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水を使った戦いの古戦場
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城が舞台となった古戦場の中でも、特に歴史ファンから人気を集めているのが、「水攻め」が行われた古戦場です。城ごと水の中に沈めて孤立させるという奇想天外な作戦の跡地で、城跡の他に堤跡(づつみあと)などを見ることができます。そもそも水攻めとはどのような攻城戦なのかをひも解きつつ、「日本三大水攻め」と呼ばれる3つの戦いとその古戦場をご紹介。驚天動地の奇策の全貌と、現地でより水攻めを楽しむためのポイントをお伝えします。

「水攻め」はどんな戦い方?

城を水没させる奇想天外な攻城戦

敵を殲滅するとき、最後の砦となって立ちはだかるのがです。石垣などを駆使して強固な守備網を形成しているため、力攻め(策略などを用いず、武力と兵力のみを頼りに攻める方法)をすると味方に甚大な被害が生じます。そこで攻城者は、事前に城内の敵を寝返らせたり、頃合いを見て降伏勧告を行ったりすることで、落城させるのが一般的でした。

しかし、敵の団結力が高く、調略が効かない城も存在します。そのとき用いられる最もオーソドックスな方法が、「兵糧攻め」。城の周りを大軍で囲み、水と食糧が尽きるのを待つのです。ところが兵糧攻めの場合、敵に援軍が来たとき挟み撃ちに遭うかたちになります。そこで考案されたのが、河川などの水を利用して城ごと孤立させる「水攻め」でした。つまり水攻めとは、兵糧攻めの一種なのです。

水攻めを成功させるには条件がある

水攻めが成功した事例は、数えるほどしかありません。実は、成功させるための条件を揃えることが極めて難しいのです。

まず、城が低地にあること。戦国時代の城郭は、山の傾斜を利用した「山城」が中心で、そもそも低地にある城は限られていました。次に、近くに河川が存在すること。水攻めに用いる水は基本的に川の水のため、突貫工事によって河川の流れを変えて城の周囲へ引き入れる必要がありました。

3つ目は、川の水量が多いこと。水攻めに要する水量は、町ひとつを水没させるレベルであり、さらにはそれを1ヵ月程度持続させなければいけません。そして4つ目は、治水工事などを短期間で行うだけの普請力。造る堤防の長さは数kmにも及びます。これだけの堤防工事を、敵の攻撃を受けずに迅速に行える人材は極めて稀です。ちなみに「豊臣秀吉」による「備中高松城の水攻め」の場合、希代の名将「黒田官兵衛」(くろだかんべえ)が仕切りました。

非常に難易度が高く、かつ手間が掛かる水攻めですが、成功させるとその効果は絶大でした。見た目が派手な上、城内の敵を完全に無力化できるため、示威効果は抜群。しかも、城内の全兵士は一部の高台や矢倉に集結せざるを得ず、ぎゅうぎゅう詰め状態。食料もなく、寝ることもままならない状況へ敵を追いやるのです。そのため水攻めは長くても1ヵ月で完全決着。自軍の犠牲もほとんどない上、短期間で落城させられる奇跡の作戦が、水攻めなのです。

「日本三大水攻め」とは?

いずれも豊臣秀吉軍による攻城戦

豊臣秀吉

豊臣秀吉

戦国時代を代表する水攻めとして有名なのが「日本三大水攻め」です。

1582年(天正10年)の「備中高松城の戦い」、1585年(天正13年)に紀伊国(現在の和歌山県三重県南部)で起こった「太田城の戦い」、そして、1590年(天正18年)に武蔵国(現在の埼玉県東京都23区・神奈川県の一部)で起こった「忍城の戦い」の3つ。

共通しているのは、すべて豊臣秀吉がかかわっていることです。ただし、忍城の戦いだけは豊臣家の重臣「石田三成」(いしだみつなり)が総大将を務め、失敗に終わっています。それぞれどんな戦いだったのか、ひとつずつ見ていきましょう。

備中高松城の戦いと古戦場

豊臣秀吉がはじめて水攻めに挑み、大成功を収めたのが備中高松城の戦いです。当時、豊臣秀吉の軍勢は中国地方を治める毛利家への侵攻を強め、備中国(現在の岡山県西部)の大半を制圧。しかし、「清水宗治」(しみずむねはる)が守る備中高松城(岡山県岡山市)の攻略に難航し、長期戦の様相を呈していました。城の周りを囲む湿地帯に阻まれ、攻め手を欠いていたのです。そんな折、毛利の援軍が近づいているという知らせが入ります。一刻も早い攻略が求められる中、水攻めを献策したのが黒田官兵衛でした。

備中高松城本丸跡

備中高松城本丸跡

豊臣秀吉は早速、堤防作りを開始します。わずか12日で全長約3km、高さ約7mの堤防を築き上げると、城のそばを流れる足守川の水を引き込むことに成功。

ちょうど梅雨の時期だったこともあり、備中高松城は出現した約200haもの湖に呑まれ、完全に孤立しました。

現在、備中高松城址(岡山県岡山市)には、戦いの様子を解説する資料館の他、和睦の条件として切腹を申し付けられた清水宗治の首塚や自刃の地などが点在。また、徒歩圏内には唯一残っている当時の堤防跡「蛙ヶ鼻築堤跡」(かわずがはなちくていあと)も見られます。いずれもJR備中高松駅から徒歩圏内。世界史上でも稀な水攻めの痕跡が残る貴重な史跡群です。

太田城の戦いと古戦場

豊臣秀吉が直接指揮を執った水攻めのうち、最大規模を誇ったのが太田城の戦いです。「紀州征伐」と呼ばれる侵攻作戦で頑強に抵抗をした「根来衆」(ねごろしゅう)、「雑賀衆」(さいかしゅう)、「太田党」(おおたとう)の最後の砦として残った太田城(和歌山県和歌山市)を包囲した豊臣軍は、この地が環濠集落(周囲に堀や水路を巡らせた集落)であることを逆手に取り、総延長約7kmもの巨大堤防を築造。紀の川の水流を太田城周辺へ引き入れることに成功します。工事に加わった人足は延べ460,000人。わずか6日で完成させました。

湖と化した太田城はそれでも頑強な抵抗を続けますが、やがて豊臣軍が水軍を投入して鉄砲による攻撃を開始すると、城主「太田左近」(おおたさこん)らは抵抗を断念。自らの首を差し出し、わずか1ヵ月で落城したのです。

現在、太田城の跡地には「来迎寺」(らいこうじ:和歌山県和歌山市)が建ち、境内に「太田城址碑」と書かれた石碑が鎮座。周辺には「太田城水攻め堤防跡」が残っており、当時の水攻めの様子を偲ぶこともできます。JR和歌山駅から来迎寺まで徒歩約6分、堤防跡まで徒歩約15分。いずれも歩いて巡れるのも魅力です。

忍城の戦いと古戦場

日本三大水攻めのうち、唯一失敗に終わった忍城の戦いは、豊臣秀吉による「小田原の役」の際に起こった合戦でした。総大将を務めたのは石田三成。忍城(埼玉県行田市)が河川や沼に囲まれていたことで水攻めに踏み切ったものの、堤防の総距離が約28kmにも及び、敵の堤防破壊を防ぐことができませんでした。一説によると、豊臣秀吉が執拗に「水攻めで落とせ」と命じたため、やむなく実行したとも言われています。石田三成はこの戦いで戦下手の烙印を押される結果となりました。

現在、忍城は御三階櫓が復元され、史跡公園として開放されています。敷地内には「行田市郷土博物館」もあり、忍城の戦いについての展示も充実。城から徒歩約50分のところには、当時の堤防跡「石田堤」も残っています。

秩父鉄道行田市駅を起点にすると、忍城と石田堤を往復して約2時間。石田堤のそばには石田三成が本陣を置いた丸墓山古墳(まるはかやまこふん)がそびえており、ここから忍城方面を眺めるのがおすすめ。水攻め計画がいかに壮大だったのかが実感できます。

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名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク)では、重要文化財などの貴重な日本刀をご覧いただくことができます。
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火を使った戦いの古戦場

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戦国時代の建物は木材によって建てられていたため、火は大敵でした。城攻めの際も火矢などを用いるのは定番中の定番。しかし、火が直接の原因となって落城した戦例は意外に少ないのが実情です。しかし、何度も火攻めを行って攻城を成功させている人物がいます。天下布武を掲げた戦国の風雲児「織田信長」です。織田信長が火攻めによって落城させた3つの戦いに注目。火攻めが行われる背景や実行方法などとともに、それぞれの古戦場についてご紹介します。

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古戦場とは

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歴史を知りたいとき、本やウェブサイトなどで調べるのも良いですが、より実感を得たいなら古戦場を訪ねるのがおすすめです。合戦の跡地を見学すると、当時の様子が緻密に想像できます。勝利の要因や敗北の原因は、現地にこそ隠されているケースが多いのです。古戦場は「生きた歴史の知識」が得られる場所。古戦場に残る史跡や地形の見方や、楽しみ方の基本を具体的な人気スポットとともに掘り下げていきます。

古戦場とは

世界三大古戦場

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