歴史を感じることができる場所のなかでも、近年、注目度が高まっている「古戦場」。古戦場の魅力とは、どんなところにあるのでしょうか。古戦場の解説に加え、全国にある古戦場から歴女におすすめの地をピックアップしてご紹介します。
古戦場と言っても、実際に戦いの跡を見学できる場所は限られています。全国にある古戦場は、城や公園、寺社仏閣などに整備されていたり、石碑や銅像を建立されていたりする場合がほとんど。なかには、資料館や博物館を設置する自治体もあり、観光地としても楽しめるよう工夫が施されています。
現地に足を運んでみることで、改めて歴史について深く学ぶことができ、現地だからこそ得ることができる情報もあるものです。また、特に施設がない場所でも、地形や方角を確認しながら、実際の戦いをイメージして思いを馳せることも、歴女ならではの古戦場の楽しみ方と言えます。
例えば、1637年(寛永14年)に起こった「島原の乱」の古戦場。
江戸時代初期、国内最大級の一揆としても知られるこの戦いは、長崎県南島原市を中心に起こりました。
激しい籠城戦の舞台となった「原城」(長崎県南島原市)は、女性や子どもが隠れていた外堀や、一揆軍籠城の建物跡などの遺構が保存されています。建物は残っていませんが、地形から当時の状況を紐解くことが可能です。また、原城の近くには「南島原市有馬キリシタン遺産記念館」(長崎県南島原市)があり、島原の乱について見識を深めることができます。
実際の戦いを生々しく体感できる場所としては、熊本県熊本市の「田原坂公園」(たばるざかこうえん)が有名です。
田原坂は、1877年(明治10年)に起こった国内最後の内戦「西南戦争」の激戦地で、現在は公園として整備されています。
園内には、西南戦争で銃弾を浴びた家屋「弾痕の家」が復元され、「熊本市田原坂西南戦争資料館」も併設。映像や音、ジオラマで、当時の戦いの凄まじさを現代に伝えています。
戦いの背景を知り、地形から各武将の戦術を考察してみるのも、古戦場の楽しみ方のひとつ。知名度、人気ともに高い戦国時代の武将や合戦から、特に歴女におすすめの古戦場をピックアップしてご紹介します。
歴女だけでなく、多くの歴史ファンから圧倒的な支持を集める戦国武将と言えば、「織田信長」。織田信長にまつわる合戦はたくさんありますが、なかでも1560年(永禄3年)に起こった「桶狭間の戦い」は伝説的な合戦のひとつ。圧倒的な兵力差にもかかわらず、「今川義元」を奇襲によって討ち取ったことで知られています。
当時の合戦の舞台は諸説ありますが、有力視されているのが、現在は公園として整備されている「桶狭間古戦場公園」(愛知県名古屋市)と国指定史跡がある「桶狭間古戦場伝説地」(愛知県豊明市)です。桶狭間古戦場公園には、織田信長と今川義元の銅像が立ち、合戦当時の地形や城、砦のジオラマが見どころ。
一方、桶狭間古戦場伝説地は国指定史跡で、今川義元と重臣6人の戦死場所を示す「七石表」(しちせきひょう)があります。
また、今川軍の「松井宗信」(まついむねのぶ)の子孫によって建てられた石碑「桶狭間弔古碑」(おけはざまとぶらいのこひ)は必見。今川軍側から語られた桶狭間の戦いの顛末が刻まれています。
2つの古戦場は、徒歩20分程度なので歴女ならどちらも訪れたいところです。歴史的な合戦でありながら、謎も多い桶狭間の戦いの古戦場を訪れて、織田信長の戦略をイメージしてみては。
男女限らず、好きな武将に選ばれることが多い「真田幸村/真田信繁」(さなだゆきむら/さなだのぶしげ)。1614年(慶長19年)に始まった「徳川家康」と「豊臣秀頼」(とよとみひでより)による戦い「大坂冬の陣・夏の陣」は、真田幸村(真田信繁)最後の戦いとなりました。
同戦の舞台は、「大坂城」(現在の大阪城:大阪府大阪市)とその周辺です。
1614年(慶長19年)に始まった大坂冬の陣では、開戦後10日で豊臣軍が大坂城に籠城。
真田幸村(真田信繁)は、大坂城唯一の弱点とされたお城の南方に築いた出城「真田丸」(さなだまる)を巧みに使い、徳川軍を翻弄しました。
真田幸村(真田信繁)は、徳川軍を苦戦させた武将として、その名を轟かせることとなったのです。
現在も大坂城天守閣では、合戦の史料展示が行なわれており、城の周辺には、真田丸の史跡が充実しています。真田幸村(真田信繁)が作ったとされる、大坂城からの抜け道が残る「三光神社」(さんこうじんじゃ:大阪府大阪市)や山門横に「真田幸村出丸城跡」の石碑が建つ「心眼寺」(しんがんじ:大阪府大阪市)は、必見のスポット。
また、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣における野戦でも大坂城周辺が戦場となりました。「安居神社」(やすいじんじゃ:大阪府大阪市)は、真田幸村(真田信繁)終焉の地であり、境内には銅像や石碑が建立されています。
大阪府大阪市の中心地、建物が立ち並ぶ大坂城一帯は、大坂冬の陣・夏の陣の古戦場でもあり、数多くの史跡が街の至るところに残されています。このような街中に残る史跡を訪ねることも、古戦場の楽しみ方と言えるでしょう。
1600年(慶長5年)に起こった「関ヶ原の戦い」と言えば、戦国の猛者達が東西に分かれてぶつかり合った、天下分け目の一戦として知られています。徳川家康率いる東軍と、「毛利輝元」や「石田三成」が率いる西軍、総勢170,000人以上が参戦。決戦の地は、現在の岐阜県不破郡関ヶ原町です。
開戦前は東軍の兵70,000に対し、西軍の兵は100,000を超えており、西軍が有利とも言われていました。しかし、実際には徳川家康の采配が光り、西軍から東軍に寝返る武将が続出。開戦後わずか6時間で東軍が勝利することとなったのです。
現在の関ヶ原町には、関ヶ原の戦いに関連する史跡が点在。特に、広大な平野に東軍、西軍の武将達がどのように陣を張ったのか、各武将の陣跡を訪ねることができます。「徳川家康最後陣跡」、「笹尾山・石田三成陣跡」、「松尾山・小早川秀秋陣跡」など、広範囲に亘るスポットを巡ると、当時の戦がどれほど大規模だったのかを体感することができるでしょう。すべての陣跡を巡っても約16km。JR東海道本線関ヶ原駅そばの「関ケ原駅前観光交流館」では、レンタサイクルなども利用可能です。
また、2020年(令和2年)秋には「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープン。古戦場としての関ヶ原町に、歴女はもちろん全国の歴史ファンからの期待が高まっています。