【あらすじ】記憶力と予知に優れている遣使(けんし)の土城俊子は、この時代の「偉人」である明智光秀と同じ遣使(けんし)の安賀川国光に、自身の見た不吉な夢について話していた。そのとき、明智光秀のもとに岐阜城が襲撃されているという報告が入る。土城俊子達が急ぎ岐阜城に向かうと、城を攻める『闇の者』の中に、死んだはずの武将・斎藤龍興の姿があったのだった。
斎藤龍興の存在と敵勢力の人数を把握すると、明智光秀は全員に引き返すよう命じた。
登りとは異なる裏道を通り、一気に麓まで駆け下る。自陣の天幕まで戻ると、明智光秀は休む間もなく周囲の地図を広げ、部隊の主たる者を呼びよせた。
「城に信忠様がおられるとなると、一刻の猶予もありません。疲れていると思いますが、さっそく『闇の者』の討伐に向かいます。
まず実働部隊は前後に分けます。前の部隊は遣使(けんし)を中心とした斬り込み隊です。指揮は安賀川国光に任せます。後ろの部隊は援護と後詰めです。指揮は直接私が執ります。いいですね?」
安賀川国光がうなずく。心なしか顔が嬉しそうだ。
「明智様の指示に異論はありません。ただ、山裾から大手門までは良いとしても、龍興の周囲にいる『闇の者』は相当手強いと思われます。何か策を講じるべきと存じますが」
安賀川国光の後ろから、菅原兵衛(すがわらひょうえ)が進言した。菅原兵衛は安賀川国光の補佐役だ。土城俊子達と同じ遣使(けんし)であり、普段は坂本城で明智軍の精鋭に陰陽五行の呼吸を教えている。無口で影が薄い男ながら、その確実な仕事ぶりは、明智光秀も高く評価していた。
「確かに、あの異形は私も脅威を感じます。そこでこのような物を用意しました」
明智光秀は言うと、馬借が運んできた荷物から、重たげな袋を取り出した。口紐を解いて一同に中を見せる。土城俊子が中を覗き込むと、袋には銀色に輝く鉄砲の弾が詰まっていた。
「それは、銃弾ですか」
「そうです。ただし、対『闇の者』戦用にあつらえた特別な弾で、洗礼弾と名付けました。鉛に魔除けの水銀を練り込み、弾丸のひとつひとつに聖水で十字架を書いた上に、南蛮寺で祝福を受けています」
「『闇の者』を倒すために異国の神の力を借りますか」
菅原兵衛は眉を寄せる。生真面目な性格ゆえに、陰陽五行に基づく遣使(けんし)の技が、否定された気分だろう。
「遣使(けんし)を否定しているわけではありませんよ。むしろ主力として大いにあてにしています。そうでなくては、遣使(けんし)のまとめ役を仰せつかった私の立場もありませんからね」
笑いながら口にした明智光秀だが、すぐに表情を引き締める。
「ですが、邪悪なる者を倒すためには手段を選ばない、これが上様の方針です。それに遣使(けんし)が使う陰陽五行も、もとは中国から伝わった教えです。洋の東西に違いはあれど、外国から伝わったものであるのは違いありません」
「確かに」
「そして、これが洗礼弾を撃つために作られた専用銃です」
明智光秀は異なる荷物から銃を取り出す。一見すると普通の火縄銃にも見えるものの、よく見ると、銃身に「Jesus Christ is ㏌ Heaven Now」と刻まれている。
「この文字はどのような意味でしょうか」
不思議に思った土城俊子は明智光秀に聞いた。
「『神は天に在り、世はすべて事も無し』という意味です。信じる者は救われるとか、その類の言葉でしょうね」
「本当に『闇の者』に通じるのでしょうか?」
安賀川国光が口を開く。菅原兵衛と同じように考えたのだろう。声に疑念が滲んでいる。
「なにも思い付きで作った訳ではありませんよ。上様が長篠の戦いで得た教訓をもとに作らせたのです。何かの役に立つと思って運ばせました。もっとも、こんな形で使うことになるとは思いませんでしたけどね」
かつて長篠で『闇の者』に手酷い目に遭った織田信長は、その経験から対『闇の者』対策として遣使(けんし)を重用するようになった。だが、一方では遣使(けんし)に頼らない方法を模索していたらしい。その成果として生まれたのが洗礼弾であり、織田信長は明智光秀に機会を見ての運用を命じていた。
「もちろん、遣使(けんし)の方々には最善を尽くしてもらいますが、各個撃破に時間をかければ、それだけ信忠さまが危機にさらされます。ですので、龍興殿の周囲にいる異形は洗礼弾で殲滅します」
明智光秀は配下の部隊に銃と弾を配り終えると、全員に作戦を説明した。
まず安賀川国光と菅原兵衛が山裾に近い『闇の者』から適当な数を分断し、ひとり残らず斬り捨てる。それを繰り返して山頂に迫り、斎藤龍興と『闇の者』が射程に入った時点で、相手陣形をさらに攪乱、左右に引き延ばしたのちに一斉射撃を敢行。それで討ち取れたら作戦は終了。討ち損じた場合は即座に遣使(けんし)が決死隊となって斎藤龍興に斬り込む手はずだ。
「洗礼弾が通用するのが前提という訳ですね。果たして上手くいくでしょうか?」
安賀川国光がニヤリと笑う。
「通用すると信じたいところです。ただ、仮に通用しなくても、あなた達遣使(けんし)ならば何とかしてくれるでしょう」
明智光秀は言って笑みを返すと、一同に出陣を命じた。
「さっそく始めましょう。こんなところで織田家の世継ぎを失う訳には参りません」
安賀川国光をはじめとした遣使(けんし)の部隊が先行し、鉄砲を主力とした明智光秀の部隊があとに続く。
術符を使う土城俊子は、明智光秀と行動をともにすることになった。
今度は大手道から金華山を登る。明智光秀はあえて『闇の者』に察知されるよう道を選んでいた。岐阜城の大手道は「七曲の道」の別名がある通り、曲がりくねった登山道で、道沿いにはまとまった数の『闇の者』が配置されているものの、道の曲線を利用すれば、分断は容易だった。
『闇の者』は2名でひとりの敵を封じ、残るひとりで確実に討つ三位一体の陣を使うものの、安賀川国光と菅原兵衛は素早い動きで翻弄し、簡単に陣形を崩していく。
ひとりずつバラバラになった『闇の者』を、今度は呼吸を使う明智勢が、逆に三位一体の陣で討ち取っていく。
通常『闇の者』はこんなに簡単には討ち取れない。この場で早く討ち取れているのは城にいる『闇の者』の数が少なかったことと、安賀川国光と菅原兵衛が遣使(けんし)として熟練の域にあるという、2つの条件が重なったからだ。
「さすが安賀川国光です、歴代最強の触れ込みは伊達ではありませんね」
明智光秀が素直に賞賛した。
「そんなに褒めないで下さい。それに歴代最強はたぶん、私ではありません」
殊勝な声で安賀川国光が応える。
その後も安賀川国光を先頭に明智光秀の部隊は順調に進撃を続け、一時ののちには大手門にいる斎藤龍興の集団を視界に捉えた。
打ち合わせ通り、安賀川国光と菅原兵衛が『闇の者』を引き付け、相手陣形を左右に延ばす。
『闇の者』が遣使(けんし)に気を取られたわずかの間に、明智光秀の部隊が素早く近付き、敵を鉄砲の射程に収めていた。
「撃て!」
明智光秀の号令に続いて、凄まじい音が鳴り響く。鉄砲隊は10人3列に並んでおり、洗礼を施した銃弾を絶え間なく敵に浴びせかけた。
それでも異形は屈強で、銃弾を数発浴びながらも逃げだそうとするが、射線から逃れたところを安賀川国光と菅原に討ち取られていく。
鉄砲隊が弾を撃ち終えたとき、目の前には『闇の者』となった一向宗徒の屍と、まだわずかに息がある斎藤龍興のなれの果てが残されていた。
「明智光秀か、久しいな。一乗谷以来か……」
斎藤龍興が息も絶え絶えに口を開く。
「そうですね。まさか黄泉の国から戻るとは思いませんでしたよ」
明智光秀は丁重に応えるが、刀に掛けた手を離さない。土城俊子も明智光秀のあとについて斎藤龍興の側に近寄ると、いつでも投げられるよう術符に指をかけた。
「くっくっく、まさか織田信長に一泡吹かせる前に、2度目の死を迎えるとは思わなんだ」
「もしや、それだけのために蘇ったと言うのですか?」
「元より兵力とは呼べぬほどの数で、織田信長が討てるとは思っておらぬ。ただ城を取り返し、奴の慌てた顔さえ見れば、それで満足だった。だが、それさえ叶わぬとは」
斎藤龍興は苦笑いを浮かべる。その身体は他の『闇の者』同様、端から煙のように消えはじめた。
「待って下さい。まだ聞きたいことがあります」
呼び止める明智光秀に向かい、斎藤龍興は不気味な笑みで応える。
「冥府より蘇ったのは俺だけではない。冥府より這い出た者のいずれかが、必ずや織田の天下を覆すであろう」
それだけを言い残すと、斎藤龍興は黒い煙となって霧散した。
「この世を亡者などが仕切れるものか」
明智光秀が小さく呟く。
「お知らせします」
いつからそこにいたのだろう、気付くと、明智光秀の隣に安土で見た忍が跪いていた。
「小谷城跡で火の手が上がり、『闇の者』らしき一団を確認したとのこと。まず明智様のお耳に入れたく、急ぎ参上いたしました」
「ご苦労様です。ですが小谷城とは厄介ですね。廃城となって久しいですけど、堀切などは埋め立てていないと思いますし」
明智光秀はそこで少し考える素振りを見せると、忍びに次の指示を与えた。
「分かりました。すぐ向かいます。あなたはこのまま安土に行って、上様にも知らせて下さい」
「すでに私の手の者が安土に向かっております」
「では長浜城の堀秀政殿に、補給の準備をお願いしますと伝えて下さい」
「承知いたしました。ではすぐに」
忍びは明智光秀に一礼すると、背後にある森の中に消えていった。
明智光秀の一隊は岐阜城を離れると、そのまま琵琶湖湖畔の小谷城跡に向かった。
途中、補給と情報集めに長浜城に入る。城には思いの外多くの兵が集められており、物々しい雰囲気が立ちこめていた。
「明智光秀に遣使(けんし)の者達か。案外、遅かったのう」
城では主の堀秀政に加え、意外な人物が明智光秀と遣使(けんし)達を待っていた。
「上様、なぜこのようなところに」
織田信長その人だ。
「美濃で斎藤龍興が蘇ったと聞いた。そして次は小谷城と聞いてな。居ても立ってもいられなくなったのだ。それに余に因縁ある相手ばかりを選ぶこの動き、相手は『闇の者』に相違ないわ」
「ですが、わざわざ上様自ら足をお運びにならずともよろしいではないですか」
「さようでございます。我々の戦果は後日、安土にてご賞味下さい」
堀秀政と明智光秀が口々に言った。特に堀秀政は幼少の頃から織田信長に仕え、親衛隊長を担っていたせいか、表情は心底主君の身を案じていた。
「そち達が余を案じるのはもっともである。だが相手はこの世の者ではない。人の世の道理が通用しない相手なれば、安土にいても安全ではあるまい。それに余は勝つためにここに来たのだ。勝つためには戦う必要があろう。そして戦うなら後方にいる気はない」
堀秀政と明智光秀は平伏した。彼らの後ろに控えていた土城俊子や安賀川国光、菅原兵衛もそれに倣う。
土城俊子はこのときあらためて、明智光秀をはじめ、柴田勝家や羽柴秀吉といった歴戦の名将達が、織田信長を主君と仰ぎ、その指示に従う理由が分かった気がした。
思えば織田信長が戦場に立つ姿を見るのは初めてだ。煌びやかな西洋甲冑を身にまとい、自ら先頭に立とうする姿は、まさに覇王そのものに思える。土城俊子も女だてらに騎乗して、岐阜から長浜まで駆けてきたが、織田信長の身体から流れ出す覇気を感じると、溜まっていた疲れが吹き飛ぶ思いだ。
「異存はないな。では小谷城へ急ごうではないか」
織田信長の指示の下、織田信長本人とその手勢を加えた明智光秀一行は、長浜城のすぐ北東にある小谷城に向かった。
小谷城は岐阜城と同様、山を利用して建てられた堅固な城だ。琵琶湖湖畔にある峻厳な山容を利用して山裾には無数の縦溝が掘られ、曲輪の数は1,000を数える。前城主である京極氏から奪った浅井家が50年もの間、絶えず増改築を繰り返し完成させた、まさに要塞の名にふさわしい大城郭だ。
明智光秀は、物見に出した忍びから報告を受けると、部隊を遣使(けんし)の部隊と鉄砲隊の2つに分け、山裾の京極丸まで進むよう命じた。
「忍びの報告によると、『闇の者』の数は城全体を守るには少なすぎるようです。ここはかつてこの城を攻略した羽柴軍にあやかって、一気に京極丸まで進出しましょう」
明智光秀の意図は果断速攻による進撃で、『闇の者』の出鼻をくじくことにあった。
小谷山を大きく迂回して裏道に入る。幸いかつて羽柴軍に従軍した兵卒が何人かおり、彼らの案内で道に迷う心配はなかった。途中の曲輪のいくつかに『闇の者』が潜んでいたものの、広大な城域を守備するには絶対数が足りておらず、安賀川国光と菅原兵衛によってすべて斬って捨てられた。
全山に掘られた畝堀(うねぼり)から、無数の曲輪群を越え、小谷城攻略の最難関と知られる食い違い虎口に入る。『闇の者』が鉄砲を使う可能性はかなり低く、かつて羽柴軍を悩ませた隠し銃座の脅威は考慮から外された。
明智光秀一行は徘徊する『闇の者』を退治すると、食い違い虎口を易々と突破。ほどなく小谷城の重要拠点である京極丸に到着した。
「ふむ、昔日の面影はなし。たけき者も遂には滅びぬ、じゃな」
織田信長が平家物語の一節を口にする。土城俊子も京極丸までたどり着くと、かつて栄華を誇った城跡を眺めた。
なんという儚い光景だろう。昔日の栄光とこの城で起きた数度に亘る合戦の光景が、目の前に見えるようだ。土城俊子は思わず嘆息した。だがすぐに、邪悪なる者の視線を背後に感じる。振り向くと、巨大な掘り割りを隔てた向こう側に、2人の武将が立っていた。
「むう……」
すぐ側で織田信長のうなり声が聞こえる。
「あれは確かに浅井長政と朝倉義景」
「確かですか」
「たわけ、誰が奴らを見間違うものか」
心なしか、声がうわずっているようだ。無理もない、頭蓋を箔濃(はくだみ:漆塗りをし、金粉を掛けたもの)にした男達が、生きた姿で目の前にいるのだ。
「上様、如何いたします」
相手から目を離せない織田信長に明智光秀が聞いた。
「聞かれるまでもない、今すぐ奴らをあの世に追い返すのだ! 奴らの存在を近隣に知れてみろ、各地で亡国の残党どもが蜂起するわ」
急拡大した領国はいまだ統治が行き届いていない場所も多い。北近江と越前は織田領となって10年以上も経ちながら、いまだ浅井、朝倉を慕う領民がおり、一向一揆も頻発するなど、安定にはほど遠い土地柄だった。
「上様のお言葉ごもっともです。こちらから仕掛けましょう」
「光秀ならそう言うと思っていた。して、どのように仕掛けるのだ」
「いかに数が少ないとはいっても『闇の者』に相異ありません。我々の数もさほど多くはありませんから、単純な力押しは難しい。ですので、このようにしてはいかがでしょう」
明智光秀の提案は囮による陽動作戦だった。
囮部隊が敵に仕掛け、突撃だと誤認させる。敵が食い付いたところを見計らって、囮部隊は退却、敵の進行ルートを想定して伏兵を置き、その攻撃範囲まで誘い込む戦法である。
同様の戦法は島津軍の「釣り野伏」が有名ではあるが、類似の戦法は九州では多くの大名が使っており、囮を使った包囲殲滅はかのチンギス・ハーンやカルタゴのハンニバルも多用したとされている。
「よかろう」
明智光秀の説明を聞き終えると、織田信長は軽くうなずいた。
「すると、囮役は余が適任であるな」
「上様がご自身でですか?」
「どうせ奴らの目的は余の首であろう。餌を目の前に差し出せば、さぞ派手に食い付くだろうよ」
織田信長の言いだしたら聞かない性格は、広く世に知られるところだ。説得を断念した明智光秀は諦めた顔で頷いた。
「では私も同道します。遣使(けんし)の部隊と鉄砲隊は安賀川と菅原に任せましょう」
「あの、私もご一緒させて下さい」
土城俊子が慌てて口にする。
「女は後ろに下がっておれ。早駆けができぬ者はこの任務に値せぬ」
「確かに太刀は使えませんが、私も遣使(けんし)ですので早駆けは得意です。それに相手に術使いがいたなら、何かのお役に立てるはず」
「とは言え、さすがに足手まといじゃ」
「上様、連れて行きましょう」
面倒そうな織田信長の横で、明智光秀が口を挟んだ。
「土城俊子は術符が使えます。相手は死者を蘇らせる者達です。どんな手段を講じるか分かりません。早駆けの技も私が保証します」
織田信長はなおも渋ったが、やがて速攻の機会を惜しんだか、やむなく首を縦に振った。