【男はつらいよ】シリーズの監督として知られる山田洋次(やまだようじ)。同シリーズ終了後、藤沢周平原作の時代劇映画に取り組みます。3部作となったそのシリーズでは原作の時代設定をすべて幕末に移し、西洋近代化が進む時代背景のなかで生きた迷える武士として描きました。
山田洋次は東京大学を卒業後、松竹に入社します(1954年)。野村芳太郎監督(代表作:【砂の器】など)のしたで助監督・脚本の経験を積んだのち、多岐川恭の同名の短編を原作とする人情喜劇【二階の他人】(1961年〔松竹〕配給)で監督デビューしました。以後、喜劇を中心に監督作を発表していきます。
大衆娯楽の中心が映画からテレビへと移るなかで多くの監督が独立していった時代、山田洋次は所属会社の中心的存在となっていきます。
原案・脚本を手がけたテレビドラマ【男はつらいよ】(1968年〔フジテレビ〕系列)の映画化にあたり監督・脚本を手がけ、自社の看板作を年2本、計49作と長きに亘って作り続けていくことになります(1969~1996年)。
毎年各賞を受賞する同シリーズ作はその人気から、ヒロイン名・民子を使った別シリーズも生まれました(【家族】、【故郷】、【遥かなる山の呼び声】)。
男はつらいよシリーズ以外でもその手腕は高い評価を得ました。
人情現代劇【幸せの黄色いハンカチ】(1977年〔松竹〕配給)は、最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞など第1回日本アカデミー賞で賞を総なめしました(1978年)。
その後も松竹大船撮影所50周年記念作【キネマの天地】(1986年〔松竹〕配給)、早坂暁原作【ダウンタウン・ヒーローズ】(1988年〔松竹〕配給)を監督・脚本し、監督・脚本を手がけた椎名誠原作【息子】(1991年〔松竹〕配給)は第15回日本アカデミー賞で再び最優秀作品賞を受賞しています(1991年)。
男はつらいよシリーズと並行して、作・やまさき十三、画・北見けんいちによる釣り漫画【釣りバカ日誌】の映画化シリーズの脚本も手がけます(1988~2009年)。レギュラーシリーズ全20作すべての脚本を担当し、男はつらいよに次ぐ自社の看板作を生み出しました。
また、釣りバカ日誌シリーズと並行して他のシリーズ作の監督・脚本も手がけます(第1作が第17回日本アカデミー賞で最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞などを受賞した【学校】シリーズ、【虹をつかむ男】シリーズ)。
山田洋次は21世紀に入り、時代劇映画を本格的に手がけます。藤沢周平の【たそがれ清兵衛】、【祝い人助八】、【竹光始末】の3つの短編を原作としたものでした。
映画の表題ともなる、たそがれ清兵衛の原作では、凶作が続く某藩での政権争いが描かれます。藩主をすげ替えようと考え、豪商とつるみ勢力を伸ばそうとしている筆頭家老・堀将監(ほりしょうげん)一派と、現・藩主を支える家老・杉山頼母(すぎやまたのも)一派の争いです。
専横が過ぎる堀一派を成敗しようと杉山派は考えるも、堀一派には小野派一刀流の剣客・北爪半四郎が付いていました。そこで杉山派は無形流の剣客・井口清兵衛(いぐちせいべえ)を差し向けようと考えます。
けれども井口清兵衛は労咳(結核)の妻の世話を優先したいという理由から勘定組の身分にもかかわらず、家老からの上意討ちの命を断るのでした。そんな井口清兵衛は仕事が終わる夕刻に必ず家に帰る様から、たそがれ清兵衛と呼ばれます。
藤沢周平の時代小説は1980年代に入りテレビドラマ化が急増します。
1990年代に入るとNHK正月時代劇の第1作から第3作にも選ばれ、作者が逝去後(1997年)、さらに多くの読者を獲得していました。
山田洋次はそんな藤沢周平作品を選びます。本格的に時代劇映画を手がけるにあたり、時代考証を徹底し、準備に1年以上かけたと言います。
山田洋次監督・脚本作【たそがれ清兵衛】(2002年〔松竹〕配給)は原作者の故郷・山形県鶴岡市を中心に、大覚寺・相国寺(共に京都市)、彦根城(彦根市)、光明寺(長岡京市)などが撮影場所として使用されます。
同作は第26回日本アカデミー賞で全部門優秀賞を受賞しました(2003年)。第76回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートもされています(2003年)。
映画版では時代設定を幕末とし、東北の架空の藩・海坂藩が舞台です。主人公の兵糧蔵の小頭・井口清兵衛(真田広之)の娘の視点で、明治時代から幕末が振り返られます。
内職を続けるつましい暮らしのなかで、後妻として迎えられることになる幼馴染の出戻りの娘・飯沼朋江(宮沢りえ)との恋愛の機微、そして藩主死去によるお家騒動が描かれます。
たそがれ清兵衛の映画版最大の見せ場は、原作の竹光始末からです。
かつて戸田流小太刀の道場で師範代を務めていた井口清兵衛(真田広之)と一刀流の剣客で原作小説の竹光始末に登場する余吾善右衛門(よごぜんえもん:田中泯)との殺陣です。
藩随一の一刀流の使い手で馬廻り役の余吾善右衛門は、前・藩主に尽くしたにもかかわらず、新体制のなかで切腹を命じられたことに不満を持ち、家に立て篭もります。
上意討ちを命じられた井口清兵衛は苦渋の末、藩命を受け、2人は刀を交えることになります。けれども抜刀に至る前、井口清兵衛はこれまでの身の上話を語ります。
井口清兵衛
「困ったのは妻の葬儀でがんす」
余吾善右衛門
「なるほど」
井口清兵衛
「本家からは井口家として恥ずかしくねえだけのことはせぇよと厳しく言って来る。そげな金はねえ。私はなかばやけくそになって、とうとう武士の魂の刀売ってしまいました」
途端に目が厳しくなる余吾善右衛門。
井口清兵衛
「親父から譲り受けたいい刀で、惜しくは有りましたども、もう剣の時代ではねえって思いもあったもんでがんすさけぇ。恥ずかしながら、これは竹光でがんす」
余吾善右衛門
「(目を据えて)お主、わしを竹光で斬るつもりか?」
井口清兵衛
「(その変貌にやや驚いて)そんではありますねぇ。私が戸田先生から教えてもらったのは小太刀でがんす。あんたとは、小太刀で戦うつもりでがんした」
余吾善右衛門
「小太刀? そのような小手先の剣法でこのわしを殺すつもりだったのか。お主、わしを甘く見たなぁ」
と、立ち上がり、置いてあった刀を手にしに行く。
余吾善右衛門
「許さん」
井口清兵衛
「待って下さい」
その声を聞かず余吾善右衛門、斬り合いを始める。
映画【たそがれ清兵衛】
そんな人生を生きた井口清兵衛はその後、戊辰戦争のなかで官軍の鉄砲に撃たれて亡くなったと劇中で井口清兵衛の娘は振り返ります。
山田洋次は続けて藤沢周平の短編時代小説を映像化します。
【隠し剣 鬼の爪】、【邪剣竜尾返し】(共に【隠し剣 孤影抄】収録)、【雪明かり】の3つの短編を原作としました。この【隠し剣】シリーズでは藤沢周平が創作した剣の秘義が描かれます。
映画の表題作となった隠し剣 鬼の爪は、海坂藩の御旗組・片桐宗蔵(かたぎりむねぞう)と百姓の娘で片桐家の奉公人・きえの身分違いの恋愛物語です。
2人の関係は、片桐宗蔵と無形流の同門・狭間弥市郎(はざまやいちろう)の存在によって進展することになります。
狭間弥市郎は江戸で起こした不祥事による豪入り(*庄内藩で行われていた切腹を認めない座敷牢への閉じ込め)を抜け出してまで、片桐宗蔵と決闘を希望します。師匠が自分にではなく片桐宗蔵に教えた一人相伝の秘剣・鬼の爪の披露を望んでいました。
このとき片桐宗蔵は上司の堀直弥による上意討ちを命じられます。その事実を知った狭間弥市郎の美しい妻は、自らの身を片桐宗蔵に捧げることを引き換えに夫の助命を嘆願しました。この誘惑によって片桐宗蔵は、きえへの愛を実感するに至ります。
誘惑を受け流した片桐宗蔵は、狭間弥市郎と刀を交えることになります。
山田洋次監督・脚本作【隠し剣 鬼の爪】(2004年〔松竹〕配給)でも原作者の故郷・山形県鶴岡市を中心に撮影され、他に姫路城(姫路市)、彦根城(彦根市)なども使用されます。
映画版の時代設定はこちらも幕末とされます。
東北の架空の藩・海坂藩の平侍・片桐宗蔵(永瀬正敏)は、商家に嫁いだ女中のきえ(松たか子)の苦労を知り、身分を気にせず商家から連れ帰りました。
片桐宗蔵は仕事では、大砲など西洋の新技術を覚える日々を生きます。刀の時代が終わりを告げようとする日々のある日、謀反の疑いで囚われていた道場剣法の剣客・狭間弥市郎(小澤征悦)が逃亡したことで、藩命による果たし合いを命じられます。2人は藩の剣術指南役・戸田寛斎(田中泯)の同門でした。
狭間弥市郎の謀反の裏には、私腹を肥やす家老・堀将監(緒形拳)への抵抗がありました。そんな堀将監は、夫の命乞いをした狭間弥市郎の妻・狭間桂(高島礼子)の身を捧げた願いを裏切ります。そこで片桐宗蔵は秘剣・鬼の爪でその恨みを晴らします。
映画版では片桐宗蔵(永瀬正敏)は道場剣法で今まで1度も人を斬ったことがないとされ、同門の狭間弥市郎(小澤征悦)は江戸で辻斬りを密かに行っていたとされました。
そんな2人の果たし合いでは、片桐宗蔵は次のように狭間弥市郎を説得します。
片桐宗蔵
「狭間」
狭間弥市郎
「何だ!」
片桐宗蔵
「もうこの家は鉄砲隊に囲まれている。どっちにせぇ、生き残ることはできねぇ」
狭間弥市郎
「鉄砲などに撃たれるかこの俺が」
*****
斬り合いを続ける2人の隙を見て藩の鉄砲隊が狭間弥市郎を撃ち殺す。狭間弥市郎に死体に語りかける片桐宗蔵。
片桐宗蔵
「狭間、悪かった。鉄砲などで死ぬのは、悔しいだろうのう」
映画【隠し剣 鬼の爪】
映画版では原作小説にはないこうした刀の時代の終わりという幕末の描写が随所に登場しています。
山田洋次による藤沢周平の映画化は第3弾【武士の一分】(2006年〔松竹〕配給)で完結します。短編【盲目剣谺返し】(【隠し剣 秋影抄】収録)を原作に、こちらも時代設定を幕末にして描きました。
同作公開の翌年、山田洋次はシネマ歌舞伎の監督も手がけます(【人情噺 文七元結】、【連獅子】)。シネマ歌舞伎とは歌舞伎舞台を高性能カメラによる映像化です。山田洋次はその第6作・第7作を託されました。
近年は家族を主題にした現代劇に取り組みます(【母べえ】、【おとうと】、【東京家族】、【小さいおうち】、【母と暮らせば】)。さらに別のシリーズも始めています(【家族はつらいよ】シリーズ)。
喜劇を経て監督としての地位を確立してから本格的時代劇に取り組んだ山田洋次。時代考証が徹底されたその時代劇映画では幕末を舞台設定とし、武士を西洋近代化との間で揺れ動く存在として描きました。