「スペンサー銃」は、「クリストファー・スペンサー」が開発し、1861年(万延2年/文久元年)にアメリカで起きた「南北戦争」で南軍側の主力武器として用いられた銃です。これまで小銃は単発が中心。そんななか7連発を可能にした本銃は、「世界初の後装式連発銃」として当時のヨーロッパ、そして日本にも大きな影響を与えました。スペンサー銃は近代的な戦争を推し進めるきっかけとなり、同時に商業的な成功をも治めています。スペンサー銃の仕組みをはじめ、その歴史についても迫っていきましょう。
「スペンサー銃」は、1860年(安政7年/万延元年)にクリストファー・スペンサーによって開発された、7連発の後装式「レバーアクション」ライフルです。アメリカの内戦、南北戦争にてアメリカ北部軍が用いた小火器のなかでも最も素晴らしい性能をかね備えた銃として米国戦史に名を残しています。
これまでも「前装銃の最高傑作」と言われる「エンフィールド銃」や、「ボルトアクション」ライフルとなる「ドライゼ銃」など色々な銃がありましたが、どれも単発でした。
しかしスペンサー銃は、7発連続で装填が可能。発砲方法については、撃鉄(げきてつ)をハーフコック(半起こし)し、引き金(ひきがね)まわりの「レバー」を銃口へ押し出します。すると銃身後端で栓をしていた「フォーリング・ブロック」(下降式閉塞機)が下降するので、床尾の装填口(そうてんこう)から弾薬を装填。再度レバーを引いて銃身後端をもとの位置に戻すことで弾薬が薬室に送られます。最後に撃鉄をフルコック(全起こし)にして引き金を引いて発砲です。
スペンサー銃が連発を可能にしたのは、スプリング入りの細長い「管状弾倉」(かんじょうだんそう)を装填口に挿入していたことによります。このスプリングがあることで、レバーを押し出す毎に次弾が薬室へ送られ、使用済み薬莢(やっきょう)が自動的に落ちる仕組みになっていました。スペンサー銃のレバーアクションとは、レバーの動作で装填と排出することを指しているのです。
さらにスペンサー銃を装備した兵士は「ブレイクスリー・カートリッジ・ボックス」と呼ばれる弾薬入れに7発収納した弾薬筒を数十本詰めて携行していたと伝わります。こうしてスペンサー銃は弾をより連続で発射できるようになりました。しかしあまりに発射速度が速いため、この予備の弾薬筒もすべて消費するには10分とかからなかったと言います。
1860年(安政7年/万延元年)に、26歳の若さでスペンサー銃を作ったクリストファー・スペンサーは、アメリカ陸軍に本銃を導入するよう頼み込んでいました。しかし保守的な面があったアメリカ陸軍は快い返事をすることはなかったと言います。
それでも諦めなかったクリストファー・スペンサーは、射撃競技会と兵器の展示会にリンカーン大統領を招待して直にスペンサー銃の性能を見てもらうことに成功。リンカーン大統領は、スペンサー銃の性能の高さに感激し、アメリカ軍への採用を決定しました。こうしてスペンサー銃は、1861年(万延2年/文久元年)に勃発した南北戦争で使用されることとなります。
そして南北戦争終結後に、スペンサー社は幾度か売却され、最終的にウィンチェスター社が買い取りました。生産終了となる1865年(元治2年/慶応元年)までに約200,000挺のスペンサー銃が製造されており、これらの多くが余剰品としてフランスに輸出され「普仏戦争」に投入されています。
フランスに輸出されたのと時を同じくして、日本では佐賀藩や黒羽藩がスペンサー銃を輸入していました。当時「スナイドル銃」が1挺(ちょう)当たり9ドル70セントだったのに対し、スペンサー銃は1挺当たり37ドル80セントという高額で購入しています。
南北戦争で用いられたスペンサー銃は世界初の連発銃ということもあり、日本では「元込七連発銃」の名前でよく知られており、他の銃よりも大変高価だったのです。高額ながら日本では1868年(慶応4年/明治元年)に起きた「戊辰戦争」にて、旧幕府軍に加え新政府軍も導入しています。
しかし残念なことに銃本体は購入できても専用弾薬の製造ができず、また輸入も困難でした。そのため他の西洋銃と比べあまり数を揃えることはできなかったと言います。新政府軍と旧幕府軍が使用していた銃は、国内でも弾薬が製造しやすかった「ゲベール銃」やエンフィールド銃、「スナイドル銃」などが多数を占めていました。
大河ドラマ「八重の桜」の主人公「山本八重」(やまもとやえ:のちの「新島八重」[にいじまやえ])も、同ドラマ内にてスペンサー銃を撃って戦うシーンがあります。
会津藩藩士の娘だった山本八重は、女性ながら戊辰戦争の最中、「会津若松城」(現在の福島県会津若松市:「鶴ヶ城」)における籠城戦で新政府軍と実際に戦っていました。
なぜ山本八重が大変高価だったスペンサー銃を持っていたのかというと、戊辰戦争が起きる以前に長崎にいた兄「山本覚馬」(やまもとかくま)より贈られたのだと伝わっています。藩や幕府などが大量に購入する場合もありましたが、山本覚馬のように比較的裕福で身分の高い武士も自費で購入することができたのです。
しかし前述した通り、スペンサー銃を所持していたとしても専用弾薬の製造や輸入が難しかったため、山本八重もおそらくスペンサー銃ではなくゲベール銃などを用いる機会の方が多かったと考えられます。
ゲベール銃に必要な球形弾であれば、籠城中の城内でも製造は可能です。籠城していた旧会津藩士の女性達は、戦う夫や息子のため弾薬作りを行っていた記録が残ります。
種別 | 和製西洋式銃 | 全長 | 101.7cm |
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銃身長 | 58.6cm | 口径 | 1.2cm |
代表的な 所蔵・伝来 |
刀剣ワールド財団〔東建コーポレーション〕 |