『銭形平次捕物控』を執筆した野村胡堂(のむらこどう)。空想科学小説から髷物へ移行してきた歴史・時代小説家です。その幅広い知識で、新刀よりも古刀に重きを置いた刀剣観を描きます。
野村胡堂は、報知新聞社に勤めながら、空想科学小説『二万年前』(1922年『報知新聞』連載)などを執筆。
その後、伝奇小説『美男狩』(1928~1929年『報知新聞』連載)で、自身初の髷物(まげもの)を書きました。
『美男狩』の主人公は、千葉周作門下の美男剣士・篠原求馬です。加賀藩藩士の父親が、密貿易で財をなした加賀の商人・銭屋五兵衛と通じていると疑われて切腹。求馬は江戸に出て浪人となり、敵を討つ日を待っています。父を死に追いやった加賀藩藩士・横山遠江とその甥で斎藤弥九郎門下の美男剣士・新太郎が敵です。
求馬は敵討ちに、江戸時代前期に活動した摂津国の刀工・井上真改の刀、鎌倉時代からの歴史を持つ相模国の刀工・正宗の跡継ぎ貞宗(通称・彦四郎)の刀を使いました。
左片手上段に、彦四郎貞宗を振り冠った篠原求馬の姿は、中天の月と、掛け連ねた灯に照らされて、物凄いばかりです。
(中略)
兎に角、悪魔的な魅力を持つ求馬の片手構えに対して、正統派的な新太郎の青眼も、決して見劣りのするものではありません。
まして、白皙豊頬、近松の所謂、油壺から出たよな男前の新太郎が、髷節から爪先まで、気合いに充ち満ちて構えた青眼は、なかなか容易のことで破れるものではありません。『美男狩』より
胡堂は、『オール讀物』の月刊創刊号用に、当時人気を博していた岡本綺堂『半七捕物帳』のような作品を書いて欲しいと依頼されます。そこで、『銭形平次捕物控』(1931~1957年『オール讀物』連載)を執筆します。
主人公・江戸の岡っ引きの平次は、投げ銭(寛永通宝・四文銭)の得意技を持っています。『水滸伝』の張清が得意とした「石つぶて」から着想しました。
『銭形平次捕物控』は、連載時すぐさま嵐寛寿郎らの主演で映画化されるなど人気を博し、26年にもおよぶ長期連載となっていきます。
平次は、貞宗にまつわる事件に何度もでくわします。
江戸時代中期、徳川幕府第8代将軍・徳川吉宗の命によって刀剣の目利き・本阿弥家の手で名刀が集められ、通称『享保名物帳』が記されます。貞宗は、正宗・粟田口吉光・郷義弘の順に次いで多く記載された日本刀です。
「それが大変でございました。なんでも、根津の石川良右衛門様が、公儀御腰物方から、御手入を申付けられた、上様の佩刀、彦四郎貞宗とやら――東照宮様伝来の名刀だということでございました――その研から拵への直しを、父がお引受してお預り申上げているうちに、何時の間にやら盜まれてしまったのだそうです」
「フーム」
平次も引入れられるように唸りました。将軍家の腰の物を預って盜まれたのでは、なるほどその頃の社会で、人間の命が一つ二つ飛ぶのに何んの不思議もありません。「買った遺書」『銭形平次捕物控』
「本当に貞宗だった日にゃ、十両で売っちゃ大変に損だから、一日待って貰って、知り合いの刀屋を二三軒当って見ると、――飛んでもない、そいつは備前物で、彦四郎でも藤四郎でもある筈はねぇ。その上日本一の大なまくらだから、鍋の尻を引っ掻くより外に役に立たない代物だ。望み手があるなら、拵へごと一両で売っても大儲けだ――と言うんで、思い切って手離しましたよ、親分」
「呆れ返った野郎だ。手前はその刀屋の鑑定を、相手に言わなかったのか」
「鉄砲汁」『銭形平次捕物控』
胡堂は、髷物で日本刀を描くにあたり、貞宗を重んじました。