「樋」(ひ)とは、日本刀の刀身に彫られる細長い溝のこと。刀身に樋を施すことを「掻く」あるいは「突く」と言い、樋がある日本刀は見栄えが良いため、樋が掻かれた日本刀の方が好きという刀剣ファンも多いです。しかし、なぜ日本刀に樋が掻かれているのかまでは知られていません。樋の役割と共にどのような種類があるのかをご紹介します。
樋の役割は、実は明らかになっていません。その理由は、樋の役割を記した史料が見つかっていないため。
定説となっているのは「刀身の強度を低下させずに刀身を軽くするため」、「見栄えを良くするため」、「風切り音を出やすくするため」の3つです。
この説は、長らく疑問視されていましたが、近年になって実証されました。
実験で行なわれたのは、樋が掻かれていない模擬刀を用意し、段階的に樋を掻いて質量を減少させ、それぞれの強度を機械で計測するという方法です。
この実験によって、樋を掻いた刀身の強度は、樋がない刀身よりやや劣りますが性能的に大きな変化が生じることはないという結果が出ました。
樋が掻かれた刀身は、樋がない刀身に比べて細身に見えます。
また、刀身に沿って流れる曲線は、日本刀本来の美しさをより引き立てるため、鑑賞を目的とした場合は樋が掻かれた日本刀の方が好き、という愛刀家も少なくありません。
日本刀は、素振りをしたときに「ヒュウッ」という軽快な風切り音が鳴るイメージがありますが、実はこの風切り音は樋を掻くことで容易に出すことができるのです。
樋がない刀でも風切り音を出すことは可能ですが、この場合、相当な速度と正確な角度が求められます。刀を振った際に出る風切り音は、とても心地が良いですが、風切り音の役割はそれだけではありません。
命のやり取りが当然だった時代において、武士はあえて風切り音が出るように樋を掻き、相手を威嚇することで後れを取らないようにしたと言われています。
良いこと尽くめの樋ですが、実はデメリットとなる点も存在。それは、手入れが大変という点です。
樋は「血流し」という別名があることでも有名ですが、これは斬った相手の血が樋の中を流れていく様子から付けられました。
刀身は、汚れたらすぐに手入れをしなければ錆びの原因になります。表面に付いただけであれば、布などで拭き取ることで綺麗にできますが、溝の奥に入り込んでしまった場合、汚れを掻き出すのは非常に手間です。
そのため、手入れの手間を省く目的で樋に朱漆を塗ることもありました。また、樋が掻かれた刀は樋がない刀と違って修復が困難というデメリットもあります。
例えば、刀身が曲がった場合、樋が掻かれていなければプロの技量でもとの状態に戻してもらえますが、樋が掻かれていると捩(ねじ)れが生じやすくなり、もとの状態に戻すのは困難です。
そのため、居合術など、刀が曲がる恐れのある現場では、樋が掻かれていない刀を使うことが推奨されています。
「棒樋」(ぼうひ)とは、刀身に沿って掻かれた1本の樋のこと。刀身に施される彫刻の中でも最も多く見られる典型的な樋です。
「刀 銘 美濃守藤原政常(花押)」は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて美濃国(現在の岐阜県南部)で活動した刀工「政常」によって制作された打刀。政常は、「徳川御三家」のひとつ「尾張徳川家」のお抱え刀工で、短刀の名手として知られています。
短刀の他、薙刀や槍などを制作した一方で、打刀は非常に少ないと言われているため、本刀は政常が手掛けた作の中でも特に貴重な1振です。