植物の「丁子」(ちょうじ)の蕾が重なり合ったような美しい刃文のこと。
蕾の大きさや形状によって様々な種類がある。丁子乱れの蕾がごく小さい場合は小丁子乱れ(こちょうじみだれ)と呼び、平安時代頃に流行した。
鎌倉時代に流行したのは、丁子乱れの蕾が大きな大丁子乱れ(おおちょうじみだれ)、大丁子乱れが八重桜のように重なり合って大きく乱れた重花丁子乱れ(じゅうかちょうじみだれ)、大丁子乱れのなかに蛙子(かわずこ:おたまじゃくし)を思わせる乱れが交じる蛙子丁子乱れ(かわずこちょうじみだれ)、丁子乱れの匂足(においあし)が逆を向いている逆丁子乱れ(さかちょうじみだれ)などの華やかな乱れ。
腰の開いた丁子乱れは室町時代に流行した。なお、古い時代の丁子乱れは焼刃(やきば)が低く、時代が下るにつれて次第に焼刃が高く、華やかになったと言われている。丁子乱れを得意としたのは、備前国(現在の岡山県東部)や山城国(現在の京都府)の刀工。
「刀 銘 大和守吉道」は、江戸時代中期に摂津国(現在の大阪府)で活躍した刀工「大和守吉道」(やまとのかみよしみち)が作刀した刀。本刀は、匂本位(においほんい)の丁子乱れを得意とした大和守吉道の特色がよく表われた1振。
「濤瀾乱刃」(とうらんみだれば)とも呼ばれる、江戸時代の延宝年間(1673~1681年)に摂津国(現在の大阪府)で活躍した刀工「津田越前守助広」(つだえちぜんのかみすけひろ)が創始した刃文。
「大互の目乱れ」(おおぐのめみだれ)を、大波が打ち寄せるように表現した刃文で、そのあまりに見事な刃文は世間を驚かせたと言われている。濤瀾刃はそののち、大坂の刀工のみならず、全国の刀工にも影響を与えた。
津田越前守助広の他に濤瀾刃を得意としたのは、津田越前守助広の後継者として名高い刀工「近江守助直」(おうみのかみすけなお)、大坂新々刀を代表する刀工「尾崎助隆」(おざきすけたか)、水戸藩のお抱え工「市毛徳鄰」(いちげのりちか/とくりん)の3工。
「脇差 銘 津田越前守助広 延宝五年二月日」は、江戸時代前期に津田越前守助広が作刀した脇差。本脇差は、ところどころに角がかった刃が交じる濤瀾刃が見られ、津田越前守助広の実力が発揮されている1振。