飛鳥時代の合戦歴史年表
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飛鳥時代の合戦歴史年表 飛鳥時代の合戦歴史年表
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「飛鳥時代の合戦歴史年表」についてご紹介します。飛鳥時代は、奈良盆地の南部、飛鳥地方に都があった時代のことです。一般的には推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや:現在の奈良県明日香村付近)に即位した593年(推古天皇元年)から、710年(和銅3年)の平城京遷都までの118年間を指します。

この頃、日本では朝鮮半島の百済(くだら)から仏教が伝来。仏教の影響を受けた飛鳥文化(白鳳文化)が花開きます。また政治面・軍事面では、聖徳太子は摂政(せっしょう:天皇が幼かったり、女性だったりする場合に補佐する地位)に就き、推古天皇を補佐。やがて聖徳太子の死後、推古天皇も崩御(ほうぎょ:天皇、皇帝、皇后などがお亡くなりになること)されると、中大兄皇子・中臣鎌足が天皇中心の政治を目指す「大化の改新」や、日本史で初めて登場する法律「大宝律令」を制定しました。

一方、飛鳥時代は朝鮮半島の混乱に巻き込まれた時代でもあります。日本と交流があった百済が新羅(しらぎ)によって滅ぼされると、日本は百済再興を目指して出兵。しかし、唐(とう)と組んだ新羅軍に惨敗してしまいます。この戦いは「白村江の戦い」と呼ばれ、百済は陥落し、永遠に滅亡となりました。

また国内では、天智天皇が崩御されると、天智天皇の御子・大友皇子(おおとものおうじ)と天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)による皇位継承をめぐる「壬申の乱」が発生。白村江の戦いでの大敗を機に、日本の防備が固められることとなりました。

飛鳥時代年表

政権保持者 合戦/主な出来事
662~672年天智天皇
663年 白村江の戦い

「白村江の戦い」(はくすきえのたたかい/はくそんこうのたたかい)は百済復興を目指す日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍の間で勃発した戦いです。660年(斉明天皇6年)、日本の友好国・百済が新羅に滅ぼされたことで、百済再興のために、日本は新羅を倒すために兵を送ります。

しかし、この戦いで日本は大敗。百済も永久に滅亡してしまい、日本は朝鮮半島における足場を完全に失いました。そののち、中大兄皇子は国外進出を諦め、国内の整備に努めることとなります。

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672年弘文天皇
672年 壬申の乱

「壬申の乱」(じんしんのらん)は672年(天武天皇元年)、皇室内において「天智天皇」(てんじてんのう)の後継者争いが原因で勃発しました。絶大な権力を誇った天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天皇の嫡男・「大友皇子」(おおとものおうじ)と天皇の弟・「大海人皇子」(おおあまのおうじ)が対立。国を二分して戦う、古代における最大の内乱となったのです。

壬申の乱の機先を制したのは大海人皇子。東国の豪族などを次々と味方に付け、各地で勝利を収めます。敗れた大友皇子が自害したことで壬申の乱は終結しました。

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673~686年天武天皇
686~690年天武天皇の死後2年半にわたって葬儀が行われる等したため、間が空く
690~697年持統天皇
697~707年文武天皇
701年 大宝律令

大宝律令とは701年(大宝元年)に制定された日本初の法律です。唐の律令を参考にしたと考えられています。この制定により、天皇を中心に二官八省(神祇官、太政官、中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省)の官僚を基盤とした中央集権統治体制が設立しました。

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