『砂絵呪縛』でその名を残す土師清二(はじせいじ)。歌舞伎の時代小説化で小説家としてのキャリアを始めた土師は、傾奇者や隠密・浪人など武士道をはみ出す日本刀の世界を描きました。
土師清二は、大阪朝日新聞社勤務時代、『週刊朝日』の創刊(1922年)に編集者として携わります。同時に掲載した自身の小説『水野十郎左衛門』(1924年 金尾文淵堂)が初の単著となりました。
水野十郎左衛門成之(みずのじゅうろうざえもんなりゆき)は、福山藩初代藩主・水野勝成の孫で、傾奇者(かぶきもの)だったとも言われる父・成貞の長男です。武士身分の傾奇者達「旗本奴」(はたもとやっこ)として知られていました。
江戸時代前期、第4代将軍・徳川家綱の時代、「大小神祇組」(白柄組)の一党を率い、町人身分の傾奇者達「町奴」(まちやっこ)の代表格・幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)との騒動でその名を残します。
江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した歌舞伎狂言作者・河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は、十郎左衛門と長兵衛の対立を『極付幡随長兵衛』として書きます。9代目市川團十郎が初演しました。
対して土師は、十郎左衛門を主人公としました。武士だった十郎左衛門の心境を描き、最期に兼光を望ませます。兼光は、鎌倉時代に興った備前国の刀工一派・備前長船派です。
三宝の上には、かねて十郎左衛門が阿波守に所望したことのある兼光の短刀が載せてあった。
「かねての望み、忝のう存じます」『水野十郎左衛門』より
『砂絵呪縛』の主人公は、水鷗流居合剣法(すいおうりゅういあいけんぽう)の剣客・勝浦孫之丞です。
孫之丞は、甲府徳川家の綱豊(のち第6代将軍・徳川家宣)の側用人・間部詮房(まなべあきふさ)が率いた影の組織・天目党の副首領です。天目党は、現・将軍の綱吉派で紀州徳川家の綱教を推す大老格・柳沢吉保の隠密・柳影組と跡継ぎを巡って争います。
孫之丞は、粟田口則国(あわたぐちのりくに)で立ち向かいます。則国は、鎌倉時代に興った山城国の刀工一派・粟田口派です。
その時「杉生氏、勝浦手伝うぞ!」
闇を引裂いて現われたのは天目党副首領勝浦孫之丞だ。
孫之丞、粟田口則国を鞘走らせて重兵衛の左にズッと迫る。『砂絵呪縛』
『砂絵呪縛』は連載中、阪東妻三郎主演を含む4社が映画化し、土師の代表作となります。阪東版では、土師が孫之丞と同格に描いた敵役、柳影組の一員で心極流の剣客・森尾重四郎を主人公としました。
浪人だった重四郎は、柳影組の頭領にその腕前を気に入られ用心棒として働きますが、人質に取った間部詮房の娘に惹かれ柳影組を裏切り、命を狙われます。
斬るも斬られるも出たとこ勝負で、命を屁とも思わない森尾重四郎。その面魂といおうか、性格というのか、一切「なるようになれ」の持前な、冷灰のごとく立上ったのだ。こうなれば敵手が一人であろうと十人であろうと、強かろうと弱かろうと、重四郎に取っては強弱多寡同一で、事の分かれ目は斬るか斬られるかであった。そうして又斬っても斬られても、どうなろうと、こうなろうと「なるようになれ」の重四郎だ。
『砂絵呪縛』
水野十郎左衛門と幡随院長兵衛、勝浦孫之丞と森尾重四郎。土師は日本刀を通して、悪の矜持を描きました。