奈良時代の合戦歴史年表
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奈良時代の合戦歴史年表 奈良時代の合戦歴史年表
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「奈良時代の合戦歴史年表」についてご紹介します。奈良時代は、710年(和銅3年)の平城京遷都から、784年(延暦3年)の長岡京遷都までの74年間のこと。平城時代(へいじょうじだい)とも呼ばれ、天皇中心の専制国家・中央集権を目指した時代でした。なお、平城京は中国の都である「長安」(ちょうあん)を模した都に造営。碁盤の目のように区画されていました。

またこの時代は、708年(和銅元年)に鋳造(ちゅうぞう)された貨幣「和同開珎」(わどうかいほう/わどうかいちん)が流通。土地政策では新しく「墾田永年私財法」(こんでんえいねんしざいほう)が発令され、自分で開拓した土地は無期限で所有できるようになりました。

さらに政府の保護のもとで仏教が栄えた時代でもあります。疫病が流行っていたため、聖武天皇は仏法の力を借りて解消しようと、全国各地に国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)を建立。東大寺の本尊として世界最大の金銅仏「廬舎那仏」(るしゃなぶつ)を造営し、世の中の平和を祈願しました。

一方、有力貴族である藤原氏が勢力を伸ばし、権力争いが勃発。「藤原仲麻呂」(ふじわらのなかまろ)は淳仁天皇を傀儡にし、独裁政権を行います。764年(天平宝字8年)には、対立していた「孝謙上皇」(こうけんじょうこう)と側近の僧侶「道鏡」(どうきょう)を排除しようと「藤原仲麻呂の乱」を起こしました。そのあとも各地方で反乱が起こりますが、「光仁天皇」(こうにんてんのう)のもとでようやく朝廷は落ち着きを取り戻します。そして光仁天皇の次代である「桓武天皇」(かんむてんのう)が、平城京から長岡京へ遷都したことで奈良時代は終わりを迎えることとなりました。

奈良時代年表

政権保持者 合戦/主な出来事
707~715年元明天皇
710年 平城京への遷都

710年(和銅3年)、元明天皇(げんめいてんのう)は律令制に基づいた政治を行うために、それまでの都だった藤原京から平城京へ遷都し、新しく大きな都を作りました。なお平城京は、「唐」(とう:現在の中国)の都「長安」(ちょうあん)がモデルだと伝えられています。

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712年 古事記

「古事記」(こじき)とは、世界の始まりから神々の出現、天皇家における皇位継承の経緯などが描かれた書物であり、序文と上・中・下の3巻から構成されています。712年、「稗田阿礼」(ひえだのあれ)が習誦(しょうしゅう:繰り返し書物を読むこと)していた歴史を「太安万侶」(おおのやすまろ)がまとめました。

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715~724年元正天皇
752年 東大寺建立

東大寺は「聖武天皇」(しょうむてんのう)が仏教の教えを中心に、国家の安寧(あんねい:穏やかで平和なこと)と隆昌(りゅうしょう:栄えること)を祈願するために建てた寺です。奈良県にある華厳宗(けごんしゅう)の大本山で、東大寺の前身は「金鐘山寺」(きんしょうさんじ)となっています。

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724~749年聖武天皇
749~757年孝謙天皇
757~764年藤原仲麻呂
764年 藤原仲麻呂の乱

「藤原仲麻呂の乱」(ふじわらのなかまろのらん)は764年(天平宝字8年)、「藤原仲麻呂」が当時対立していた「孝謙上皇」と側近の僧侶「道鏡」を排除しようとして起こした反乱です。しかし反乱は失敗。藤原仲麻呂は先回りした孝謙上皇軍に追い詰められ、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)の三尾埼(みおさき)で捕らえられ処刑されました。

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奈良時代の合戦歴史年表
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