甲冑師とは、甲冑を作る職人のこと。甲冑には、「大鎧」(おおよろい)、「胴丸」(どうまる)、「腹巻」(はらまき)、「当世具足」(とうせいぐそく)と種類があり、時代と共に進化しました。甲冑師になるにはどんな知識や技術が必要で、何年位修行すれば良いのでしょうか。甲冑師の仕事や甲冑の制作方法について、甲冑師「西岡文夫」(にしおかふみお)氏にうかがいました。
文化財の甲冑を復元できる本物の甲冑師は、現在日本に2人しかいないと言われています。
そのうちのひとりが、「西岡文夫」(にしおかふみお)氏です。
西岡文夫氏は、1953年(昭和28年)生まれ。甲冑が好きで、甲冑師「森田朝二郎」(もりたあさじろう)氏に師事。日本文化を後世に残す一生やりがいのある仕事に就きたいと、25歳のときにグラフィックデザイナーから甲冑師に転職しました。
いちばん好きな甲冑は、鎌倉幕府の御家人「畠山重忠」(はたけやましげただ)が、「武蔵御嶽神社」(むさしみたけじんじゃ:現在の東京都青梅市)に奉納したと伝えられる国宝「赤糸縅鎧」(あかいとおどしよろい)。1996年(平成8年)に東京都青梅市の依頼で復元模造制作も手掛けました。
現在は、神奈川県横浜市に甲冑武具の修復と復元、模造制作を行う「西岡甲房」(にしおかこうぼう)を設立。
夢は「もう1度、国宝級大鎧[おおよろい]の復元制作に携わること。また、たくさんの弟子を育てること」。
一般社団法人日本甲冑武具研究保存会副会長、文化財保存修復学会会員。
甲冑師とは、日本独自の甲冑を制作する職人のことです。
甲冑とは、兜(かぶと)と鎧(よろい)からなる防備の武具。進化の過程で種類が生まれ、平安時代中期には大鎧、平安時代後期には「胴丸」(どうまる)、鎌倉時代後期から室町時代には「腹巻」(はらまき)、江戸時代には「当世具足」(とうせいぐそく)が隆盛しました。
種類によっても異なりますが、甲冑は「三つ物」(みつもの)と呼ばれる兜、「胴」(どう)、「袖」(そで)。付属品の「喉輪」(のどわ)、「籠手」(こて)、「草摺」(くさずり)、「佩楯」(はいだて)、「臑当」(すねあて)、「頬当」(ほおあて)といった部位によって構成されています。
これらに使用される素材は、以下の5つです。
緒(ひも)を通すことを緒通し(おとうし)と言い、転じて縅し(おどし)と呼ばれるようになりました。
この5つの素材を扱うには、鍛金、金工(きんこう)、漆工(しっこう)、皮革工芸(ひかくこうげい)、縅すという厖大な知識や技術、そして経験が必要です。「すべてを修得し、1人前の甲冑師となるには20年は掛かります」と西岡文夫さん。それぞれの部位を完成させ、1領(りょう)に組み上げるのが甲冑師の仕事なのです。
甲冑を制作するためには、兜から作るべきというような順番は特にありません。
しかし、必要な部位をすべて作りあげないと、組み上げることはできないのです。
「甲冑は、小札、縅毛、金具廻、金物、絵韋と、素材ごとに部位を制作していくのが、最も効率の良い方法です」と西岡文夫さん。
甲冑作りに必要な部位数は、平安時代の大鎧の場合では55パーツ程度ですが、江戸時代の当世具足の場合は無限と言われています。戦がない天下泰平な時代、大名家では威信を掛けて、甲冑に絢爛豪華で精緻な装飾技法を施したのです。
伊予札とは、室町時代頃に伊予国(現在の愛媛県)で考案されたと言われる、札と札との重なりが少ない、本小札を簡略した小札のこと。
鉄製、あるいは牛皮製。本小札よりも防御力は劣りますが、重量が軽いので動きやすくなり、コストも低いため普及しました。
金具廻とは、鉄製の板部分。
金属を熱し、金槌で叩きながら成形する鍛金という技法を使って作ります。
「大立挙臑当」(おおたてあげすねあて)とは、臑当に膝頭を守る部分が付いた物です。
鉄の3枚割りなのが特徴です。
座金(ざがね)とは、鋲(びょう)を打つ際に付ける金具です。
つなぐ役目と装飾の両方をかねた物。臑当などに使用されています。
鞐(こはぜ)とは、肩上(わたがみ)や籠手に取り付けた、甲冑を着るために必要な部品です。
銅や牛角、象牙で作り、責鞐(せめこはぜ)と笠鞐(かさこはぜ)でセットになります。
金物とは、甲冑に使う金属製の装飾物のこと。据文金物や八双鋲など。
金物を作るには、金属に細工をする金工技術が必要です。
絵韋とは、文様が染められた鹿革のことです。
絵韋を作るのも甲冑師の仕事。
皮革を素材に用いて細工をする皮革加工技術を必要とします。
甲冑師が身に付ける技術の中でも、重要なのが漆工です。
実は、これまでにご紹介した素材は、まだ完成形ではありません。これらの素材を仕上げるには、「漆」(うるし)塗りが必要なのです。
「鉄に漆を塗ることは、日本古来からある伝統的な技法。さらに、塗った漆を焼き付けることによって硬度が増し、防錆効果も生まれます。これは、現在でも自動車作りに活かされている貴重な技法です。」
なお、漆を塗るときに使用する「漆ハケ」の材料は人毛。女性の真っ直ぐな黒髪が、最も良いと言われています。
POINT:デコボコがなくなるまで
POINT:厚さを均等にする。刷毛目やゴミを付けないこと。
POINT:焼く時間は、煙が出なくなるまで。
縅すとは、糸や革紐で小札を上下に綴じることです。小札も仕上げに必ず漆が塗られます。
「縅毛に使われる絹糸は、昔から紅花や茜で赤色、木皮やクチナシの実で黄色、藍や露草で青色など、植物染料を使って様々な色に染めることが可能でした。
そのため、武将は縅毛の色で個性を表現することができたのです」と西岡文夫さん。
組紐(くみひも)とは、糸を交差させて作った紐のこと。現在でも着物の帯締めなどに使用されていますが、甲冑に使用される組紐は違う物です。
威厳ある甲冑に付属する組紐は、組紐の中でも最上級の物が使用されました。どのような組紐を使うかを考えるのも、甲冑師の仕事と言えます。
甲冑に使用される組紐は、とても優美で複雑な組み方がされており、小札を綴じる糸を縅毛、胴と袖などを連結するための紐を「緒所」(おどころ)、胴を締めるための紐を「繰締緒」(くりじめのお)と呼び分けられています。
甲冑用の組紐の組み方には、様々なものがありますが、奈良時代から室町時代にかけて主流だったのが、「組手打」(くてうち)技法です。これは端が輪になっている組紐を手あるいは指に掛けて綾を取りながら組む方法。江戸時代には、他に「高台打」(たかだいうち)、「丸台打」(まるだいうち)、「角台打」(かくだいうち)という組台を使う方法が考案され普及するようになりましたが、甲冑には量産に適した組手打の縅毛が多く選ばれました。
組手打で作られた縅毛 | 緒所 | 繰締緒 |
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「武将はもちろん、神仏に捧げられた甲冑に施された組紐は、とても優美。複雑高度な組み方は、組手打組紐技法でないと復元できないものが多いのです」と語ってくれたのは、西岡文夫さんの妻「西岡千鶴」さん。
西岡千鶴さんは「組手」(くて)という物に、絹糸を結び付けて紐を組む「組手打組紐技法」を実用化しました。現在、日本で組手打を行っているのは、西岡千鶴さんの他にはほとんどいません。「本来は、最低2名の作業者を必要とするので、弟子と2人で作っています。組手打組紐は甲冑や文化財の組紐復元には欠かせない技法なのです」。
なお、1領の甲冑には、1本あたり4尺(約121㎝)の組紐が数十から数百本必要。組紐制作も甲冑作りには欠かせない貴重な技術なのです。
組手打組紐技法 | 組手を締める | 組手で糸を操作する、 弟子の笠井レーナさん |
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