「土方歳三」(ひじかたとしぞう)は、もともとは農家の出身でしたが、剣術の新しい流派「天然理心流」(てんねんりしんりゅう)を「近藤周助」(こんどうしゅうすけ)に学び、優秀な剣の使い手となりました。
その剣術の上手さが買われ、1863年(文久3年)に江戸幕府14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)が上洛する際、警護役として編成された「浪士組」のひとりに選ばれています。
そのあと、「近藤勇」(こんどういさみ)を始めとする、天然理心流の道場「試衛館」(しえいかん)の仲間達と共に「新選組/新撰組」を結成。
その副長として倒幕/討幕運動の統制に当たり、「池田屋事件」などで「尊王/尊皇攘夷派」(そんのうじょういは:天皇を尊んで、外敵を排除する思想)を徹底的に弾圧したことで、その名を轟かせました。
1868年(慶応4年/明治元年)から始まった「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)では、「榎本武揚」(えのもとたけあき)にしたがって、新政府軍に抗戦します。
しかし、土方歳三は、「箱館戦争」(はこだてせんそう:別称[五稜郭の戦い])において、新政府軍からの流れ弾が腹部に命中し、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
西暦(和暦) | 年齢 | 出来事 |
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1835年(天保6年) | 1歳 | |
1851年(嘉永4年) | 17歳 |
義兄・佐藤彦五郎(さとうひこごろう)が、天然理心流に入門していた縁で、土方歳三も同流に仮入門する。この頃、出稽古に来ていた近藤勇と出会ったと見られている。
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1859年(安政6年) | 25歳 |
天然理心流に正式入門する。
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1863年(文久3年) | 29歳 | |
1864年(文久4年/ 元治元年) |
30歳 | |
1868年(慶応4年/ 明治元年) |
34歳 | |
1869年(明治2年) | 35歳 |
新政府軍が箱館を総攻撃し、箱館戦争が勃発。
交戦中に死亡。 |