『花の生涯』を執筆した舟橋聖一(ふなはしせいいち)。歌舞伎に慣れ親しみ、最初の人気作は歌舞伎の女形を描いたものでした。そんな舟橋は多くの自作で日本刀を女性にまつわる視点で描きます。
舟橋聖一は、官立高等学校時代、芝居に親しみ、新劇の発展に寄与した劇作家・小山内薫門下になります。東京帝国大学入学後、歌舞伎役者の河原崎長十郎(4代目)や村山知義・池谷信三郎らによる劇団・心座の創設に参画し、戯曲を担当します。卒業後は大学教員の傍ら小説を執筆し、女形・澤村田之助(3代目)を描いた『田之助紅』(1946~1948年『京都新聞』連載)は、連載中に映画化されました。
その後は、映画化された『雪夫人絵図』(1948年『小説新潮』連載)『花の素顔』(1949年『朝日新聞』連載)など女性を主人公とした現代物を多数発表し、代表作となる時代小説『花の生涯』(1952~1953年『毎日新聞』連載)を執筆します。
主人公は、井伊直弼です。彦根藩の藩主となったのち江戸に出て大老にまで出世した井伊直弼が、尊王攘夷派や江戸幕府第13代将軍・徳川家定の反対派の粛清(安政の大獄)を実施し、尊王攘夷派の襲撃で命を落とす(桜田門外の変)までを描きました。
『花の生涯』は連載中、映画初主演となった松本幸四郎(8代目)と淡島千景の主演コンビで映画化され、舟橋の代表作となりました。のちにNHK大河ドラマの第1作目にもなります(1963年)。
舟橋は井伊直弼を描くにあたり、友人の国学者・長野主膳と三味線の女師匠で情を深めた村山たか女との三角関係に力点を置きました。たか女と主膳の親しき仲を知った直弼は、日本刀を用いてたか女への想いを断ち切ります。
「たか。私は今宵限り、この楽器を見るのも嫌になった。もはや、目障りじゃ。御身との思い出を打ち砕くため、この三味線も葬り去ろうぞ」
彼は、白い胴を前に、転手を先きに、庭石の上におくと、刀は鞘におさめておいて、
「エイッ」
と、声を掛けた。
刀を抜いたのか抜かないのか佐登の目には、わからない。が、次の瞬間、胴の革は、鋭く裂け、棹は三ツに砕かれ、転手は遠く、松の根方まで、飛び散っていた。
たか女は、身を顫わし、髪を浪立たせて泣いた。
「直弼。今宵から、歌舞音曲を、おのれに禁じる」
と、彼は自己に向って、強く戒めるように云った。
『花の生涯』より
舟橋は大奥に出入りしていた呉服商や、座元邸で絵島らの接待を行なった歌舞伎役者を通して、古備前派として扱われる正恒、粟田口派の吉光の日本刀を登場させました。
「ありがとうございます。恐らく俄かに扶持にはなれた名のある御武家の持ち物でがなございましょう――備前ものの中でも、由緒ある古備前、在銘、正恒となって居ります。どこへ出しても、恥かしからぬ逸品でございますよ」
『絵島生島』
「滅相もない。絵島様のお枕許には、粟田口吉光の銘刀がおいてありまして、万一にも、お気に召さぬ振舞があれば、お手討でございますよ」
『絵島生島』
『絵島生島』は連載中、市川海老蔵(11代目・市川團十郎)と淡島千景の主演コンビで映画化されました。11代團十郎の2本しかない映画出演のうちの1作となりました。
歌舞伎の世界に慣れ親しんだ舟橋は、日本刀を女性とのかかわりの中で描きました。