『赤穂浪士』を執筆した大佛次郎(おさらぎじろう)。髷物『鞍馬天狗』で一躍人気となった大佛はもともと海外文学の翻訳を手がけていました。大佛の日本刀の物語は、西洋文学が背景となっています。
大佛次郞は、東京帝国大学法科大学の政治学科を卒業後、外務省の嘱託として働くも、関東大震災を機に、作家として生きる道を選びました。
大佛2作目の髷物(まげもの)『鞍馬天狗』は、様々な雑誌で40年近く書き続けられ、代表作のひとつとなりました(1924~1965年『ポケット』他断続連載)。発表の年以来、何度も映画化されています。
特に「角兵衛獅子」の回(1927~1928年『少年倶楽部』初出)は、嵐長三郎(嵐寛寿郎)が何度も主演し、人気となりました。勤皇の志を持つ謎の浪人剣士・鞍馬天狗を追い続ける新選組の局長・近藤勇が大活躍します。
声も掛けず、近藤の虎徹が、ちょうど何か白い鳥が羽ばたきでこちらの目を打とうとしたような感じを与えて、ぱッと顔の前に白く閃く。
(中略)が、次いで、ちゃりん……と、敷石の上に鉄の鳴る音がしたのは! 鞍馬天狗が咄嗟に横にはらった一刀が、近藤の手から虎徹を払い落していたのです。
「角兵衛獅子」『鞍馬天狗』より
『鞍馬天狗』評判後、大佛は『照る日くもる日』(1926~1927年『大阪朝日新聞』連載)で初めての新聞小説を担当します。当時29歳。20代の青年が大手の新聞小説を担当すると言う大抜擢でした。
同時期、吉川英治が『大阪毎日新聞』に起用され、『鳴門秘帖』(1926~1927年)を連載し、新聞連載小説のひとつの転機となっていきます。
『照る日くもる日』は、勤王の志を持つ浪人・細木新之丞の子・年尾が主人公です。大旗本・加納八郎と一刀流指南・岩村鬼堂らの佐幕派に、父を殺された年尾が敵を討つ物語です。ラファエル・サバチニの剣士の復讐を描いた小説『スカラムーシュ』を下敷きにしています。
続いて大佛は、『赤穂浪士』(1927~1928年『東京日日新聞』連載)を執筆します。
この時、主人公として自暴自棄に生きる浪人・堀田隼人と大泥棒・蜘蛛の陣十郎を創作します。彼らが吉良方を守る上杉家のために働くと言う伝奇風の味付けを行なったうえで、それまで講談風で人情道徳を中心としていた新聞小説に、西洋風の写実表現を目指しました。
内蔵助は、老人の額に亡君の遺恨の刀痕を探していて見付からなかった。その、すこし、せき込んだような視線に動かされて、吉田忠左衛門が老人の肩をはいだ。そこには背骨をすこし外れて、歴々と、黒い線をひいた刀痕が認められた。これこそ松の廊下で亡君が、逃げる上野介にあびせかけた無念の一刀の名残りであった。
『赤穂浪士』
『赤穂浪士』では、それまでの「義士」として描かれていた面々を、「浪士」として描きます。その想いを大佛は、物語の最後、大名・小名の行列を眺める堀田隼人に語らせます。
この整然とした列を、ばらばらに掻き乱して見たい。
(叩き潰せ!)
と、どこかで、荒々しく叫ぶ声が聞こえる。肌は冷たく汗ばんでいる。こうした昼間の光は重苦しかった。埃まみれの屋根や木々、無神経に長い海鼠壁。どこへ行ってもある白茶けた景色と、愚鈍な人間の顔……刺激が強すぎるのである。毀したいのである。ひっ裂きたいのである。どれも叩き潰したいのである。
『赤穂浪士』
『赤穂浪士』は連載終了後、堀田隼人を中心に、大河内伝次郎や片岡千恵蔵主演で映画化、沢田正二郎主演で舞台化されています。のちに長谷川一夫主演でNHK大河ドラマの第2作目にもなりました(1964年)。
鞍馬天狗も細木年尾も堀田隼人も浪人。そして、赤穂義士を赤穂浪士に。日本刀の世界において、浪人剣士の置かれた境遇に大佛は大いに肩入れしました。