室町時代の合戦歴史年表
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室町時代の合戦歴史年表 室町時代の合戦歴史年表
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「室町時代の合戦歴史年表」についてご紹介します。室町時代とは、1336年(建武3年)に足利尊氏が京都の室町に幕府を開いてから、1573年(天正元年)に、室町幕府最後の将軍・足利義昭が追放されるまでの約240年間のこと。なお、南朝(後醍醐天皇の朝廷)と北朝(足利尊氏が中心となって造られた朝廷)の合一が実現した1392年(明徳3年)頃までを南北朝時代、応仁の乱以降を戦国時代と呼ぶこともあります。

室町時代は、3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の頃に最盛期を迎えました。足利義満は南北朝合一の実現や足利家の脅威になる守護大名達の討伐に尽力する一方で、朝廷の最高位である太政大臣に上りつめ、政治を思うがままに動かしていきます。またこの時代に「金閣寺」が建てられ、当時の中国・明(みん)との日明貿易(勘合貿易)も開始されました。1467年(応仁元年)からは8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の跡継ぎ争い「応仁の乱」が勃発。将軍の後継者争いを発端として、全国の守護大名が2つに分かれて争った応仁の乱は約11年にも及び、京都は焼け野原となりました。

また有力な家臣達が守護大名を打ち破る「下剋上」が広がり、日本各地で戦国大名が誕生します。そのひとりであった織田信長は、15代将軍・足利義昭を京都から追放。これをもって、室町幕府は滅亡しました。

室町時代年表

政権保持者 合戦/主な出来事
1394~
1423年
足利義持
1404年 勘合貿易の開始

勘合貿易」(かんごうぼうえき)とは、室町幕府3代将軍「足利義満」(あしかがよしみつ)が、日本と明(みん:14世紀半ばから17世紀半ばにかけて漢民族が支配した中国の王朝)との間ではじめた貿易のこと。「勘合」(かんごう)と呼ばれる証書を持つことが条件だったために勘合貿易と呼ばれました。日明貿易とも呼ばれています。

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1423~
1429年
足利義量
(第5代将軍)
1438年 永享の乱

永享の乱」(えいきょうのらん)は、1438年(永享10年)に関東で起こった戦乱です。この戦は「鎌倉公方」(かまくらくぼう:室町幕府が設置した鎌倉府の長官)であった「足利持氏」(あしかがもちうじ)と「関東管領」(かんとうかんれい:鎌倉公方を補佐する役職)であった「上杉憲実」(うえすぎのりざね)との直接対決となりました。

永享の乱は京都に置かれていた室町幕府の6代将軍「足利義教」(あしかがよしのり)と足利持氏との対立が原因で起こったと言われています。

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1429~
1442年
足利義教
(第6代将軍)
1442~
1449年
足利義勝
(第7代将軍)
1449~
1473年
足利義政
(第8代将軍)
1455年 享徳の乱

享徳の乱」(きょうとくのらん)は1467年(応仁元年)から11年間にわたる「応仁の乱」(おうにんのらん)に先駆けて、関東で起こった戦乱です。戦いは断続的に28年間続き、関東はそのまま戦国時代に突入しました。

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1467年 応仁の乱

応仁の乱は、足利義政の後継者争いを発端に、室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏の家督争いも絡んで起きた争いです。幕政の中心であった細川勝元と山名宗全の有力守護大名が対立を生み、全国を2つに分ける大乱となりました。

京都を舞台とした応仁の乱は11年にも及び、京都の大半は焼け野原に。そして、戦国時代へと突入していきます。

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1473~
1489年
足利義尚
(第9代将軍)
1487年 長享の乱

長享の乱」(ちょうきょうのらん)は、代々関東管領を務める上杉家の本家「山内上杉氏」の上杉顕定(うえすぎあきさだ)と分家「扇谷上杉氏」の上杉定正(うえすぎさだまさ)・上杉朝良(うえすぎともよし)との間で繰り広げられた両上杉家による抗争です。

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1490~
1493年
足利義材
(第10代将軍)
1493~
1549年
細川氏
1511年 船岡山合戦

船岡山合戦」(ふなおかやまがっせん)は、1511年(永正8年)8月に京都の船岡山周辺で起こった合戦です。室町幕府の「管領」(かんれい:将軍を補佐する幕臣の最高職)である「細川政元」(ほそかわまさもと)が亡くなったあとの細川家の家督争いと、将軍の擁立争いをめぐる対立の中で勃発。

なお、船岡山は京都市北区紫野北船岡町にある標高111.7mの小さな山で、清少納言が「岡は船岡」と「枕草子」(まくらのそうし)に記していることでも知られています。

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1531年 大物崩れ

大物崩れ」(だいもつくずれ)は、摂津大物(現在の兵庫県尼崎市)で行われた合戦です。幕府の管領(かんれい:将軍を助け政務を統括する者)の座を巡って細川晴元(ほそかわはるもと)と細川高国(ほそかわたかくに)が争いました。

この戦いでは、細川晴元・赤松政佑(あかまつまさすけ)・三好元長(みよしもとなが)連合軍が、細川高国・浦上村宗(うらがみむらむね)連合軍を打ち破ります。

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1543年 鉄砲伝来

鉄砲は1543年(天文12年)、種子島に漂着したポルトガル人により伝来しました。このとき伝わった鉄砲は「火縄銃」です。島主の「種子島時堯」(たねがしまときたか)は、早速2丁を購入し、惣鍛冶(そうかじ)に鉄砲の模作を命じました。

そして鉄砲伝来から1年もたたずに国産銃を完成させます。そののち、鉄砲は新しい武器として全国に広がり、戦いに変化をもたらしました。

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1549年 キリスト教伝来

キリスト教は、1549年(天文18年)に鹿児島に上陸したイエズス会フランシスコ・ザビエルによって伝えられました。そののち、フランシスコ・ザビエルは、平戸や山口などでキリスト教伝道に励み、500人以上に洗礼を授けます。

またキリスト教への関心を強めた「大友宗麟」(おおともそうりん)は、自ら洗礼を受けてキリシタン大名となりました。

1549~
1564年
三好長慶
1553年 川中島の戦い

川中島の戦い」とは、1553年(天文22年)~1564年(永禄7年)の12年間、5回に亘る伝説の合戦の総称です。

宿敵である甲斐の「武田信玄」(たけだしんげん)と越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)が北信濃の支配権を巡って争いましたが、勝敗は付いていません。

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1555年 厳島の戦い

厳島の戦い」(いつくしまのたたかい)は、戦国大名「陶晴賢」(すえはるかた)と「毛利元就」(もうりもとなり)との間で行われた合戦です。宮島(厳島神社)全体を戦場としたこの戦いでは、4,000人ほどの毛利軍が約20,000もの大軍を抱えていた陶晴賢の軍を奇襲し、打ち破りました。

なお、「川越城の戦い」「桶狭間の戦い」と合わせて「日本三大奇襲戦」と呼ばれています。

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1560年 桶狭間の戦い

桶狭間の戦いは尾張国の桶狭間(現在の愛知県豊明市)で尾張国主・織田信長と駿河・遠江・三河を領国する「今川義元」の間で行われた合戦です。25,000もの大軍を率いて尾張国に侵攻した今川軍に対し、わずかな軍勢で応戦した織田信長は、奇襲を仕掛け、今川義元を討ち取りました。桶狭間の戦いは織田信長による天下統一の第一歩となった戦いとしても知られています。

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1564~
1568年
三好義継
1568年 観音寺城の戦い

観音寺城の戦い」(かんのんじじょうのたたかい)は、1568年(永禄11年)に足利義昭を奉じて上洛を目指していた織田信長と、近江守護である「六角義賢」(ろっかくよしかた)・「六角義治」(ろっかくよしはる)親子の間で勃発した合戦です。主戦場が「箕作城」(みつくりじょう:現在の滋賀県東近江市)だったことから、箕作城の戦いとも呼ばれています。

なお、この戦いでは、一夜で箕作城が落城し、観音寺城は無血開城。六角親子は甲賀方面へ逃亡しました。

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1568~
1573年
織田信長
(織田氏)
1570年 金ヶ崎の戦い

金ヶ崎の戦い」(かねがさきのたたかい)は、織田信長と「朝倉義景」(あさくらよしかげ)との間で行われた合戦です。足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長は、朝倉義景に上洛を命じましたが、朝倉義景はこれを拒否。そこで織田信長は「朝倉義景に叛意あり」とみなし、これを口実に越前国へ出兵しました。

当初は優勢だった織田信長軍でしたが、義弟「浅井長政」(あざいながまさ)の裏切りにより、形勢逆転。撤退を余儀なくされました。なお、金ヶ崎の戦いは「金ヶ崎の退き口」(かねがさきののきくち)とも呼ばれています。

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1570年 姉川の戦い

姉川の戦い」(あねがわのたたかい)は、近江国(現在の滋賀県)の姉川流域で、織田信長・徳川家康連合軍と、浅井長政・朝倉景健(あさくらかげたけ)連合軍との間で行われた合戦です。姉川の戦いでは、織田・徳川連合軍が勝利し、浅井氏・朝倉氏の両軍が滅亡するきっかけとなりました。

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1572年 三方ヶ原の戦い(徳川家康×武田信玄)

三方ヶ原の戦い」(みかたがはらのたたかい)は遠江国の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市)付近で起きた織田信長・徳川家康連合軍と武田信玄の間で起きた合戦です。

「織田信長包囲網」を望む足利義昭の呼びかけに応じた武田信玄は、遠江・三河・美濃を同時に侵攻。これに対し、徳川家康は野戦(やせん:野山での戦い)を挑みます。しかし、武田信玄軍に破られ、わずか2時間ほどで敗走することとなりました。

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