日本各地の中心的な土地の多くは、城下町(じょうかまち)から発展したと言われています。一方、門前町(もんぜんまち)から発展した都市は、長野県長野市や三重県伊勢市などが代表的。どちらもその地域が発祥の起源となっていますが、門前町と城下町にはどのような違いがあるのでしょうか。門前町について詳しく解説し、城下町との差異や有名な門前町についてご紹介します。
寺院や神社の周辺に作られた商店街を指し、名高い寺や神社の門前に宿や飲食店が立ち並ぶことから、「門前町」と呼ばれるようになりました。
門前町は寺院や神社へ訪れる多くの参拝客と商工業者達によって形成されています。
門前町の中心的な存在は寺院や神社。多くの場合において、その参道には鳥居や灯籠(とうろう)などが設置され、また参道の両側には寺院の正式な入口である山門や、参拝者のための宿泊施設である宿坊が立ち並んでいます。
門前町は、寺院や神社への参拝行事と深くかかわる存在。
門前町の歴史を理解するためには、寺院や神社の起源について知ることが大切です。
ここからは、寺院と神社の歴史と門前町の始まりについて詳しく見ていきましょう。
古代インドの修行僧達が仏の教えを学び、瞑想を行っていた場所が寺院の起源。
釈迦の死後は、遺骨である「仏舎利」(ぶっしゃり)を納めるための仏塔が建てられるようになり、次第に仏像や雨風をしのぐための仏堂も作られるようになったのです。
日本に仏教が伝わったのは6世紀後半。奈良時代には仏教が広く普及し、各地に「国分寺」(こくぶんじ:聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の各国に建立を命じた寺院)・「国分尼寺」(こくぶんにじ:国分寺と同時期に建立された尼寺)が建立されました。
明治時代には、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:仏教の排除)によって仏教離れが加速。しかしながら、第二次世界大戦後の「神道と国家の分離令」が発布されると、仏教への信仰が次第に回復していきました。
神社の起源は、神が宿るとして崇められていた大きな木や岩などに祭場や建物が建造されたこと。
平安時代に入ると仏教と神道を同一のものとみなす神仏習合が進み、仏教が主、神道が従となりました。明治時代には廃仏毀釈によって神道から仏教が排除され、第二次世界大戦前まで神社への信仰が厚くなります。
神社は、時には政治へも影響するほど大きな権力を持っていましたが、第二次世界大戦後の神道と国家の分離令によって、他の宗教と同様に扱われるようになりました。
平安時代以前は、地域ごとにその土地の神を信仰することが一般的でしたが、平安時代中期頃から、地域を越えた場所に神が祀られるようになりました。
それに伴い、神を祀っている土地に各地からの参拝者が集まるようになります。参拝者が増えると、自然と寺院や神社周辺に参拝客用の宿場や食事処なども作られ、それが門前町へと発展したのです。
歴史あるスポットとして、今も多くの人々を惹き付けている門前町。日本全国にある有名な門前町を9つご紹介します。