司馬遼太郎の直木三十五賞受賞作【梟の城】の映画化や、集団抗争時代劇と称されるジャンルの火付け作ともされる【十三人の刺客】など、先駆的な時代劇映画を手がけた工藤栄一(くどうえいいち)。2作は共に近年新たに映画化されるなど高い評価を得ています。そんな工藤栄一の時代劇映画では主人公と好敵手との表裏一体の関係が色濃く描かれます。
工藤栄一は大学卒業後、第2次世界大戦後に興った後発の映画会社・東映に入社します(1952年)。同期には山下耕作(代表作:【緋牡丹博徒】、【竜馬を斬った男】など)がいます。
入社後、娯楽時代劇映画の量産のなかで監督デビューします。岡田茂(東映取締役兼東映京都撮影所所長)の方針による「時代劇の東映」の時代です。
【富嶽秘帖】(1959年〔東映〕配給)が監督デビュー作となりました。
老中・田沼意正は徳川綱吉(江戸幕府第5代将軍)が見初めた旗本の娘を手に入れるため、娘の家に多額の費用を必要とする事業を強います。その一方で娘の母は財宝の秘密を記した古文書を謎の新興宗教集団に奪われ、命を落としました。
お家の窮状を知った家臣の主人公・来間又四郎(伏見扇太郎)はお家ゆかりの黄金80貫を探し求め、そして田沼意正の悪政に立ち向かいます。
陣出達朗【美女富士】を原作とするこの監督デビュー作は、敵討・恋・秘宝争奪など娯楽時代劇に必須の要素が描かれます。吉川英治【鳴門秘帖】や角田喜久雄【髑髏銭】などを想起させる娯楽物語でした。
同作で監督デビュー後、幕末・明治時代の侠客・清水次郎長一家を描いたシリーズや、歌手・美空ひばり主演の娯楽時代劇映画を多数監督していきます(【ひばり捕物帖 折鶴駕籠】、【天竜母恋い笠】、【花かご道中】、【魚河岸の女石松】、【花のお江戸のやくざ姫】1961年〔東映〕配給)。
工藤栄一は美空ひばり主演の娯楽時代劇映画と同時に、佐々木味津三【右門捕物帖】、林不忘【新版大岡政談 魔像篇】など戦前に何度も映画化されている人気原作の監督作を手がけます。
そして、司馬遼太郎初の長編の映像化にあたり監督をします。第42回直木三十五賞受賞作【梟の城】(1960年)です。
司馬遼太郎は受賞を機に勤務先の産経新聞社を退社し、作家を専業とすることになる記念作です。豊臣秀吉暗殺実行班の伊賀忍者、復権を企む伊賀忍者の師匠、石川五右衛門の伝説などが群像劇的に描かれる伝奇時代小説です。同作は受賞の年にテレビドラマ化もされています(1960年)。
主人公は伊賀忍者の葛篭重蔵(つづらじゅうぞう)です。天正伊賀の乱(第2次)によって伊賀を壊滅させた織田信長の打倒を目指していたものの本能寺の変によって生きる目的を失います。
時代は豊臣秀吉の天下となるなかで、葛篭重蔵は幼馴染の風間五平と天正伊賀の乱から10年後、敵同士として再会します。
仏門に入っていた葛篭重蔵はかつての師・下柘植次郎左衛門(しもつげじろうざえもん)から請われ、豊臣秀吉の命を狙う者として。風間五平は侍に憧れ、京都所司代・前田玄以に仕える伊賀の裏切り者としてでした。
下柘植次郎左衛門は娘・木さるの許嫁としていた風間五平にも協力します。葛篭重蔵が勝利すれば豊臣秀吉暗殺の黒幕・徳川家康へ、風間五平が勝利すれば豊臣秀吉へ、といずれかの権力者に取り入ることで伊賀再興を企てようとする非情な思惑がありました。
さらにそこに前田玄以に仕える摩利支天洞玄が率いる甲賀忍者衆(豊臣方)の暗躍も加わり、甲賀の女忍び・小萩と葛篭重蔵が互いに恋に落ちる複雑な恋愛模様もからんできます。
司馬遼太郎原作の映画化は【忍者秘帖 梟の城】(1963年〔東映〕配給)と改題されます。脚色を池田一朗(のちに小説家・隆慶一郎)が手がけました。
本能寺の変によって織田信長打倒という生きる意味を失った伊賀忍者・葛篭重蔵(大友柳太朗)と風間五平(大木実)の幼馴染は、豊臣秀吉(織田政雄)の天下の時代になり、敵同士として対立します。
その背景には、2人の師・下柘植次郎左衛門(原健策)による伊賀再興への企てと、侍に憧れる風間五平と摩利支天洞玄(戸上城太郎)率いる甲賀忍者衆の両者を利用する京都所司代・前田玄以(菅貫太郎)の思惑がありました。
人を使う者の非情さと人に使われる者との悲哀とが対比して描かれます。
また、葛篭重蔵と摩利支天洞玄の殺陣では、摩利支天洞玄に当時流行し始めていたワイヤーアクションを用いるなどの趣向も凝らされています。
忍者秘帖 梟の城は葛篭重蔵(大友柳太朗)と風間五平(大木実)の2人の幼馴染の物語です。葛篭重蔵は師の依頼に応えたことで、風間五平は侍へ憧れたことで対立します。
けれどもそこは幼馴染、対峙するにあたり互いの気持ちを確認し合います。
葛篭重蔵
「十年ぶりだなぁ五平」
風間五平
「お主がおとぎ峠に隠れて以来のことじゃ」
葛篭重蔵
「こうして顔を見ていると懐かしいが、お主どうしてまた京都所司代などに仕官したのじゃ?」
風間五平
「忍者に飽きたからだ。食むる碌は三百石、役目はお主を捕らえること」
葛篭重蔵
「(笑)面白いことになったもんだな」
と、葛篭重蔵、山門前の階段に座る。
葛篭重蔵
「(夜空を見上げて)ほぅ、消える」
風間五平
「星か」
と、葛篭重蔵の横に風間五平も座る。
葛篭重蔵
「風間五平の星じゃよ。わずか三百石のために身を滅ぼす男、それが星じゃ」
風間五平
「馬鹿な。ただの三百石ではない。やがて千石にも、いや、場合によっては万石取りの大名になるのも夢ではないぞ」
葛篭重蔵
「俺の売値はどうだ?」
風間五平
「まず、二千石は固かろう」
葛篭重蔵
「嬉しいな。では、俺は売られる前にお主を斬ることにする」
風間五平
「容易には斬れまい」
葛篭重蔵
「(笑)確かにな。なぁ五平、わずかな碌を食むよりも自由な忍者の身に戻れよ、な。お主ほどの男、例え二千石や二万石でも抱え者には惜しい」
風間五平
「断る。三百石が五百石に増えるだけでもよい。お主や師匠の請け負うてる仕事を暴いて、出世の種にするつもりじゃ。今夜は古い仲間のよしみで見逃す。しかし明日からは京都所司代の手先、下呂正兵衛として地獄の果てまでお主を追うぞ」
葛篭重蔵
「(笑)言うわ。いずれこっちから改めて参上しよう。十分首を洗っておけよ」
風間五平
「(高笑)」
と、風間五平、走り去る。
映画【忍者秘帖 梟の城】
忍者秘帖 梟の城の公開前後、忍者映画が大いににぎわいます。以前には村山知義原作【忍びの者】(1962年〔大映〕配給)、柴田錬三郎原作【赤い影法師】(1962年〔東映〕配給)などがあります。
以後には山田風太郎原作【江戸忍法帖 七つの影】(1963年〔東映〕配給)、長谷川安人監督作【十七人の忍者】(1963年〔東映〕配給)、漫画家・横山光輝原作【伊賀の影丸】(1963年〔東映〕配給)、人気テレビ時代劇の映画化【隠密剣士】(1964年〔東映〕配給)、山内鉄也監督作【忍者狩り】(1964年〔東映〕配給)などが作られました。
戦前も多数作られた忍者映画でもこの時期は、組織に仕える悲哀を描いたリアリズムや、のちに集団抗争時代劇とジャンル化される群像劇などが特徴です。
工藤栄一も忍者秘帖 梟の城でその一翼を担いました。
工藤栄一は忍者秘帖 梟の城公開の同年、【十三人の刺客】(1963年〔東映〕配給)の監督に指名されます。脚本を十七人の忍者も担当した池上金男(のちに小説家・池宮彰一郎)が手がけました。
工藤栄一は京都市民映画祭・監督賞を、池上金男は京都市民映画祭・脚本賞をそれぞれ受賞しています(1963年)。
明石藩が養嫡子として迎えた松平斉宣(まつだいらなりこと:江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の二十六男で12代将軍・徳川家慶の異母弟。明石藩第8代藩主)の史実に、松平斉宣が参勤交代の際に起こした刃傷沙汰と尾張藩との対立の巷説が採り入れられます。
十三人の刺客では、実在の播磨国明石藩第7代藩主・松平斉韶(まつだいらなりつぐ)の名が暴君として登場します。松平斉宣のエピソードが同映画では松平斉韶とされ、将軍の異母弟で横暴とされました。
暴君・松平斉韶(菅貫太郎)の老中就任が近付くなかで、その就任を危惧する筆頭老中の土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら:丹波哲郎)は旗本・島田新左衛門(片岡千恵蔵)に松平斉韶の暗殺を命じます。このとき島田新左衛門は自身を含む刺客13人を集めました。
筆頭老中の土井大炊頭利位(丹波哲郎)の命で集められた13人の刺客のうち主要メンバーは以下の面々です。
旗本・島田新左衛門(片岡千恵蔵)、御徒目付組頭の倉永左平太(嵐寛寿郎)、島田新左衛門の甥・島田新六郎(里見浩太朗)、島田家の客分の剣豪・平山九十郎(西村晃)などの剣客です。
13人に対するのは、暴君・松平斉韶(菅貫太郎)、その藩主を守る明石藩の軍師・鬼頭半兵衛(内田良平)らの多勢です。
島田新左衛門と鬼頭半兵衛は、かつては互いを意識する関係でした。一戦を前に正直にその腹の内を明かし合います。
島田新左衛門
「わしはお主が一度顔を見せに来てくれるものと待っていた。その後、達者で何よりだな。時が許せば茶など進ぜたいが」
鬼頭半兵衛の長い沈黙。
島田新左衛門
「お主、わしを刺しに来たな」
鬼頭半兵衛の眼、背中。
鬼頭半兵衛
「(高笑い)」
島田新左衛門
「昔に変わらぬお主のその執念、わしはうらやましく思う」
鬼頭半兵衛
「思えば、悪い巡り合わせですなぁ。手前、御徒百人組七十俵五人扶持を頂戴いたします頃より、家柄のよい旗本衆がうらやましくて、同じ人間に生まれたからにはいつかあのようになろうと密かに念じておりましたが」
島田新左衛門
「それお主、見事にしとげたではないか。御小人十人組・新御番組と目覚ましいお主の行く末にわしは直参旗本の望みをかけておった」
鬼頭半兵衛
「(笑)。されば手前も数ある名門中、目指すは島田氏一人、お声がかかったのを幸いに、斉韶様明石松平家御養子縁組のお伴をしてようやく千石(笑)。その千石がかかるはめになり申した。考えれば憎いお人でござる」
島田新左衛門
「お互いそれしか生きようがなかったのかも知れん。(苦悩して)侍というものは致し方のないものだ」
鬼頭半兵衛
「家老の間宮殿も、どうせ同じことなら殿の御前で腹斬ってくだされば、何か打つ手があったようにも思い、また、手前が腹でも斬ろうかと考えたことがございましたが、お手をとって頼まれた御父君に先の将軍家のお顔と憎い島田氏のお顔が目先にちらついて、とうとう思い切れませんでした。所詮はかかる定めと覚悟いたしております」
島田新左衛門
「いずれ、お互いいかようなことに相なろうとも、侍として潔くありたいもの。わしはそれのみ願うておる」
鬼頭半兵衛
「潔く。その言葉ありがたく。では、さらばでござる」
島田新左衛門
「また会おう」
鬼頭半兵衛
「しかと」
と、鬼頭半兵衛、部屋を去る。
映画【十三人の刺客】
工藤栄一は好評を得た十三人の刺客に続いて【大殺陣】(1964年〔東映〕配給)を監督します。脚本は引き続き池上金男が担当しました。
徳川家綱(江戸幕府第4代将軍)の跡継ぎ争いを背景に、反将軍派の大老・酒井忠清と将軍派の軍学者・山鹿素行(やまがそこう)が率いる浪人軍団とを集団抗争時代劇として描きました。
東京オリンピック(1964年)開催の年、岡田茂(東映取締役兼東映京都撮影所所長)の方針でテレビ時代劇に力が入れられます。すでに大衆娯楽の中心は映画からテレビへと移り変わっていました。
こうした時期、剣を主題にしたテレビ時代劇【剣】(1967~1968年〔日本テレビ〕系列)が制作されます(全46話)。黒澤明映画を支えた4名の脚本家が企画しました(C.A.L所属:小国英雄・菊島隆三・橋本忍・井手雅人)。
このとき工藤栄一は第9回「檜谷の決闘」でテレビドラマを初演出します。村人と落ち武者との争いを描きました。
以後、工藤栄一はテレビ時代劇を主軸としていくことになります。
テレビ時代劇では工藤栄一は東映京都の制作作品を中心に演出を多数手がけます(【柳生十兵衛】、【徳川おんな絵巻】、【江戸巷談 花の日本橋】、【忍法かげろう斬り】、【隼人が来る】、【柳生一族の陰謀】、【服部半蔵 影の軍団】など)。
そして、テレビと映画との連動にもかかわります。
テレビ時代劇と連動していた【影の軍団 服部半蔵】(1980年〔東映〕配給)を監督します。
徳川家光(江戸幕府3代将軍)の逝去に伴い、徳川家綱(江戸幕府4代将軍)の将軍補佐役・保科正之(山村聰)からの依頼を受け、3代目・服部半蔵が暗躍します。
テレビ版ではひとりの服部半蔵(テレビ版:千葉真一)を、工藤栄一は下(しも)家の服部半蔵(渡瀬恒彦)と上(かみ)家の服部半蔵(西郷輝彦)の2人としました。
下は盗賊の頭に、上はお家再興にとそれぞれ生きるなかで、反徳川家綱派の筆頭老中・松平伊豆守信綱(成田三樹夫)とその手先となって働く甲賀衆の頭目・甲賀四郎兵衛(緒形拳)と対峙していくことになります。
また、松竹京都の制作作品のテレビ時代にもかかわります(【必殺】シリーズ、【おしどり右京捕物車】、【斬り抜ける】など)。人気テレビ時代劇シリーズでは映画化第3弾の監督を手がけ、【必殺! III 裏か表か】(1986年)と題しました。
表の顔は昼行燈と揶揄される役に立たない南町奉行所の同心、裏の顔は非情な殺し屋集団のリーダーという2つの顔を持つ主人公・中村主水(藤田まこと)が、同作では裏の非情な顔を表の同心の現場でも見せました。
工藤栄一はテレビ時代劇へ主軸を移して以降も時代劇映画では、上・下の服部半蔵、裏の顔を表に出す中村主水を描きました。表現は変化しながらも、司馬遼太郎原作映画で描いた主人公と好敵手との表裏一体の関係を変わらず描き続けていることがうかがい知れます。