銃は、火薬に点火して爆発させ、このとき発生する爆風によって弾丸を飛ばす兵器です。この仕組みは、14世紀頃に銃が発明された当初から現代まで変わっておらず、このため銃の構造や外観は、江戸時代の「火縄銃」と最新式の銃にも大きな違いはありません。
では、銃の改良と進化はどこに起きていたかと言うと、主に、火薬に点火する仕掛けの部分でした。現代の調理器具やライターのように簡単に火を得られなかった時代には、戦場で確実に火を熾(おこ)し、迅速に火薬に点火することが勝敗を決したからです。銃の点火法が発達してきた歴史をたどりながら、様々な点火法を紹介します。
原初の銃は、筒型の銃身に点火口を開けただけの簡単な造りで、点火法も火種を点火口から挿し込む、素朴な方法でした。その後、引金(ひきがね)の付いた火縄銃が登場すると、引金で点火と発砲の時機をコントロールできるように点火法は進化していきます。
指火式(さしびしき)点火法は、タッチホール式とも呼ばれ、最初期の銃に使われていた単純な方法です。
手で火種を火門(かもん:点火用に銃身に開けた穴)から挿し込んで、銃身に詰めた火薬に点火しました。やがて15世紀になり、点火装置を備える火縄銃が発明されると指火式点火法は見られなくなります。
火縄式点火法は、マッチロック式とも呼ばれる方式です。火縄は、ゆっくり燃える素材をより合わせた縄で、点火すると線香のように、しばらくは火を保持することができます。
この性質を火種に利用したのが火縄銃で、火縄を固定するパーツや、火縄を火薬に押し付ける装置を備えていました。このパーツや装置は次に紹介するように何通りも考案され、火縄式点火法は改良と進化を重ねていくことになるのです。
サーペンタインは、銃身に付けたS字型の金具で、この片端に火縄を固定し、もう一方の端を手で引くと、火縄が火薬に触れて点火します。サーペンタインが引金の役割を果たすことで、撃ち手が都合の良いタイミングで点火でき、暴発を避けられるようになったのは大きな進歩でした。
ヨーロッパでは15世紀末に、サーペンタインより進んだ火縄式点火法が考案されています。これは「火ばさみ」という器具に火縄を固定して引金を引くと、火ばさみが倒れて火縄が火薬に触れ、点火する仕組みです。1543年(天文12年)に日本の種子島にもたらされたとされる火縄銃もこのタイプでした。
日本では火縄式の点火装置を「からくり」と呼び、鉄砲鍛冶師らが様々なからくりを手がけるようになります。ピンセットのようなV字型の板バネの反発を利用して、火ばさみを火皿に打ち付ける「平からくり」や、ゼンマイで火ばさみを回転させて点火する「ゼンマイ内からくり」などが作られました。
種別 | 火縄式銃砲 | 全長 | 127cm |
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銃身長 | 98.3cm | 口径 | 1.2cm |
代表的な 所蔵・伝来 |
刀剣ワールド財団〔東建コーポレーション〕 |
ここまで紹介してきた火縄式の点火法は、火縄が火を比較的、長時間、安全に維持できることを活用した方式でした。
やがて銃の開発者は、もっと火を支配し、自在に銃を操ることを目指し始めます。火熾し(ひおこし)から火薬に点火するまでの工程は機械化され、その精度は高まっていきました。
歯輪式(しりんしき)点火法は、16世紀に発明されたライターの仕組みをドイツの銃職人が取り入れた、鋼輪式(こうりんしき)点火法、ホイールロック式とも呼ばれる方式です。
歯輪とは歯車のことで、引金を引くとゼンマイが動き出し、その動力で歯車が回転します。この歯車で、古くから火打石として利用されてきた燧石(すいせき)や黄鉄鉱(おうてっこう)をこすって発火させ、火薬に点火するのです。
この歯輪式は、火縄の弱点、風雨に弱いことを解決する画期的な点火法でしたが、歯輪式点火装置を搭載した銃は高価だったため、火縄銃にとって代わるほどは普及しませんでした。
「久米通賢」(くめみちかた/つうけん)は、江戸時代後期の1780年(安永9年)に讃岐国(さぬきのくに:現在の香川県)で生まれた発明家です。中国の兵書を参考に、歯輪式点火装置を考案し、これを用いた銃が四国地方で見つかっています。
それらの銃は、前出のドイツで開発された歯輪式の銃とは構造が異なるため、久米通賢はこの点火法を独自に考案したと考えられているのです。
燧石式(すいせきしき)点火法は、撃鉄(げきてつ:火薬を強打して発火させるハンマー)に火打石を取り付け、引金を引いて作動させると、火打石が鋼鉄製の「当たり金」に打ち付けられて発火する方式で、フリントロック式とも呼ばれます。
17世紀初頭にフランスで完成し、先行していた歯輪式の点火装置よりも単純な構造で、安く製造できたため各国に広く普及したのです。
燧石式の銃は、引金を引くたびに発火して点火に至るため、兵士を火種の管理から解放しました。また、発火装置に連動して、点火薬を覆う火蓋(ひぶた)が開閉するようになったため、雨天でも銃を使いやすくなったのです。
雷汞(らいこう)式点火法は、19世紀はじめに英国で開発されました。雷汞とは、水銀を濃硝酸に溶かし、アルコールで処理して作る結晶で、熱や衝撃で簡単に爆発する性質を持っています。これを発火剤として利用したのが雷管式で、最初は、雷汞の粉末を直接、撃鉄で叩いて発火させる様式でした。
しかし、雷汞は発火しやすい危険な化合物であるため、安全に管理できるように改良が重ねられます。改良型として、雷汞を紙テープに付着させたテープ・プライマー式、雷汞をタブレット状に固めたディスク・プライマー式、雷汞を筒状の鉄製容器に詰めるピル・ロック式などが登場し、実用化されました。
雷管(らいかん)式点火法は、前出の雷汞式点火法を改良するなかで完成した様式で、パーカッションロック式とも呼ばれます。雷管は、金属製の容器に発火剤である雷汞を詰めた物で、これを銃に装着し、引金を引くと、撃鉄が雷管を叩いて発火するのです。この雷管を導入したことで、従来の点火法よりも確実に火を得て火薬に点火できるようになり、発砲はスピードアップし、また天候に左右されないようになりました。
この頃、幕末の日本でも雷汞や雷管の開発に取り組んだ人物がいます。尾張藩(現在の愛知県)の藩医「吉雄常三」(よしおじょうざん)は、雷汞の研究書「粉砲考」をまとめ上げ、雷管の製造にも成功していましたが、不幸にも研究中の爆発事故で亡くなりました。
ここまで紹介した点火法は、銃身に弾丸と火薬を詰め、銃身の外側に備えた点火装置で熾した火を、銃身内の火薬に伝えていました。改良は、点火装置の性能向上に集中しており、確実に火を熾すことが最重要課題だったことが分かります。
この課題が、雷管の完成でクリアできると、銃の点火法に大きな技術革新が起きました。19世紀後半に完成した、画期的な点火法と銃弾を紹介しましょう。
薬莢式(やっきょうしき)点火法は、これまでの点火法とは一線を画す方式です。薬莢とは金属製の容器で、この中に弾丸と火薬、発火装置である雷管をパッケージした一体型の銃弾を用います。この銃弾を銃に込めて、引金を引いて雷管を叩くと火が熾き、火薬に点火して発砲に至るのです。
これまでの点火法による銃は、発砲するたびに火薬と弾丸を詰め、雷管をセットしていたのに対して、薬莢式点火法の銃はパッケージ型の銃弾を銃に装填するだけで済みます。迅速に次の発砲に移れるようになり、銃の戦闘能力が高まりました。やがて、複数の銃弾を装填して、連射できる銃も登場します。
このように、薬莢式の銃弾と点火法は、銃の機能を大きく進化させ、現在も最新式の銃に使われ続けている完成度の高い発明でした。