『眠狂四郎無頼控』でその名を知られる柴田錬三郎(しばたれんざぶろう)。剣豪作家を名乗った柴田は、戦前に育まれた歴史小説・時代小説の魅力を戦後に蘇らせた功労者です。
柴田錬三郎は、日本浪漫派の佐藤春夫に師事しました。芥川龍之介賞と直木三十五賞に同時対象となったのち、短編「イエスの裔」(1951年『三田文學』初出)で第26回直木賞を受賞しました。
その後、『週刊新潮』の創刊年、『眠狂四郎無頼控』(1956~1958年『週刊新潮』連載)を執筆し、20年に亘ってシリーズ連載されていきます。剣豪・眠狂四郎のシリーズは柴田の代表作となり、柴田は「剣豪作家」を名乗りました。
眠狂四郎の名前は、中里介山の未完の長編時代小説『大菩薩峠』の主人公で「音無しの構え」の使い手・机竜之介から着想されました。
『眠狂四郎無頼控』は連載中に鶴田浩二主演で映画化・江見俊太郎主演でテレビドラマ化されたのち、映画版『大菩薩峠』で竜之介役を演じていた市川雷蔵(8代目)が映画で狂四郎役を演じ、雷蔵の当たり役になりました。
時代は週刊誌の創刊ラッシュに入り、柴田は『週刊文春』創刊の翌年、『赤い影法師』(1960年『週刊文春』連載)を執筆します。講談で実話として語られてきた寛永ご前試合を題材にしました。
江戸時代前期、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の呼びかけで行なわれた剣客達の10試合で、将軍家の兵法指南役の柳生宗矩と小野忠常が判定者を務めました。連載終了時、大川橋蔵(2代目)主演で映画化されました。
『赤い影法師』は、徳川方の伊賀忍者衆の筆頭・服部半蔵と反徳川の石田三成のもとで働いた木曽谷の忍者一族との物語です。木曽谷の忍者の親子・母影と若影は、寛永ご前試合の勝者に手渡される徳川家の10振の宝刀の太刀先三寸の盗みを繰り返し、半蔵は捕獲に乗り出します。
徳川方に内通して大坂夏の陣以後も生き残っていた真田幸村も、「赤猿」佐助を従え暗躍。幸村は、豊臣家から徳川家が引き継いだ10振の宝刀が、秀吉が偽装した青江恒次(備中国の刀工)の日本刀と気付き、その謎を探ります。
幸村は、九振の無銘太刀は、のこらず、備中青江守次の長子恒次の作と、鑑定したのであった。
幸村は、服部半蔵が訪れて、その一振の鑑定と剣相を乞うた時、わざと千子村正と断定したが、実は、即座に、青江恒次と識ったのである。そして、おそらく、他の九振も、同人の作であろうか、と想像したのである。予断は適中した。
『赤い影法師』
その後、柴田は『柴錬立川文庫』(1962~1963年『オール讀物』連載)を執筆します。大正期、大阪から大流行した書き講談、立川文庫の人気主人公、猿飛佐助、真田幸村らを大人向けに新たに描きました。
柴田は、戦前に興った時代・伝奇小説の世界を戦後に復興し、日本刀の魅力を蘇らせました。