【あらすじ】織田信長の天下統一が近付く時代、遣使(けんし)の土城俊子が不吉な予知夢を見てしまう。明智光秀がその内容を重く受け止めていると、死んだはずの武将・斎藤龍興が岐阜城を攻め込んでいるという知らせが届く。『闇の者』により蘇った過去の強敵達が、織田信長と明智光秀、そして遣使(けんし)達に立ちはだかる。
※本小説は、史実、及びゲームアプリ「武神刀剣ワールド」をもとにしたフィクション作品です。
悪い夢を見た。
燃え盛る炎の中、顔見知りの武士達が次々に倒れる夢だ。
闇の中、紅蓮の炎に包まれる安土城。炎の中で諦めきった織田信長の顔。森蘭丸も必死で敵と斬り結ぶ。明智光秀は顔を炎の赤に照らされながら、必死に何かを叫んでいた。
一体何がどうなっているのか、皆目見当はつかなかった。本当にそこが安土城なのか、森蘭丸達は何と戦っているのか、明智光秀は何を叫んでいるのか。
分からないことばかりが多すぎて、目覚めたあとも気付けば夢のことばかりを考えていた。
「珍しく深刻な顔をしていると思えば、そんなことか。くだらない。たかが夢だろうが。深刻に考え過ぎではないか?」
土城俊子(つちしろとしこ)が昨晩に見た夢の話をすると、安賀川国光(あかがわくにみつ)は軽く笑い飛ばした。土城俊子はある地方領主の娘で、淑女たる英才教育を受けて育ったものの両親に反発。出奔して「遣使」(けんし)になった変わり種の女性だ。普段は明智家の女房として働いている。
安賀川国光は長身の美丈夫で、剣技においては同時代の遣使(けんし)でも最強とされる男だ。明智家には与力(よりき)として仕えており、整った顔立ちと軽妙な話術で、周囲の人気を集めている。
「否、そうとも言いきれないでしょう」
安賀川国光の隣で同じく話を聞いた明智光秀が、深刻な顔で首を振った。
「土城俊子は遣使(けんし)の中でも記憶力と予知に優れていると聞きます。特に歴史の知識と予知能力は歴代でも屈指と。ならば昨晩の夢は、決して無視できる内容ではありません」
時は1582年(天正10年)。織田信長の天下布武により、戦国乱世の動乱は急速に治まりつつあった。この年、織田の甲州征伐によって武田が滅び、上杉も昔年の強さを失った。毛利に北条といった戦国大名も織田の方面軍に押されている。ほどなく天下は織田信長の手に治まると、畿内の誰もが信じていた。
こうした情勢は、人の魂を欲する『闇の者』にとって望ましいものではない。いずれ現状を覆すため、織田信長に対し何かしら仕掛けてくるはずだ。
だが織田信長もそれをただ待っているだけではなかった。「長篠の戦い」で『闇の者』と戦った経験を活かし、すでに対策を講じていたのだ。
織田信長に代わり、この時代の「偉人」となった明智光秀に近畿地方の統括を任せ、彼の指揮下に遣使(けんし)を置いて『闇の者』を殲滅するよう命じた。
明智光秀もこれに応え、自ら遣使(けんし)を管轄。さらに陰陽五行の呼吸法をはじめとした独自技術を、自軍の精鋭達に伝授させた。言わば対『闇の者』に先鋭化した特殊部隊だ。
部隊長を命じられた安賀川国光の働きもあり、部隊は次々に『闇の者』達を駆逐した。その結果、織田信長の根拠地である安土をはじめ、明智光秀の本城がある坂本や京周辺の主要な街道は、ひとまずの安全が確保されていた。
「土城」
明智光秀は土城俊子に視線を向けると、静かな声で訊いた。
「他に夢の内容で覚えていることはありますか。『闇の者』の気配がおぼろげにでも分かればありがたいのですが」
「それが……」
『闇の者』の気配は感じている。だがそれは、安土近辺に加え、大和や北近江、越前に遠くは甲州とあまりにも広過ぎる範囲だ。責任感が強い明智光秀だけに、自らの職権の及ぶ版図ではなくても、職務を果たそうとするだろう。そうでなくても、昨年、妹の御ツマキを亡くしてから、明智光秀は働きすぎるくらい働いている。
明智光秀の身体を案じると、土城俊子はすぐには応えられなかった。
沈黙した土城俊子を見かねてか、明智光秀が再び口を開いた。
「これより先の話は他言無用です。この夏にでも、この安土に天皇陛下の行幸をいただくことになりそうです。上様たってのご希望ですから、朝廷も無下にはできないでしょう。実現するのは確実と言えます」
「陛下が安土に……」
安賀川国光が息を呑んだ。天皇を自宅に招くことは、臣下にとってこの上ない栄誉である。現状でも織田信長は日本最高の実力者ではあるが、それが行幸によって公にも認められ、名実ともに国の頂点に立とうとしているのだ。
「いよいよ上様も幕府を開きますか」
「さあ、それはどうでしょう。私には上様が何をお考えなのか、最近良く分からなくなっています。それよりも私には『闇の者』が気がかりです。最近なにやら妙に悪い胸騒ぎがするのです。これが偉人に選ばれた証なのでしょうか」
明智光秀はおかしそうに笑う。
過去の文献や言い伝えにおいても、同時代に複数の偉人が存在する例はなかった。だが長篠の戦いでは、織田信長と徳川家康の2人が同時に偉人に選ばれ、しかも10年も間が空かず新たな偉人として、歴史の神は明智光秀を選んだ。
これが何を意味するかは時代を経ないと分からないだろう。
土城俊子に分かるのは、彼女が生きるこの時代が、今後の日本に大きな意味を持っていることだけだ。
天皇の安土行幸が実現すれば、時代の大きな転換点になる。それがこの世に真の平和をもたらすのであれば、かならず成功させなければならなかった。
すでに京から安土までの通行は安全が確保されている。それでも古来より戦が絶えない京周辺には、『闇の者』が寄り代とする戦死者の骸が無数に放置されたままだ。普段は平穏に見えても『闇の者』さえその気なら、いつでも仕掛けられる状況には変わりなかった。
「光秀様」
襖の向こうから声がした。明智光秀が雇う忍びの者だ。
「どうしました、なにやら声がうわずっているようですが」
「はい、実は岐阜城が何者かに襲われ、いままさに落城寸前に」
忍びが言い終える間もなく、明智光秀は驚きの声を上げた。
「なんですって、岐阜城が落ちると言うのですか!?」
土城俊子もにわかには信じられない知らせだった。
岐阜城と言えば峻厳な金華山の山頂に建つ難攻不落の山城だ。長い山道には多くの曲輪(くるわ)が設けられており、単なる力押しでは攻め落とせない。早期に陥落させるには、1564年の竹中半兵衛のような調略を用いる必要がある。
明智光秀がさらなる問いを忍びに浴びせる。
「それで、城主の信忠さまは、いまいずこに」
「私が知らせを受けたときには、まだ確たる情報がありませんでした。何しろあまりに急な事態で、現地も情報が錯綜しているようです」
「そうですか。いずれにしろさらに情報が必要です」
明智光秀は忍びに命じ、対『闇の者』戦に特化した部隊を本城の坂本から呼び寄せた。
「まったく困ったものです。御ツマキの喪に服す暇もありません…」
明智光秀は苦笑する。御ツマキは側女の中では織田信長一番のお気に入りとされており、彼女が亡くなった際は織田信長も明智光秀も悲しみで手が止まり、一時、安土城の機能が停止するほどだった。
「これも『闇の者』の仕業と考えるべきでしょうか」
ふと安賀川国光が口を開く。
「そう考えるべきでしょうね。一揆であれば事前に大きな騒ぎがあるはずです。でもそんな騒ぎもなければ、農民が蜂起したという情報もありません。そう考えれば、人ならざる者の仕業も考慮に入れるべきでしょう」
明智光秀は安賀川国光にも手勢をまとめるよう命じると、織田信長への報告を済ませ、すぐに安土を出発した。途中、坂本から呼び寄せた自らの手勢と合流、そのまま岐阜城に直行する。
幸い岐阜城はまだ完全に墜ちてはいなかった。城にいた織田信忠と守備兵達が、味方の救援を待ち、粘り強く守っている。
明智光秀が城のある金華山の麓に着くと、森長可(もりながよし)、遠藤胤基(えんどうたねもと)など、織田信忠配下の武将達が安堵した顔で陣中に迎え入れた。
「こんなに早く明智殿にお越しいただけるとは思いませなんだ」
「出迎えご苦労さまです。さっそくですが状況はいまどうなっていますか」
「それがなかなかに奇怪な事態となっております」
敵に大手門までの侵攻を許したものの、城主の織田信忠をはじめ、当時城内にいた兵達は、すべての出入り口を固く閉じ、それ以上の侵入を防いでいる。どうやら敵の多くは一向宗徒のようで、自らの身体を城門に叩き付けながら、口々に「南無妙法蓮華経」と唱えていると言う。
「それは、城にいる者達は精神を削られますね。一刻も早く事態を打開しないと、精神を病んでしまいそうだ」
明智光秀が城の見取り図を前に考え込んでいると、背後から忍びの声が聞こえた。
「明智様、急ぎお耳に入れたき件がございます」
「どうしました。まさか信忠様になにか」
「いえ、信忠様は堅く守りに徹しております。ただ、『闇の者』の中に、信じられない顔が見えまして」
「ほう、忍びの者が信じられないとは、どのような顔ですか」
「城門を攻める『闇の者』の中に、斎藤龍興様としか見えない方がおります」
「まさか、あの方は一乗谷で死んだはず」
途端、明智光秀の顔が険しくなった。
斎藤龍興と言えば、かつて織田信長に岐阜城(もとの稲葉山城)を奪われた斎藤家最後の当主だ。
後年は一向宗と結託して一揆に加勢したり、三好三人衆と組んで織田信長が擁立した足利義昭を攻めたりと、各地を転戦していたが、最後は朝倉家の客将となって一乗谷で戦い、その地で討ち取られていた。
「いま岐阜城を攻めているのは間違いなく、斎藤龍興その人です」
土城俊子は思わず口を挟んだ。明智光秀と斎藤家には深い因縁がある。
かつて斎藤家に仕えた折、斎藤龍興の父である斎藤義龍に明智の城を攻め落とされ、家族や一族が離散したのだ。
その後、明智光秀は織田家の重鎮となり、一乗谷で積年の恨みを晴らしたが、その斎藤龍興が生きていたとなると、心中穏やかではないだろう。
明智光秀が視線を向けてくる。
「それは遣使(けんし)の能力ゆえの発言ですか?」
「はい」
岐阜城には禍々しいまでの怨念が渦を巻いている。一向宗徒が唱える「南無阿弥陀仏」は人を導く言葉ではあるものの、同時に人を縛り付ける言葉になっていた。仏を信じる祈りの力を『闇の者』に悪用され、斎藤龍興の先兵として利用されているのだ。
城を攻める『闇の者』からはさらに強烈な悪意が感じられる。その悪意は間違いなく織田信長と、明智光秀に向けられていた。
「そうですか、であれば多少の危険を冒しても確かめねばなりませんね」
明智光秀は岐阜城に視線を向けると、安賀川国光と土城俊子といった遣使(けんし)に加え、陰陽五行の呼吸を使う部隊を連れて、金華山の裏道を登った。
裏道には数人の『闇の者』がうろついていた。それらはいずれも単独で、安賀川国光ひとりでも容易に排除できた。その後、明智光秀率いる一団は金華山の斜面を登り切り、大手門が見える小高い場所にたどり着いた。岩陰に身を潜め、そっと相手の様子を窺う。
「馬鹿な……」
明智光秀が言葉を失った。土城俊子が見ると、そこには赤い鎧を身に付けた髭面の武者が立っていた。周囲を異形の『闇の者』に守られており、容易に近付けそうにない。
明智光秀の視線に気付いたのか、男はゆっくり顔を上げ、下卑た笑みを浮かべる。
「あれは確かに斎藤龍興。本当に生きていたと言うのですか!?」
愕然とする明智光秀に、土城俊子が言った。
「明智光秀様、違います、あれは生者ではありません! 死者の妄念に取り憑いた『闇の者』です」
「『闇の者』ですって? 彼らは死者すら蘇らせるのですか!?」
「信じられない気持ちは判ります。『闇の者』は彼が抱く無念に力を与え、現世に復活させたのでしょう」
「『闇の者』とはいったいどれほどの力を持っていると言うのですか……」
呆然と呟く明智光秀を横目に、土城俊子も死んでも現世にしがみ付く人間の執念と、死者さえ蘇らせる『闇の者』の力に底知れない恐怖を感じた。