【あらすじ】岐阜城で、『闇の者』とともに死んだはずの斎藤龍興に迎えられた明智光秀と遣使(けんし)の土城俊子達は、密かに制作していた秘密兵器「洗礼弾」を使用する作戦を決めた。そうして見事斎藤龍興を討った土城俊子達だったが、今度は小谷城跡で火の手が上がる。小谷城跡へ向かう途中、補給と情報集めに入った長浜城では織田信長が待ち構えており、織田信長もともに小谷城へ進軍することとなるのだった。
「皆の者、余に続け!」
織田信長は愛刀「へし切長谷部」を引き抜くと、浅井、朝倉の両将目掛けて走り出した。明智光秀も長光を片手にあとに続く。
「上様の前に行って下さい! 主君に手柄を取られるのは末代までの恥です!」
明智光秀が選抜した100名あまりが、織田信長を抜いて前に出る。
土城俊子はそのあと追いながら、目の前の浅井長政と朝倉義景を観察した。2人は仇敵を睨み付けながら、どこか態度に余裕があるようにみえる。そのとき土城俊子の背筋に冷たい汗が流れた。
「待って! 止まって下さい!」
急いで叫んだその直後、浅井長政と朝倉義景の背後から、数多くの『闇の者』が現れた。『闇の者』は深い堀切などないかのように、真っ直ぐ織田信長と明智光秀目指して押し寄せる。
「幻術です!堀切はすでに埋められていたのです」
「総員、虎口(こぐち:城郭の出入り口)に向かって走れ! 奴らに追い付かれるぞ!」
足を止めて明智光秀も叫ぶ。土城俊子は袂に入れた術符をつかむと、『闇の者』目掛けて投げ付けた。陰陽五行を利用した火の術符だ。
術符は地面に舞い落ちると、その場で発火。いくつもの呪符が数珠つなぎとなって、炎の壁を形作った。
「これで多少は間が持ちます。いまのうちに早く!」
「土城、助かりました」
「娘、大義である」
殿(しんがり)となってその場に留まった織田信長と明智光秀も、きびすを返して走り出す。土城俊子はさらに炎の術符をばらまくと、急いで彼らのあとを追った。
すぐに『闇の者』の追撃が始まった。
「待て義兄者、我が首を返したもう」
「弾正忠、我が首の恨み、ここで晴らさずにおくべきや」
浅井長政と朝倉義景のものらしい亡者の声が聞こえてくる。『闇の者』の足は思いのほか速く、土城俊子も遣使(けんし)の歩法を使うものの、あと少しで虎口というところで『闇の者』に追い付かれそうになってしまう。
目に見えない死者の手に、背中をつかまれそうになったそのとき、左右の茂みから安賀川国光と菅原兵衛の声が耳に届いた。
「かかれ!」
「亡者どもを根絶やしにするのだ!」
背後から銃撃の爆音が聞こえてくる。伏兵が一斉射撃を始めたのだ。
次いで鬨(とき)の声が聞こえてくる。振り向くと、さきほどまで山のようにいた『闇の者』が綺麗さっぱり消えていた。
虎口から織田信長と明智光秀が姿を現す。
「どうやら『闇の者』は幻術で、掘り割りを見せかけるだけでなく、数も増していたのですね」
「終わってみるとあっけないものよ。いかに『闇の者』と言えど、亡者は亡者にすぎぬわけだな」
明智光秀はあらかじめ虎口の手前に伏兵を置くよう、安賀川国光と菅原兵衛に指示していた。
「小谷城は浅井の本拠地ですからね。虎口に鉄砲隊を配置するのは逆に危険を感じたのです。隠し銃座も敵は位置を把握していますから、我々が使っても何の効果もありません。そこで逆を突こうと虎口の手前に伏兵を置く手配したのですが、まさかここまで上手くいくとは、自分でも驚きです」
「それにしても斎藤達興に次いで、浅井長政に朝倉義景か。次は誰が蘇るのかのう」
洗礼弾の高い効果に満足したのか、織田信長は薄い笑みを浮かべている。
だが、その笑みをかき消すほどの急報が、すぐに忍びよりもたらされた。信濃国の北と南から、新たな旗指物が安土に向かってきたのだ。
南の旗指物に書かれているのは「風林火山」の文字、北の旗指物には「毘」の一文字が書かれていた。
知らせを耳にした途端、織田信長は信じられぬといった顔で声を上げた。
「馬鹿な! 信玄と謙信までがあの世から蘇ったというのか!しかも足並みを揃えて進軍しておると!? 柴田と滝川は何をしていた! 奴らを傍観し、素通りを許したとでも言うのか!」
「おふたりは現実主義者ですからね。実際、信玄に謙信と耳にしても、一笑に付すのが落ちでしょう」
明智光秀は努めて冷静さを保っているようだ。その声に冷水を浴びせられたように、織田信長もすぐに平静を取り戻した。
「考えてみればやむを得ないか。確かに、あの世に逝った者達が蘇ったと聞いても、まともな神経をしていれば信じるはずもない」
「いずれにせよ我々は一戦を終えたばかりです。体勢を立て直すためにも、一旦安土城まで引き上げましょう」
明智光秀の進言を良しとした織田信長は、すぐに安土へと引き返した。
間髪入れず諸将を集め、軍議を開く。このとき安土には三男の織田信孝と、ともに小谷城より戻った明智光秀、長浜から同道した堀秀政に加え、丹羽長秀や蜂屋頼隆、津田信澄といった重臣達が揃っていた。
土城俊子に安賀川国光らの遣使(けんし)は、織田信長と明智光秀の求めで末席に加えられた。
「父上、本当ですか。法性院信玄に不識庵謙信が、安土に攻めてくるとは」
織田信長の話を聞き終えると、織田信孝が疑念混じりの声を上げた。
「確かに名前を聞いただけで震えそうになりますな」
「ですが、両名とも10年以上前に身罷った者達。いかに上様のお言葉とは言え、それが蘇ったなどと言われても」
「死人が攻めてくると、上様は本気でお考えなのですか」
重臣達が次々と口にする。土城俊子は小谷城で織田信長と明智光秀の会話を思いだした。恐らく柴田勝家や滝川一益も同じ反応をしたのだろう。長浜で脅威を実感した堀秀政は、同僚達の反応を気にしてか口を開こうとしない。
「もう良い、お前達は黙って余の指示に従え」
織田信長は口にすると、不機嫌そうに横を向いた。
「遣使(けんし)の皆さんに問います」
明智光秀が土城俊子達を向いて口を開く。
「遣使(けんし)には天破侠乱剣(てんはきょうらんけん)なる切り札があると聞いたことがあります。これを信玄、謙信らに使用できますか?」
「あれを、ですか……」
「実は洗礼弾を岐阜と小谷城で使い果たしてしまいました。急いで作らせはしていますが、それほど用意できるとは思えません。もちろん他に手立てを考えますが、最悪の事態に備えて何かしらの切り札が必要です」
「そこで、天破侠乱剣ですか」
天破侠乱剣は遣使(けんし)の間でも門外不出として秘匿してきた技だ。上位の『闇の者』すら滅し尽くす比類ない威力を誇るものの、自然の霊力を借りる特性から、一度使用すると周囲の生態系に不均衡が生じ、どのような被害が出るか分からない。
土城俊子は迷いに迷った挙げ句、震える声で口にした。
「恐れながら、天破侠乱剣は我ら遣使(けんし)の都合だけで発動する訳には参りません。天破侠乱剣の使用には、大自然の力を借りる必要があるのです」
「大自然の力、ですか」
「はい。使用する一帯に生息する動物や木々、草木から霊力を借りるため、一度使用いたしますと、その地域の生命が保つ均衡が崩れ、不都合が生じかねません」
織田信長が興味をそそられた顔で訊いてくる。
「不都合とは具体的にどのような類のものじゃ」
「その時代、使用した土地の状況によって変わりますから、はっきりと申し上げることはできません。ただ、過去使用した例によると、土砂崩れに水害、作物の成長不足などが考えられます」
「兵糧と商人の活動に影響が出るか、それはちと拙いのう」
「ゆえに天破侠乱剣は、私達遣使(けんし)の間でも秘中の秘、自らの都合で発動するのは固く禁じられているのです」
「何とも面倒であるな。遣使(けんし)とはそのように堅苦しいものか」
織田の強さは、当時革新的だった兵農分離と、交易によって稼ぎ出した巨大な財力にある。軍の強さに影響するとあっては、織田信長も内心では躊躇したはずだ。
「申し訳ございません」
「是非もなし。なれば別の手立てを用いるのみ」
「別の手立てとおっしゃると?」
重臣のひとりが口を開く。
「詳細はこれから考える。だが、基本戦術は迎撃である。敵を安土城下に引き入れ、殲滅するのだ」
敵勢力の分断と各個撃破は兵法の常道だ。だが、武田信玄と上杉謙信を各個撃破の対象にするのは相当の困難が予想された。そこで織田信長はあえて敵を集結させ、城下町の隘路に引き込み殲滅戦を仕掛けるつもりだった。
説明を聞くと、明智光秀が真っ先に反対した。
「危険です。敵はまだ遠方におります。信玄、謙信が如何に強いとは言え、率いるのは甲州騎馬隊でも越後兵でもないと聞きます。つまり、彼らの強さは未知数です。それこそ各個撃破の対象ではありませんか。それをはじめから放棄して、安土城下に引き込むなど無謀以外のなにものでもありません」
「理屈で言えばその通りだ。だが奴らが率いるのは『闇の者』であろう。単体であれば甲州や越後の兵より強力ではないか。そのような奴らと誰が戦う。恐らくは遣使(けんし)を差し向けるというのであろうが、そうはいかぬ。遣使(けんし)の存在こそ最後の切り札となろう。それに時間さえあれば洗礼弾などいくらでも作れるではないか」
言って織田信長は立ち上がると、居並ぶ諸将達に告げた。
「先ほど申した通り、細部はこれから考える。まずは弓矢と鉄砲の支度だ。もちろん遣使(けんし)達にも戦ってもらうぞ。なに、安土の守備を計るには良い機会だ。それに桶狭間からのち、余は窮地に立たされてばかりいるからな、こうした状況には慣れておる」
「ですが上様……」
「くくく、時代遅れの黄泉返りどもに、我が秘策をこれでもかと馳走してくれるわ」
まるで明智光秀の声など聞こえないように、織田信長は低く笑う。土城俊子にはその顔が、誰もが怖れる第六天魔王ではなく、年長者に悪戯をはたらく無邪気な子どもに見えた。