【三匹の侍】で映画監督デビューした五社英雄(ごしゃひでお)。テレビドラマの演出家から映像作家としてのキャリアを始め、映画からテレビへ大衆娯楽の中心が完全に移行する時期に映画監督となりました。テレビ演出家でありながら映画監督でもあった五社英雄の時代劇映画は男同士の物語から女性を通じた物語へと移り変わり、時代の変遷を教えてくれます。
五社英雄は、特攻隊を志願するも病のため入隊が遅れ、戦場に出ることなく太平洋戦争を終えました。戦後に大学卒業後、映画会社への就職を望むも叶わず、開局準備中だったラジオ局で職を得ます(1954年)。映画の仕事を強く希望し続け、ラジオ局系列のテレビ局であるフジテレビの開局にあたり出向します(1959年)。
刑事ドラマ、ギャングドラマなどの演出を担当後、自身初となるテレビ時代劇では吉川英治原作【宮本武蔵】の演出を担当します(1961年、主演・丹波哲郎)。
その同じ年には内田吐夢監督による5部作となった映画【宮本武蔵】シリーズの1作目が公開されるなど、戦後2度目の宮本武蔵ブームが起こった時期でした(主演・中村錦之助=のち萬屋錦之介)。
五社英雄の名は自身が企画したテレビ時代劇【三匹の侍】(1963~1969年〔フジテレビ〕系列)で高まります。当時最高視聴率42%を記録しています。
江戸時代後期を舞台に、柴左近(しばさこん:丹波哲郎)・桔梗鋭之介(ききょうえいのすけ:平幹二朗)・桜京十郎(さくらきょうじゅうろう:長門勇)の3人の剣客浪人が庶民のために権力に立ち向かいます。
このとき五社英雄は殺陣の場面で刀と刀の交わりに効果音を付けます。それまで極端に激しい効果音のなかった時代劇映画・テレビ時代劇に新しい表現をもたらしました。
テレビ時代劇・三匹の侍は映画化されます。
映画版【三匹の侍】(1964年〔松竹〕配給)は、五社英雄初の映画監督作となりました。撮影場所には松竹京都撮影所などが使用されています。テレビ版と映画版の主人公・丹波哲郎が興したさむらいプロダクションが企画に携わり、丹波哲郎は製作にも名を連ねます。
物語はテレビ版の第1話に基づき、脚本はテレビ版と同じ柴英三郎が共同で担当しました。黒澤明映画さながらに息もつかせぬ展開がなされます。
浪人・柴左近(丹波哲郎)は旅の途中、代官・松下宇左衛門(石黒達也)の娘・亜矢(桑野みゆき)を人質に取り、水車小屋に立て篭もる百姓達の現場に出くわします。騒動は凶作と重税による苦境に耳を傾けない代官への抗議からで、柴左近は義侠心から味方します。
代官は藩主への騒動発覚を恐れます。藩主が参勤交代でやって来る前に騒動を収めようと考え、槍使いの浪人・桜京十郎(長門勇)など牢に捕えていた浪人衆を差し向けます。その際、代官の用心棒・桔梗鋭之介(平幹二朗)を見張り役としました。けれども実情を知った百姓出身の桜京十郎はすぐに百姓の味方となりました。
百姓側と代官側との争いが激化するなかで百姓の娘と代官の娘との命が賭けられます。板挟みに悩んだ百姓の娘が自害すると百姓達の身を案じた柴左近は、ひとり罰を受ける代わりに百姓達は見逃すという条件を出します。自身の娘の身を案じた代官は交換条件を受け入れました。
しかし代官は娘が戻ると約束を破ります。後日、浪人衆を使って百姓達を斬り殺しました。そんななか、牢に閉じ込められていた柴左近を代官の娘は命を助けられた恩を返そうと牢から脱出させました。
代官はさらに今回の騒動を知る者を消そうと新たに浪人衆を放ち、桔梗鋭之介の命を狙います。裏切られた桔梗鋭之介は結果、柴左近の側へ寝返りました。
百姓達が記していた藩主への訴状を巡って代官との争いは続きます。けれどもその代官も不手際を問われ、参勤交代の当日、参勤交代の先触れを務める剣客・大内玄馬(青木義朗)に蟄居を命じられました。
助けた百姓の未亡人と逃げようとしていた桜京十郎も戻って来ます。こうして3人は一丸となり、新たな敵となった大内玄馬率いる侍集団に立ち向かうことになります。
桔梗鋭之介(平幹二朗)と桜京十郎(長門勇)は柴左近(丹波哲郎)と付かず離れずの関係です。けれども大内玄馬(青木義朗)率いる侍集団と立ち向かう際、それぞれ柴左近への想いを明かします。
多勢に追い込まれるなかで柴左近と桔梗鋭之介は互いを勇気付けます。
桔梗鋭之介
「おい、おら、お主が好きだ」
柴左近
「馬鹿」
二人
「(笑い合う)」
映画【三匹の侍】
桜京十郎はねんごろになった百姓の未亡人と静かに暮らそうと考えていました。けれども柴左近の苦境を知り、未亡人を置いて戻ってきます。
と、向かってくる敵を槍で次々と倒す。
桜京十郎
「柴、わしを斬ってくれ、わしを斬れー」
柴左近
「お主など斬ってる暇はないわい」
映画【三匹の侍】
物語の最後、五社英雄は柴左近(丹波哲郎)を通じて主題を語らせています。
柴左近は諸悪の根源だった代官・松下宇左衛門(石黒達也)の屋敷にひとり乗り込みます。
松下宇左衛門
「待て、待ってくれ」
柴左近
「よく聞け、そして殺された百姓や浪人共の苦しみを味わえ」
松下宇左衛門
「待って、待ってくれ、助けてくれ」
と言い逃げる松下宇左衛門を柴左近は投げ飛ばす。
柴左近
「百姓とて人間だぞ、無宿の浪人とて同じように人間だということを思い知れ!」
映画【三匹の侍】
三匹の侍以降、五社英雄は映画を多数監督していくことになります(【獣の剣】、林不忘原作【丹下左膳 飛燕居合斬り】、【牙狼之介】、【牙狼之介 地獄斬り】)。
その間、テレビ時代劇の人気作となっていた柴田錬三郎原作【眠狂四郎】(1967年、主演・平幹二朗)の新シリーズのプロデュース・演出も手がけます。
そして五社英雄の強い希望から所属先のテレビ局も映画製作に乗り出すに至ります。
日本初のテレビ局製作とされるその第1作は、五社英雄監督作【御用金】(1969年〔東宝〕配給)となりました。日本初のパナヴィジョン方式の70mmで制作されます。
江戸時代後期、越前国(現在の福井県敦賀市より北部)鯖江藩が舞台です。とある村で起こったとする漁民の神隠しの謎が導入部です。
神隠しは財政難にあえぐ鯖江藩次期家老・六郷帯刀(ろくごうたてわき:丹波哲郎)が主導していました。佐渡から産出した金を積んだ江戸幕府の座礁船から金を収奪し、その際かかわった漁民を密かに殺していました。
実情を知る主人公の鯖江藩藩士・脇坂孫兵衛(仲代達矢)は脱藩し、義理の兄でもある六郷帯刀に立ち向かうことになります。そのとき、謎の浪人・藤巻左門(中村錦之助=のち萬屋錦之介)も仲間に加わります。
脚本は、それまでも五社英雄監督作を手がけてきた田坂啓(代表作:野村胡堂原作【銭形平次】、工藤栄一監督作【十一人の侍】など)が担当しました。
続けて所属先のテレビ局製作による第2作も作られ、五社英雄が監督を務めます。
司馬遼太郎の短編【人斬り以蔵】を参考とした2作目【人斬り】(1970年〔大映〕配給)です。脚本は橋本忍(代表作:黒澤明監督作【羅生門】【七人の侍】、小林正樹【切腹】など)です。
同作は、大衆娯楽の中心が映画からテレビへと移行するなかで勝新太郎が興した勝プロダクションが初の時代劇映画として共同で製作にかかわります。翌年切腹自殺をすることになる小説家・三島由紀夫の出演も当時話題となっています。
また、劇画が当時人気となっていた時期、御用金と人斬りはメディアミックスもなされます。映画公開に併せて、劇画家・平田弘史が映画を原作とする少年漫画を連載しています。
五社英雄はこれまでの実績から編成局映画部長に就任します(1969年)。
以後、多数のテレビ時代劇を企画します。
テレビ時代劇の人気作となっていた三上於菟吉原作【雪之丞変化】(1970年〔フジテレビ〕系列、主演・丸山明宏=現・美輪明宏)の第1・2話を演出し、第3・4話の演出に代表作誕生以前の映画監督・深作欣二を招きました。
自身の代表作の新シリーズ【新三匹の侍】(1970年、主演は安藤昇・高森玄・長門勇)では企画・演出、柴田錬三郎原作【岡っ引どぶ】(1972年、主演・山崎努)の演出、【無宿侍】(1973年、主演・天地茂)でも企画・演出などを手がけています。
そして所属テレビ局だけでなく、他局でも【唖侍鬼一法眼(おしざむらいきいちほうがん)】(1973年、主演・若山富三郎)の原作を担当します。同作はメディアミックスもなされ、劇画原作者・小池一夫が率いるプロダクションに所属していた神田たけ志の作画によって漫画化もなされました。
五社英雄は、江戸時代中期に実在したとされる盗賊を池波正太郎が主人公にした群像劇【雲霧仁左衛門】(1972~1974年)の映画化を託されます。その後、度々映像化されることになる同作初の映像化です。
池波正太郎は、講釈や大岡政談に登場する盗賊・雲霧仁左衛門(くもきりにざえもん)率いる雲霧一味を用意周到かつ非情な集団とします。
そして、火付盗賊改方長官・安部式部信旨(あべしきぶのぶむね)が率いる火付盗賊改方との出し抜き合いを物語の見せ場としました。
五社英雄監督作【雲霧仁左衛門】(1978年〔松竹〕配給)は、テレビ時代劇に多くの役者を提供してきた俳優座との提携作として制作されます。撮影場所には、大手映画配給会社のスタジオ・松竹京都撮影所などが使用されています。
脚本は池上金男(代表作:工藤栄一監督作【十三人の刺客】、テレビ時代劇【必殺仕掛人】など)です。のちに池宮彰一郎の名で小説家としても活躍しています(【四十七人の刺客】など)。
江戸でストリップ小屋を営む雲霧仁左衛門(仲代達矢)は、裏の顔として義賊・雲霧一党を率います。木鼠吉五郎(長門裕之)、七化けのお千代(岩下志麻)、州走りの熊五郎(夏八木勲)、黒塚のお松(倍賞美津子)、因果小僧六之助(あおい輝彦)らを従えます。
火付盗賊改方長官・安部式部(6代目・市川染五郎=現・2代目松本白鸚)と攻防を繰り広げるなかで、雲霧仁左衛門は尾張の豪商・松屋吉兵衛(丹波哲郎)の大金をせしめる大仕事を最後に雲霧一党の解散を申し出ます。
そこには雲霧仁左衛門を名乗ることになる10年前の因縁がありました。
尾張藩の家臣・辻蔵之助(8代目・松本幸四郎=のち初代・松本白鸚)の弟が雲霧仁左衛門の正体・辻伊織でした。兄弟は将軍職争いのなかで金策に奔走する尾張藩の公金横領の濡れ衣を着せられ、お家断絶に追い込まれた過去を背負っていました。
五社英雄は原作の枠組を残しながらも、根本を改変しました。
影の存在である雲霧仁左衛門に派手な抜刀場面を用意します。
雲霧仁左衛門と火附盗賊改方の同心で一刀流の剣客・柳助次郎(佐藤京一)との対決では派手な血しぶきを飛ばしています。雲霧一党離散後、雲霧仁左衛門は単身で乗り込んだ尾張藩でその刀を振います。
五社英雄は雲霧仁左衛門(仲代達矢)の義賊の意義を、最後の大仕事を始める前に次のように語らせました。
映画【雲霧仁左衛門】
五社英雄はまた兄弟愛も描きます。
琵琶法師に身をやつし復讐の機をうかがっていた辻蔵之助(8代目・松本幸四郎=のち初代・松本白鸚)の願いを弟・雲霧仁左衛門=辻伊織(仲代達矢)は聞き入れなれなかったものの、弟が率いる雲霧一党のピンチを救うため辻蔵之助は身を挺した行動に出ました。
辻蔵之助
「されば手前が、されば手前が、お尋ねの雲霧仁左衛門でござる」
安部式部、辻蔵之助に歩み寄る。
安部式部
「己が雲霧仁左衛門だと? しかと相違ないか?」
辻蔵之助
「しかと、しかと天地神明に誓って、相違ございません」
辻蔵之助、木鼠吉五郎らに声をかける。
辻蔵之助
「皆の者、長年の間ご苦労であった。仁左衛門、心から礼を申す」
木鼠吉五郎
「(驚きながらも)恐れ入ります」
と、木鼠吉五郎、黒塚のお松、大工小僧七松ら頭を下げる。
山田藤兵衛
「縄を打て」
安部式部
「いや、自ら名乗りでた者に縄目はいらん。雲霧仁左衛門」
辻蔵之助
「は」
安部式部
「己の申し状を確かめる前にひとつだけ聞きたい。ただいまの心境を聞かせて欲しい」
辻蔵之助
「されば、降りつる雪の重さに耐えかねて青竹が折れ、折れて初めて身の軽さを知ったとでも申しましょうか。生きて生き甲斐のなかった身が死んで死に甲斐のある良い死に場所をようやく見つけたように思われます」
映画【雲霧仁左衛門】
兄の身を挺した行動を知った雲霧仁左衛門=辻伊織(仲代達矢)は、その名誉を次のようなかたちで回復させようとしました。
雲霧仁左衛門
「手前は不服でござる」
尾張城に乗り込んだ雲霧仁左衛門、出る。尾張中納言継友に歩み寄る。城に忍びこんだ際に水に濡れた足元のアップの映像続く。
雲霧仁左衛門
「見忘れか、そのようなはずはない。お主らがこの十年の間、悪夢にうなされた顔、よもやお忘れではなかろう」
荒木十太夫
「何者だ?」
雲霧仁左衛門
「この顔だ」
と、全身の映った雲霧仁左衛門、顔を隠していた布を取る。
雲霧仁左衛門
「殿お久しぶりでござる。もと勘定方、辻蔵之助でござる」
尾張中納言継友
「辻蔵之助…」
映画【雲霧仁左衛門】
五社英雄はその後、池波正太郎原作【闇の狩人】(1979年〔松竹〕配給)を監督後、自身の不祥事の責任を取って所属先のテレビ局を退職しました。
フリーランスとなった五社英雄は、俳優座とのつながりから再び映画監督業に復帰するに至ります。以後、現在イメージされる五社英雄の作風である女性を主人公とする時代劇映画に取り組んでいくことになります。
宮尾登美子の【鬼龍院花子の生涯】(映画化1982年〔東映〕配給)、【陽暉楼】、【櫂】を原作とする3部作を発表しました。脚本はすべて高田宏治(代表作:五味康祐原作【柳生武芸帳】シリーズ、【殺人拳】シリーズ、【日本の首領】シリーズなど)が手がけ、原作を大きく改変しました。
この間、テレビ時代劇の方では林不忘原作【丹下左膳 剣風!百万両の壺】を演出しています(1982年、主演・仲代達矢)。
鬼龍院花子の生涯以後は、高田宏治脚本【北の螢】【極道の妻たち】【肉体の門】【陽炎】、古田求脚本【薄化粧】【十手舞】、中島貞夫脚本【吉原炎上】、笠原和夫脚本【226】、井出雅人脚本【女殺油地獄】を監督し、主に女性を通じての愛憎劇を描きました。
テレビ時代劇と時代劇映画の往復を続けた五社英雄。五社英雄の時代劇は男同士の物語から女性を通じた物語へと移り変わり、それは時代の変遷を教えてくれます。