まっている「古戦場」。古戦場の魅力とは、どんなところにあるのでしょうか。古戦場の解説に加え、全国にある古戦場から歴女におすすめの地をピックアップしてご紹介します。

古戦場とは

集団での戦い

集団での戦い

古戦場とは、長い歴史のなかで実際に戦いが行なわれた場所のことを意味します。多くのドラマが生まれた舞台とも言え、戦いの数だけ古戦場が存在するのです。

刀剣ワールド」でも「全国の古戦場一覧」にて、戦いの概要と古戦場、そして関連施設などを合わせてご紹介しています。

近年では、歴女ブームとあいまって旅行会社による古戦場を訪ねる企画ツアーも存在。旅の目的のひとつとしての古戦場に注目が集まっています。

全国の古戦場一覧全国の古戦場一覧
武将達が戦った全国各地の古戦場をご紹介!

古戦場の魅力

古戦場と言っても、実際に戦いの跡を見学できる場所は限られています。全国にある古戦場は、や公園、寺社仏閣などに整備されていたり、石碑や銅像を建立されていたりする場合がほとんど。なかには、資料館や博物館を設置する自治体もあり、観光地としても楽しめるよう工夫が施されています。

現地に足を運んでみることで、改めて歴史について深く学ぶことができ、現地だからこそ得ることができる情報もあるものです。また、特に施設がない場所でも、地形や方角を確認しながら、実際の戦いをイメージして思いを馳せることも、歴女ならではの古戦場の楽しみ方と言えます。

原城跡に建つ天草四郎の像

原城跡に建つ天草四郎の像

例えば、1637年(寛永14年)に起こった「島原の乱」の古戦場。

江戸時代初期、国内最大級の一揆としても知られるこの戦いは、長崎県南島原市を中心に起こりました。

激しい籠城戦の舞台となった「原城」(長崎県南島原市)は、女性や子どもが隠れていた外や、一揆軍籠城の建物跡などの遺構が保存されています。建物は残っていませんが、地形から当時の状況を紐解くことが可能です。また、原城の近くには「南島原市有馬キリシタン遺産記念館」(長崎県南島原市)があり、島原の乱について見識を深めることができます。

復元された「弾痕の家」

復元された「弾痕の家」

実際の戦いを生々しく体感できる場所としては、熊本県熊本市の「田原坂公園」(たばるざかこうえん)が有名です。

田原坂は、1877年(明治10年)に起こった国内最後の内戦「西南戦争」の激戦地で、現在は公園として整備されています。

園内には、西南戦争で銃弾を浴びた家屋「弾痕の家」が復元され、「熊本市田原坂西南戦争資料館」も併設。映像や音、ジオラマで、当時の戦いの凄まじさを現代に伝えています。

歴女におすすめの古戦場3選

戦いの背景を知り、地形から各武将の戦術を考察してみるのも、古戦場の楽しみ方のひとつ。知名度、人気ともに高い戦国時代の武将や合戦から、特に歴女におすすめの古戦場をピックアップしてご紹介します。

歴女が好きな武将1位「織田信長」の伝説的一戦「桶狭間の戦い」古戦場

歴女だけでなく、多くの歴史ファンから圧倒的な支持を集める戦国武将と言えば、「織田信長」。織田信長にまつわる合戦はたくさんありますが、なかでも1560年(永禄3年)に起こった「桶狭間の戦い」は伝説的な合戦のひとつ。圧倒的な兵力差にもかかわらず、「今川義元」を奇襲によって討ち取ったことで知られています。

当時の合戦の舞台は諸説ありますが、有力視されているのが、現在は公園として整備されている「桶狭間古戦場公園」(愛知県名古屋市)と国指定史跡がある「桶狭間古戦場伝説地」(愛知県豊明市)です。桶狭間古戦場公園には、織田信長と今川義元の銅像が立ち、合戦当時の地形や城、砦のジオラマが見どころ。

桶狭間古戦場伝説地 七石表

桶狭間古戦場伝説地・七石表

一方、桶狭間古戦場伝説地は国指定史跡で、今川義元と重臣6人の戦死場所を示す「七石表」(しちせきひょう)があります。

また、今川軍の「松井宗信」(まついむねのぶ)の子孫によって建てられた石碑「桶狭間弔古碑」(おけはざまとぶらいのこひ)は必見。今川軍側から語られた桶狭間の戦いの顛末が刻まれています。

2つの古戦場は、徒歩20分程度なので歴女ならどちらも訪れたいところです。歴史的な合戦でありながら、謎も多い桶狭間の戦いの古戦場を訪れて、織田信長の戦略をイメージしてみては。

戦国武将
日本の歴史に登場する戦国武将をイラスト付きでご紹介します。

真田幸村(真田信繁)が活躍、「大坂冬の陣・夏の陣」古戦場

男女限らず、好きな武将に選ばれることが多い「真田幸村/真田信繁」(さなだゆきむら/さなだのぶしげ)。1614年(慶長19年)に始まった「徳川家康」と「豊臣秀頼」(とよとみひでより)による戦い「大坂冬の陣・夏の陣」は、真田幸村(真田信繁)最後の戦いとなりました。

大坂城(大阪城)

大坂城(大阪城)

同戦の舞台は、「大坂城」(現在の大阪城大阪府大阪市)とその周辺です。

1614年(慶長19年)に始まった大坂冬の陣では、開戦後10日で豊臣軍が大坂城に籠城。

真田幸村(真田信繁)は、大坂城唯一の弱点とされたお城の南方に築いた出城「真田丸」(さなだまる)を巧みに使い、徳川軍を翻弄しました。

真田幸村(真田信繁)は、徳川軍を苦戦させた武将として、その名を轟かせることとなったのです。

現在も大坂城天守閣では、合戦の史料展示が行なわれており、城の周辺には、真田丸の史跡が充実しています。真田幸村(真田信繁)が作ったとされる、大坂城からの抜け道が残る「三光神社」(さんこうじんじゃ:大阪府大阪市)や山門横に「真田幸村出丸城跡」の石碑が建つ「心眼寺」(しんがんじ:大阪府大阪市)は、必見のスポット。

また、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣における野戦でも大坂城周辺が戦場となりました。「安居神社」(やすいじんじゃ:大阪府大阪市)は、真田幸村(真田信繁)終焉の地であり、境内には銅像や石碑が建立されています。

大阪府大阪市の中心地、建物が立ち並ぶ大坂城一帯は、大坂冬の陣・夏の陣の古戦場でもあり、数多くの史跡が街の至るところに残されています。このような街中に残る史跡を訪ねることも、古戦場の楽しみ方と言えるでしょう。

圧倒的なスケール、天下分け目の大合戦「関ヶ原の戦い」古戦場

関ヶ原の戦い 布陣図

関ヶ原の戦い 布陣図

1600年(慶長5年)に起こった「関ヶ原の戦い」と言えば、戦国の猛者達が東西に分かれてぶつかり合った、天下分け目の一戦として知られています。徳川家康率いる東軍と、「毛利輝元」や「石田三成」が率いる西軍、総勢170,000人以上が参戦。決戦の地は、現在の岐阜県不破郡関ヶ原町です。

開戦前は東軍の兵70,000に対し、西軍の兵は100,000を超えており、西軍が有利とも言われていました。しかし、実際には徳川家康の采配が光り、西軍から東軍に寝返る武将が続出。開戦後わずか6時間で東軍が勝利することとなったのです。

現在の関ヶ原町には、関ヶ原の戦いに関連する史跡が点在。特に、広大な平野に東軍、西軍の武将達がどのように陣を張ったのか、各武将の陣跡を訪ねることができます。「徳川家康最後陣跡」、「笹尾山・石田三成陣跡」、「松尾山・小早川秀秋陣跡」など、広範囲に亘るスポットを巡ると、当時の戦がどれほど大規模だったのかを体感することができるでしょう。すべての陣跡を巡っても約16km。JR東海道本線関ヶ原駅そばの「関ケ原駅前観光交流館」では、レンタサイクルなども利用可能です。

また、2020年(令和2年)秋には「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープン。古戦場としての関ヶ原町に、歴女はもちろん全国の歴史ファンからの期待が高まっています。

合戦の街 関ヶ原
「関ヶ原の戦い」の経緯や結末、関ヶ原の現在についてご紹介します。
岐阜関ケ原古戦場記念館
「岐阜関ケ原古戦場記念館」の体験コーナーや展示内容など、施設の魅力をご紹介します。

歴女におすすめの古戦場
SNSでシェアする

名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク) 名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク)
名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク)では、重要文化財などの貴重な日本刀をご覧いただくことができます。
キャラクターイラスト
キャラクターイラスト
キャラクターイラスト

「歴女について」の記事を読む


歴女におすすめのお祭り

歴女におすすめのお祭り
勇壮な合戦絵巻に鉄砲隊の演武、甲冑姿の武者達や、姫を乗せた輿(こし)の行列など、歴女の心を躍らせるイベントが目白押し。それが、戦国武将ゆかりのお祭りです。現在、全国各地で戦国武将にまつわるお祭りが開催され、毎年多くの観客を集めています。お祭りでは、歴史の教科書や時代劇でしか観ることのできなかった戦国時代の風景が、まさに目の前で再現されるのです。歴女のみなさんもその世界へいざなわれ、迫力に圧倒されることでしょう。そんな全国の名だたるお祭りのなかから、山梨県甲府市の「信玄公祭り」、京都府京都市の「時代祭」(じだいまつり)、愛知県名古屋市の「名古屋まつり」、福島県相馬市の「相馬野馬追」(そうまのまおい)の4つをピックアップ。歴女におすすめのお祭りとして、特徴や見どころをご紹介します。

歴女におすすめのお祭り

歴女におすすめの浮世絵

歴女におすすめの浮世絵
「浮世絵」とは、江戸時代に発達した風俗画のことです。江戸時代には、木版印刷が普及して本や木版画が身近な物となり、歴女が好きな武将を描いた「武者絵」や「偽名絵」(にせなえ)が数多く描かれました。また、浮世絵は観賞するだけではなく、切り抜いて遊ぶなど「おもちゃ」としても活用されたのです。新たな浮世絵の魅力に気付ける、歴女におすすめの浮世絵についてご紹介します。

歴女におすすめの浮世絵

歴女におすすめの城

歴女におすすめの城
「日本の城」という言葉でイメージする物と言えば、美しく積まれた石垣や高くそびえる天守(てんしゅ:城郭建築の中心となる高く造った建物のこと)ではないでしょうか。実は、城の起源は弥生時代にまで遡り、日本国内には分かっているだけでも50,000もの城跡があると言われています。戦乱が増加した南北朝時代から江戸時代までの城についての解説と、歴女におすすめの城をご紹介します。

歴女におすすめの城

歴女に人気の戦国武将

歴女に人気の戦国武将
戦国武将と言えば、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」の三英傑を思い浮かべる人も多いことでしょう。しかし、戦国時代には三英傑だけでなく、多くの武将が戦乱の時代を鮮烈に生き、足跡を残しました。憧れとなるその生き様は日本人の心に刻まれ、その史跡は多く残されているのです。そんな歴女に人気の戦国武将達を、ゆかりの地や食べ物と共にご紹介していきます。

歴女に人気の戦国武将

新撰組とは

新撰組とは
江戸時代末期、京都治安維持のために結成された「新撰組」(しんせんぐみ)。新撰組は、「尊皇攘夷思想」(そんのうじょういしそう:天皇を敬い、外国人を打ち払う考え)を持ち、京都で乱暴狼藉を行なっていた、不逞浪士の取り締まりをするために結成されました。この組織のリーダーに「近藤勇」、副長「土方歳三」、隊士「沖田総司」らがいます。彼らは様々なドラマや小説、漫画やゲームなどの登場人物として取り上げられ、今なお歴史ファンや歴女を魅了してやみません。そんな新撰組と、近藤勇、土方歳三、沖田総司の3人についてご紹介します。 「新撰組」関連YouTube動画 新撰組とは 新撰組の愛刀

新撰組とは

歴女におすすめの甲冑

歴女におすすめの甲冑
戦国武将の姿をイメージするとき、甲冑をまとった勇姿を思い浮かべる歴女の方も多いのではないでしょうか。現代でも馴染み深い、日本独自の甲冑スタイルである「大鎧」(おおよろい)が登場したのは平安時代のこと。以降、日本の甲冑は、「日本式甲冑」として世界でも類を見ない進化・発展を遂げることとなります。 そのなかでも、戦国時代後期の安土桃山時代から江戸時代にかけて主流となった「当世具足」(とうせいぐそく)は、大規模な集団戦や鉄砲戦に対応できる機能を備えていたばかりでなく、着用する武将の思想や世界観がデザインに反映され、個性が際立っていました。戦国武将が身に付けていた甲冑にはどのような個性が表れていたのか、歴女人気の高い名将を中心に見ていきましょう。さらに、歴史的に貴重な甲冑の名品もご紹介します。

歴女におすすめの甲冑

御城印とは

御城印とは
近年の日本では、神社仏閣を参拝した証しにいただける「御朱印」がブームになっていますが、そのお城バージョンとも言える、「御城印」(ごじょういん)をご存じでしょうか。最近の戦国武将人気により、ゆかりのあるお城を巡る人達が増え、「登城証明」である御城印を集めることが、ブームの兆しを見せています。御城印について解説しながら、御城印という言葉を初めて聞いたという人にも分かりやすく、オススメの御城印のある日本全国のお城についてご紹介します。

御城印とは

城ガールとは

城ガールとは
近年、若い女性を中心に「〇〇ガール」や「〇〇女子」、「〇女」といった造語が生まれていますが、そのひとつである「城ガール」とは、「お城女子」とも呼ばれるお城が好きな女性のこと。城ガールはフットワークが軽いため、様々なお城を巡り、楽しんでいます。 そんな城ガールの特徴と、人気のお城をご紹介します。

城ガールとは

御朱印とは

御朱印とは
神社仏閣を参拝した際に、その証しとして授与される「御朱印」(ごしゅいん)。昨今の日本史ブームとパワースポットブームが相乗効果を生み、収集する人達が急増しています。そんな中で、実際に御朱印巡りを行なっていても、そもそも御朱印とはいったいどんな物なのか、また、御朱印を拝受する際のマナーはどのようなことに気を付ければ良いのかなど、疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。御朱印の由緒や歴史についてご説明すると共に、御朱印巡りの実状についても解説します。 「御朱印・御朱印帳・御城印・御城印帳 写真コンテスト」を開催!入賞者には賞品としてQUOカードをプレゼント!

御朱印とは

注目ワード
注目ワード