『竜馬がゆく』『燃えよ剣』などで知られる司馬遼太郎(しばりょうたろう)。司馬が独創的に描き出版された刀剣・歴史小説は、坂本竜馬像や新選組像はテレビ時代劇化を通して、教科書的な存在となっていきます。
司馬遼太郎は産経新聞社勤務時代、『梟の城』(1958~1959年『中外日報』連載。連載時名『梟のいる都城』)で、第42回直木三十五賞を受賞しました。豊臣秀吉の暗殺を謀る伊賀忍者を主人公とし、石川五右衛門の伝説もからむ伝奇時代小説で、選考委員の海音寺潮五郎の強力なあと押しが受賞につながりました。受賞を機に司馬は産経新聞社を退社し、作家を専業としました。
その後、多彩な作品を執筆する中で、吉川英治が亡くなった年に発表した短編「真説宮本武蔵」(1962年『オール讀物』初出)では吉川版武蔵とは違う、『渡辺幸庵対話』をもとに士官に憧れる武蔵像を描きます。
新選組の面々を描いた短編集『新選組血風録』(1962年『小説中央公論』連載)の執筆にあたっては、新選組物の先駆者・子母澤寛の著作を資料として利用するために伺いを立てています。
司馬は『新選組血風録』連載開始の1ヵ月後、『竜馬がゆく』(1962~1966年『産経新聞』連載)を発表します。古巣の新聞社社長から長編連載を依頼され、中里介山『大菩薩峠』の司馬版を当初構想していたものの、司馬の新聞社時代の高知出身の後輩の一言がきっかけで変更されました。5年に亘った同作は司馬の代表作になります。
黒船来航から桜田門外の変までを描いた山岡荘八『坂本龍馬』の先行作とは違い、司馬は、郷士の家に育った竜馬が数え年19歳の春に土佐から剣術師匠を目指して江戸に出てから、大政奉還直後の暗殺(近江屋事件)までを描きました。龍馬を竜馬と表記して創作し、竜馬の子分としてもと盗賊の寝侍ノ藤兵衛なども生みだしています。
小説は、龍馬が実際に佩刀していた陸奥守吉行(土佐藩鍛冶奉行)の鍛えた刀とともに人生を終えた場面で終わります。
撃たれてから、竜馬は事態を知った。が、平素剣を軽蔑し、不用心でいる。このため、手もとに刀がなかった。
(中略)
竜馬は床の間の佩刀陸奥守吉行をとろうとし、すばやく背後へ身をひねった。
この一動作を、刺客は見のがさない。竜馬の左手が刀の鞘をつかんだとき、さらに二ノ太刀を加えた。左肩さきから左背骨にかけて、骨を断つ斬撃を竜馬は受けた。
『竜馬がゆく』より
『竜馬がゆく』連載開始5ヵ月後、司馬は、新選組副局長・土方歳三の生涯を描いた『燃えよ剣』(1962~1964年『週刊文春』連載)を発表します。
土方の好敵手として、中里介山『大菩薩峠』の主人公・机竜之介と同じ甲賀一刀流の使い手・七里研之助を創作し、小説の最後半では、土方が実際に佩刀した和泉守兼定(会津藩お抱鍛冶)が鍛えた愛刀を小姓・市村鉄之助に自身の写真とともに託す場面を描きました。
最後に、もう一品、ことづけた。佩刀である。
京都以来、かぞえきれぬほど多くの修羅場を歳三とともに掻いくぐってきた和泉守兼定であった。
「鉄之助、たのむ。そちの口から語らねば、近藤、沖田らの最期も、ついには浮浪人の死になるだろう」
『燃えよ剣』
直木賞受賞以後、司馬の時代小説は連載時、テレビ時代劇化されていきます。
『梟の城』は、富田浩太郎が主演。『新選組血風録』は、土方役の栗塚旭が主演(映画版では市川右太衛門が近藤役で主演)。
『燃えよ剣』は、内田良平が主演しました(映画版では栗塚旭が主演)。
『竜馬がゆく』は、中野誠也が主演し、連載終了2年後の明治100年の記念年には、北大路欣也の主演で第6回NHK大河ドラマになりました(1968年)。同年、中村(萬屋)錦之助主演により歌舞伎座で舞台化もされています。
テレビ時代劇化と共に広く知られていく司馬の刀剣世界は、その後、NHK大河ドラマの原作本数が吉川英治、山岡荘八を上回っていく中で、教科書的な役割を担っていきます(『国盗り物語』『花神』『翔ぶが如く』『最後の将軍 徳川慶喜』『功名が辻』)。